じぷんの記憶をよく耕すこと
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じぷんの記憶をよく耕すこと
- 詩人長田弘さんの言葉 -
詩人 長田弘さんのこの本は、
エッセイ集と呼んでいいのだろうか?
表紙カバーには
「詩文集」と紹介されているけれど。
長田弘 (著)
記憶のつくり方
晶文社
(以下水色部、本からの引用)
詩人らしい丁寧な言葉で、
長田さんが出会ったさまざまな景色が
語られている。
それは、
すでに過ぎ去ったもののことでなく、
むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。
とどまるのが記憶であり、
じぶんのうちに確かにとどまって、
じぶんの現在の
土壌となってきたものは、記憶だ。
なるほど。
記憶は過ぎ去ったものではなく、
過ぎ去らなかったものだ。
だから残っているわけで。
そして次の言葉に続く。
季節のなかで手をかけて
そだてることができなければ、
ことばはなかなか実らない。
じぷんの記憶をよく耕すこと。
その記憶の庭にそだってゆくものが、
人生とよばれるものなのだと思う。
「じぶんの記憶をよく耕す」とは
どういうことだろう。
以前書いた
ギスギスせずに生きるために
を思い出した。
そこに引用した通り、
劇作家の野田秀樹さんは
「あれはなんだったんだろう」
ということがあっても、
それをため込んで
持っていてくれればいい
と言っていた。
それは
野田さんの芝居に限ったことではなく、
丁寧に思い返すと日々の生活にも
「あれはなんだったんだろう」
が溢れている。
でも、意味なんてわからなくて
意味なんて特になくても、
ふとした折に、
思い出してしまうような
エピソードはいろいろある。
思い出すたびに
なぜかちょっとほっこり
心休まる景色もある。
それらを、ただ「懐かしい」と言って
流してしまうのではなく、
その都度、そのときの立場と気持ちで
再度味わってみる。
そのときの視点で考え直してみる。
それこそが
「じぶんの記憶をよく耕す」
ということなのではないだろうか。
理解できなくても、わからなくても、
自分の経験を大事に
「ため込んで持って」いるということは、
「耕す」機会が多いという点でも
大きな価値がある。
「その記憶の庭に
そだってゆくものこそが人生」なら
より豊かな土壌にしたいものだ。
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