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2023年8月

2023年8月27日 (日)

あそこに戻れば大丈夫

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あそこに戻れば大丈夫

- 財産とはまさにこういうもの -

 

二回続けて、2003年に放送された
テレビドラマ「すいか」について
書いてきたが、もう一回だけ書いて
一区切りとしたいと思う。

冒頭部、DVDと
書籍化された脚本の紹介部分は
前回と同じ。
繰り返しの掲載、ご容赦あれ。
(前記事との重複部分は読み飛ばしたい
 ということであれば
 ここをクリック下さい)

=+=+=+=+=+=+=+=+=

夏になると
木皿泉さんの脚本で放送された
テレビドラマ「すいか」を
見返したくなる。
主演は小林聡美さん。

放送は2003年の夏だったので
もう20年も前のドラマということになるが、
今でもブルーレイやDVD-BOXが
On Sale状態なのは、
ファンとして嬉しい限りだ。

ブルーレイBOX


DVD BOX

三軒茶屋にある
賄いつきの下宿「ハピネス三茶」を舞台に
そこに住む四人の女性を中心に描かれる
小さな物語。

小林聡美さん、ともさかりえさん、
市川実日子さん、浅丘ルリ子さん
が四人をみごとに演じている。

当初シナリオブックも出たが、
たった3千部だったらしく、
手に入れるのが難しかった。
ところがその後、
河出書房新社からの文庫で再発売となり
今は入手可能。

木皿 泉 (著)
すいか 1

河出文庫 <2巻構成>

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに)

Kindleでは「合本版」もある。

=+=+=+=+=+=+=+=+=

今日は、上の河出文庫「すいか2」にある
「文庫版あとがき」を紹介したい。
(以下水色部は本からの引用)

前回も書いた通り、
「木皿泉」というのは実際にはご夫婦で、
共同執筆。
「二人」「私たち」
という言葉を使っているのは、
そのせいだ。

執筆時をこんな風に振り返っている。

けっして若くなく、
書く仕事だけでは食べてゆけず、
魚を売ったり
コーヒー豆を売ったりする
パートに出ていた。

いつもお金はなく、
名前も知られず、野望もなく、
二人でしょーむない話をしては
ゲラゲラ笑い
お金にならない話を考えては
二人で褒めあい
本をよく読み、ビデオを観て、
食べたい時に食べたい物を食べ、
眠りたい時に眠っていた。

経済的にはともかく
精神的に豊かな時間を
過ごしていたことはよくわかる。
だからこそ
あんな脚本が書けたのであろう。


私たちは、とっくに、
こうあらねばならない、
というものを捨てていた


フツーでないことに、
少し焦りもしていた。
でも、自分たちが
おもしろいと思うものは、
けっして手ばなさなかった。

「すいか」を読み返すと、
その時の私たちの生活や
考えていたことが立ち上ってくる。

こんな台本、もう書けないと思う

いまだに人に会うごとに
「『すいか』観ましたよ」と
声をかけてもらえるらしいが、
そういったヒットは
これまでにない制約を
課してくる面もある。

ケンカっぱやくて、
書くのが遅いのは昔のままだが、
今は木皿泉という名前が少し売れて、
売れればその期待を背負わねばならず、
「すいか」を書いていた時のように
全てのものから
解放されることはもうないだろう

それでも木皿さんは、
次のような素敵な言葉で
この作品を位置づけている。

52歳と46歳の私たちに、
コワイものなど何ひとつなかった。
これは私たちの財産だ。
何があっても、あそこに戻れば
大丈夫と今も思っている。

そう、創作に限らず、
人生における財産とは
つまりはこういうものなのでは
ないだろうか。

「あそこに戻れば大丈夫」
と思えるものがあることの
なんと心強いことよ。

 

 

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2023年8月20日 (日)

食べるものを恵んでもらおう、という決め事

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食べるものを恵んでもらおう、という決め事

- 木皿泉さんの脚本裏話 -

 

今回も、2003年に放送された
テレビドラマ「すいか」について
書きたいと思う。

冒頭部、DVDと
書籍化された脚本の紹介部分は
前回と同じ。
繰り返しの掲載、ご容赦あれ。
(前記事との重複部分は読み飛ばしたい
 ということであれば
 ここをクリック下さい)

=+=+=+=+=+=+=+=+=

夏になると
木皿泉さんの脚本で放送された
テレビドラマ「すいか」を
見返したくなる。
主演は小林聡美さん。

放送は2003年の夏だったので
もう20年も前のドラマということになるが、
今でもブルーレイやDVD-BOXが
On Sale状態なのは、
ファンとして嬉しい限りだ。

ブルーレイBOX


DVD BOX

三軒茶屋にある
賄いつきの下宿「ハピネス三茶」を舞台に
そこに住む四人の女性を中心に描かれる
小さな物語。

小林聡美さん、ともさかりえさん、
市川実日子さん、浅丘ルリ子さん
が四人をみごとに演じている。

当初シナリオブックも出たが、
たった3千部だったらしく、
手に入れるのが難しかった。
ところがその後、
河出書房新社からの文庫で再発売となり
今は入手可能。

木皿 泉 (著)
すいか 1

河出文庫 <2巻構成>

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに)

Kindleでは「合本版」もある。

=+=+=+=+=+=+=+=+=

今日は、上の河出文庫「すいか2」にある
「あとがき」を紹介したい。
(以下水色部は本からの引用)

ドラマのセリフにはなかった
脚本家「木皿泉」さんの声だ。

そうそう、「木皿泉」というのは
実際にはご夫婦で、共同執筆。
「私たち」という
一人称を使っているのは、そのせいだ。

「すいか」を書くにあたって、
私たちだけの密かな決め事があった。

それは、毎回、誰かに食べるものを
恵んでもらおう
という事である。

刺し身のトロに始まって、ケーキ、
豆腐、桃、メロン、米、松阪牛、
饅頭、松茸。

ハピネス三茶の住人は、
かくも様々な食べ物を
人様(ひとさま)から
分けていただいてきた。

 昔は、到来物があると、
近所に配ったり
配られたりしたものである。が、
いつの間にか、見ず知らずの人に
食べ物を分けてもらうのは、
どこか気の重い事に
なってしまったようだ。

なんておもしろい「決め事」だろう。
「食べ物を恵んでもらう」なんて。
改めて気をつけて見てみると
確かに、いろいろな食べ物が
うまく組み込まれている。

「すいか」は、ハピネス三茶という
下宿の中だけで繰り広げられる、
それこそ閉じられた世界のドラマだが、
だからこそ、
どこかで世間とつながっている事を
描いておきたかった。

ある時は、拾い物であったり、
おすそ分けであったり、
押しつけられたものであったり、
失敬してきたものであったり、と
様々な形ではあるが、
外から食べ物がやってきて、
それを住人たちは何のためらいもなく
口にする


そういうふうに、
世間とちゃんと
つながっている人たちを描こう。
これが二人で決めた約束事だった。

そもそも賄い付きの下宿を
舞台にしているため、ドラマでは
一緒に食べるシーンや料理、
大きなテーブルが
効果的に使われている。

それに加えて、到来物を
自己ルールとして設定していたなんて。

「もらう」、「皆で分ける」、
そこには金銭による交換や分配にはない
特別な人の繋がりがある。

ゴリラの生態を通して
「円くなって向き合いながら
一緒に同じものを食べる」ことの意味を
人類学者の山極壽一さんが
語っていたことを、以前
「円くなって穏やかに同じものを食べる」
に書いた。

その記事の最後の部分を引用したい。

そう言えば、
故郷の「」という字は、
ふたりが食物をはさんで
向かい合っている様子
」を
表している、と聞いたことがある。
確かによく見るとそんな形、
構成になっている。

そこにある「音」が「響」であり、
そういった
飲食のもてなしが「饗」であると。

「円くなって向き合いながら
 一緒に同じものを
 穏やかに食べられる場所」
それがまさに、ふるさと(故郷)。

食べるものを通じて
「ハピネス三茶」は
住人にとっての
まさに故郷になっていった。

 

 

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2023年8月13日 (日)

ドラマ「すいか」のセリフから

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ドラマ「すいか」のセリフから

- そんな大事なものをたった三億円で -

 

夏になると
木皿泉さんの脚本で放送された
テレビドラマ「すいか」を
見返したくなる。
主演は小林聡美さん。

放送は2003年の夏だったので
もう20年も前のドラマということになるが、
今でもブルーレイやDVD-BOXが
On Sale状態なのは、
ファンとして嬉しい限りだ。

ブルーレイBOX


DVD BOX

三軒茶屋にある
賄いつきの下宿「ハピネス三茶」を舞台に
そこに住む四人の女性を中心に描かれる
小さな物語。

小林聡美さん、ともさかりえさん、
市川実日子さん、浅丘ルリ子さん
が四人をみごとに演じている。

当初シナリオブックも出たが、
たった3千部だったらしく、
手に入れるのが難しかった。
ところがその後、
河出書房新社からの文庫で再発売となり
今は入手可能。

木皿 泉 (著)
すいか 1

河出文庫 <2巻構成>

(書名または表紙画像をクリックすると
 別タブでAmazon該当ページに)

Kindleでは「合本版」もある。

とにかくシナリオがすばらしいので
名セリフを紹介し始めると
キリがないのだが、
まさに独断と偏見で
3つのシーンだけ
特別にピックアップして紹介したい。
以下水色部は、
シナリオブックからの引用

 

(1)
響一という22歳の男性が
モモちゃんという女性の誕生日に
大きなケーキを用意する。
ところが、あっさりフラれてしまう。

ケーキの処分に困った響一は、
女性が多い「ハピネス三茶」でなら
食べてもらえるのでは、と
ケーキを持って「ハピネス三茶」に
やってくる。

ケーキの行き先は決まったものの、
添えていたバースディカードの方は?

響一は「ハピネス三茶」の庭に
穴を掘って埋めることにする。

うずくまる響一の背中から
住人のひとり、大学教授の夏子が
そっとシャベルを差し出し
語りかける。

夏子「これ(使えば?)」
響一「あ(頭を下げて、受け取る)」
夏子「(埋めるのを見ている)
   もっと深い方がいいんじゃない」
響一「(掘る)あのー、
   こんな所に、こんなもの、
   埋めちゃっていいんでしょうか」

夏子「どうして?
   ここに住んでた人は、
   皆そうしてきたわよ」
響一「そうしてきたって?」
夏子「忘れたい物は、
   みんな埋めていいの

   伝ちゃんだって - 」

響一「伝ちゃんって、
   間々田さんですか?」
夏子「(頷く)伝ちゃんだって、
   泣きながら、土、
   掘ってた事あったわよ」

(中略)

夏子「(ニッと笑う)学生ン時から
   住んでるのよ、私。
   大人になって、皆、
   ここを出て行ったけど、
   私だけ、ずっと、ここに居るの。
   時間の止まった
   吸血鬼みたいでしょう?
   (埋めおわった所をトントン踏む)
   ハイ、終わり!
   ほら、アナタも踏んで」
響一「(も踏みつつ)
   -オレだけじゃないんだ。
    埋めたの」

夏子「みんな、
   何かしら埋めて生きてるもんです


響一「(少し笑う)」

夏子「安心して忘れなさい。
   私が覚えておいてあげるから

確かに皆、
「何かしら埋めて生きてるもん」だ。

でも、それに対して、
「安心して忘れなさい。
 私が覚えておいてあげるから」
と言ってくれる人がいることの
なんとあたたかいことよ。

 

(2)
信用金庫のOL基子 34歳 独身。
基子の同僚 馬場チャンは、
信用金庫から3億円を横領して逃亡中。

逃亡中ではあるが、基子が住む
賄いつきの下宿「ハピネス三茶」を
ちょっと覗いたあと、
川原で基子とこっそり会う。

馬場チャン
  「ハヤカワの下宿、行った時さ、
   梅干しの種見て、泣けた
基子「梅干しの種?」

馬場チャン
  「朝御飯、食べた後の食器にね、
   梅干しの種が、それぞれ、
   残ってて - 
   何か、それが、
   愛らしいって言うか
   つつましいって言うか - 
   あ、生活するって、
   こういうことなんだなって、
   そう思ったら、泣けてきた

基子「そんな、おおげさだよ」

馬場チャン
  「全然、おおげさじゃないよ」
基子「 - 」

馬楊チャン
  「掃除機の音、
   ものすごく久しぶりだった。
   お茶碗やお皿が触れ合う音とか、
   庭に水をまいたり、
   台所で何かこしらえたり、
   それ皆で食べたり -
   みんな、私にないものだよ」
基子「 - 」
馬場チャン
  「私、そんな大事なもの、
   たった三億円で
   手放しちゃったんだよね

基子「 - 」

逃亡生活を続ける馬場チャンが
目にした生活の風景、音。

なにげない日常の、
ごくこく普通の生活のその愛おしさを
こんなにうまく表現できるなんて。

そぉ、
「生活するって、こういうことなんだ」

 

(3)
馬場チャンのひと言に基子はこう返す。

馬場チャン
  「(ため息)また、
   似たような一日が始まるんだね」

  基子、振り返る。

基子「馬場チャン、
   似たような一日だけど、
   全然違う一日だよ

我々は、繰り返す日常を
どうして「似たような一日」と
思ってしまうのだろう。
同じ時間は、二度とないのに。

似ていたとしても、
実際には「全然違う一日」なのだ。

「全然違う」そう思いながら
新たな一日を、毎日を、
楽しみたいものだ。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2023年8月 6日 (日)

じぷんの記憶をよく耕すこと

(全体の目次はこちら


じぶんの記憶をよく耕すこと

- 詩人長田弘さんの言葉 -

 

詩人 長田弘さんのこの本は、
エッセイ集と呼んでいいのだろうか?
表紙カバーには
「詩文集」と紹介されているけれど。

長田弘 (著)
記憶のつくり方
晶文社

(以下水色部、本からの引用)

詩人らしい丁寧な言葉で、
長田さんが出会ったさまざまな景色が
語られている。

記憶は、過去のものでない
それは、
すでに過ぎ去ったもののことでなく、
むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。

とどまるのが記憶であり、
じぶんのうちに確かにとどまって、
じぶんの現在の
土壌となってきたものは、記憶だ

なるほど。
記憶は過ぎ去ったものではなく、
過ぎ去らなかったものだ。
だから残っているわけで。

そして次の言葉に続く。

記憶という土の中に種子を播いて、
季節のなかで手をかけて
そだてることができなければ、
ことばはなかなか実らない

じぶんの記憶をよく耕すこと
その記憶の庭にそだってゆくものが、
人生とよばれるものなのだと思う。

「じぶんの記憶をよく耕す」とは
どういうことだろう。

以前書いた
ギスギスせずに生きるために
を思い出した。
そこに引用した通り、
劇作家の野田秀樹さんは

観た時には完璧に理解されず、
「あれはなんだったんだろう」
ということがあっても、
それをため込んで
持っていてくれればいい

と言っていた。

それは
野田さんの芝居に限ったことではなく、
丁寧に思い返すと日々の生活にも
「あれはなんだったんだろう」
が溢れている。

でも、意味なんてわからなくて
意味なんて特になくても、
ふとした折に、
思い出してしまうような
エピソードはいろいろある。

思い出すたびに
なぜかちょっとほっこり
心休まる景色もある。

それらを、ただ「懐かしい」と言って
流してしまうのではなく、
その都度、そのときの立場と気持ちで
再度味わってみる。
そのときの視点で考え直してみる。
それこそが
「じぶんの記憶をよく耕す」
ということなのではないだろうか。

理解できなくても、わからなくても、
自分の経験を大事に
「ため込んで持って」いるということは、
「耕す」機会が多いという点でも
大きな価値がある。

「その記憶の庭に
 そだってゆくものこそが人生
」なら
より豊かな土壌にしたいものだ。

 

 

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