消滅とは無への抹消ではない
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消滅とは無への抹消ではない
- 来歴のうねりのなかで -
前回に引き続き、
下西風澄さんが
雑誌「新潮」に寄せた文章を
読んでいきたい。
下西風澄
生まれ消える心
― 傷・データ・過去
雑誌新潮 2023年5月号
(以下水色部、本からの引用)
人間にとっての「過去」は
一種の「傷」であるという下西さん。
それは忘却可能な
「過去」のデータとは違う。
キーワードは、忘却と反復。
一つは私たちが
日常を生きているときの過去で、
もう一つは私たちが
自らの存在を自覚するときの過去だ。
彼は
日々の日常的な生活における過去を
「保持」(記憶)と呼び、
実存的な過去を
「取り返し(Wiederholung)」と呼んだ。
「取り返し」は「反復」とも
訳されるらしいが、
私たちが未来を見据えながら生きるとき、
過去は常に取り返され、反復されている。
単に「かつてあった」という
普遍的な記憶ではなく、
私自身を伝承するという形で
取り返される出来事である。
かつてあった生の可能性に
「応答する」ということ、
その過去を引き受けるという
決意によってはじめて顕になる過去が
人間には存在する。
「保持」(記憶)の過去は忘却可能だが、
「取り返し」の過去は
生きている限り忘却不可能だ。
人間とAIの本質的な違いにも
かかわってくるだろう。
AIにおける過去は、
ハイデガー的に言えば、
保持・記憶としての過去である。
(中略)
AIには、
忘却可能な過去しか存在しない。
すなわちAlには、
どうしても現在にまとわりついてくる
「傷」が存在しないのだ。
そして逆に、AIが
消去可能なデータとしての
過去しか持たないかぎり、
固有の生を持つことはなく、
人間のような意識を持つことは
ないだろう。
過去とのつながりで
人間とAIとの違いを考える視点が
新たな視界を与えてくれる。
今この瞬間も、
未来を望むときも、
絶えず忘却不可能な
過去が反響している、
自己固有な来歴のうねりだ。
繰り返したい。
人間にとっての時間とは、
自己固有な来歴のうねりだ。
そして、次の記述に繋がっていく。
そして消えていく。
消滅とは、無への抹消ではない。
人間における心の消滅とは、
別の再生のための潜水、
巨大な来歴のうねりのなかへの回帰だ。
生成とは無からの創造ではない。
人間における心の生成とは、
夥しい数の失われたものたちからの
再生である。
私的「声に出して読みたい日本語」に
登録決定の名文だ。
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