ドラマ「すいか」のセリフから
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ドラマ「すいか」のセリフから
- そんな大事なものをたった三億円で -
夏になると
木皿泉さんの脚本で放送された
テレビドラマ「すいか」を
見返したくなる。
主演は小林聡美さん。
放送は2003年の夏だったので
もう20年も前のドラマということになるが、
今でもブルーレイやDVD-BOXが
On Sale状態なのは、
ファンとして嬉しい限りだ。
三軒茶屋にある
賄いつきの下宿「ハピネス三茶」を舞台に
そこに住む四人の女性を中心に描かれる
小さな物語。
小林聡美さん、ともさかりえさん、
市川実日子さん、浅丘ルリ子さん
が四人をみごとに演じている。
当初シナリオブックも出たが、
たった3千部だったらしく、
手に入れるのが難しかった。
ところがその後、
河出書房新社からの文庫で再発売となり
今は入手可能。
木皿 泉 (著)
すいか 1
河出文庫 <2巻構成>
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに)
Kindleでは「合本版」もある。
とにかくシナリオがすばらしいので
名セリフを紹介し始めると
キリがないのだが、
まさに独断と偏見で
3つのシーンだけ
特別にピックアップして紹介したい。
以下水色部は、
シナリオブックからの引用。
(1)
響一という22歳の男性が
モモちゃんという女性の誕生日に
大きなケーキを用意する。
ところが、あっさりフラれてしまう。
ケーキの処分に困った響一は、
女性が多い「ハピネス三茶」でなら
食べてもらえるのでは、と
ケーキを持って「ハピネス三茶」に
やってくる。
ケーキの行き先は決まったものの、
添えていたバースディカードの方は?
響一は「ハピネス三茶」の庭に
穴を掘って埋めることにする。
うずくまる響一の背中から
住人のひとり、大学教授の夏子が
そっとシャベルを差し出し
語りかける。
響一「あ(頭を下げて、受け取る)」
夏子「(埋めるのを見ている)
もっと深い方がいいんじゃない」
響一「(掘る)あのー、
こんな所に、こんなもの、
埋めちゃっていいんでしょうか」
夏子「どうして?
ここに住んでた人は、
皆そうしてきたわよ」
響一「そうしてきたって?」
夏子「忘れたい物は、
みんな埋めていいの。
伝ちゃんだって - 」
響一「伝ちゃんって、
間々田さんですか?」
夏子「(頷く)伝ちゃんだって、
泣きながら、土、
掘ってた事あったわよ」
(中略)
夏子「(ニッと笑う)学生ン時から
住んでるのよ、私。
大人になって、皆、
ここを出て行ったけど、
私だけ、ずっと、ここに居るの。
時間の止まった
吸血鬼みたいでしょう?
(埋めおわった所をトントン踏む)
ハイ、終わり!
ほら、アナタも踏んで」
響一「(も踏みつつ)
-オレだけじゃないんだ。
埋めたの」
夏子「みんな、
何かしら埋めて生きてるもんです」
響一「(少し笑う)」
夏子「安心して忘れなさい。
私が覚えておいてあげるから」
確かに皆、
「何かしら埋めて生きてるもん」だ。
でも、それに対して、
「安心して忘れなさい。
私が覚えておいてあげるから」
と言ってくれる人がいることの
なんとあたたかいことよ。
(2)
信用金庫のOL基子 34歳 独身。
基子の同僚 馬場チャンは、
信用金庫から3億円を横領して逃亡中。
逃亡中ではあるが、基子が住む
賄いつきの下宿「ハピネス三茶」を
ちょっと覗いたあと、
川原で基子とこっそり会う。
「ハヤカワの下宿、行った時さ、
梅干しの種見て、泣けた」
基子「梅干しの種?」
馬場チャン
「朝御飯、食べた後の食器にね、
梅干しの種が、それぞれ、
残ってて -
何か、それが、
愛らしいって言うか
つつましいって言うか -
あ、生活するって、
こういうことなんだなって、
そう思ったら、泣けてきた」
基子「そんな、おおげさだよ」
馬場チャン
「全然、おおげさじゃないよ」
基子「 - 」
馬楊チャン
「掃除機の音、
ものすごく久しぶりだった。
お茶碗やお皿が触れ合う音とか、
庭に水をまいたり、
台所で何かこしらえたり、
それ皆で食べたり -
みんな、私にないものだよ」
基子「 - 」
馬場チャン
「私、そんな大事なもの、
たった三億円で
手放しちゃったんだよね」
基子「 - 」
逃亡生活を続ける馬場チャンが
目にした生活の風景、音。
なにげない日常の、
ごくこく普通の生活のその愛おしさを
こんなにうまく表現できるなんて。
そぉ、
「生活するって、こういうことなんだ」
(3)
馬場チャンのひと言に基子はこう返す。
「(ため息)また、
似たような一日が始まるんだね」
基子、振り返る。
基子「馬場チャン、
似たような一日だけど、
全然違う一日だよ」
我々は、繰り返す日常を
どうして「似たような一日」と
思ってしまうのだろう。
同じ時間は、二度とないのに。
似ていたとしても、
実際には「全然違う一日」なのだ。
「全然違う」そう思いながら
新たな一日を、毎日を、
楽しみたいものだ。
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