旧穴守稲荷神社大鳥居
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旧穴守稲荷神社大鳥居
- 浄化海水プールと強制立ち退き -
下流は、
東京都と神奈川県の都県境を流れる
多摩川。
その河口部北側には、現在、東京国際空港
通称「羽田空港」が広がっているが、
位置的にその東隅にあたる
下記地図の赤い星印のところに行ってみると、
大きな鳥居を目にすることになる。
(地図はGoogle Mapから。
以下、写真はすべて2023年5月に撮影)

旧穴守稲荷神社大鳥居

元あった場所から移設されて
今は川のすぐ横にある。

そばには小さな掲示板があり
鳥居とその近辺の歴史について
知ることができる。

この掲示板、
読んでみたら知らなかったことばかりで
たいへん面白かった。
特に2つのトピックスについて
掲示板情報を要約しながら紹介したい。
(資料写真も掲示板にあったものから)
(1) 海水浴場と浄化海水プール
1902年 京浜電鉄が京浜蒲田駅から
穴守稲荷神社へ向けて
支線を延ばす。穴守線開業。
1909年 干潟を埋め立てて羽田運動場を開設
1911年 羽田海水浴場開設
大桟橋に海の家をもつ海水浴場の賑わいは
こんなにすごかったようだ。

その後、
1913年 干潮満潮に関係なく泳げる遊泳池を
羽田運動場の中につくる。
この羽田運動場に隣接して
社団法人日本運動倶楽部が、
野球場のほか、テニスコートや遊園地、
自転車競技場なども開場。
穴守稲荷神社一帯は、
明治時代後半から大正時代にかけて
一大行楽地となる。
1932年 東洋一の浄化海水プール開設。
その大きさといい、人の数といい、
プールの写真には驚かされる。

(2) 住民の立ち退きと鳥居の移設
第二次世界大戦終戦後
1945(昭和20)年9月13日付「朝日新聞」
マッカーサー司令部が
羽田飛行場の引き渡しと同時に、
滑走路拡張のため
海岸線埋立ての設備の提供と、
飛行場付近の一部の住民に対して
立ち退きが
命ぜられることになった、
と伝えている。
1945(昭和20)年9月21日
海老取川から東側に居住する
全住民(羽田鈴木町、羽田穴守町、
羽田江戸見町)に対し、
12時間以内に立ち退くようにとの
緊急命令が出された。
「12時間以内」とは!
対象は約1200世帯3000人超。
その後、GHQとの交渉により
48時間以内という譲歩をとりつけたが、
それ以降、立ち入ったものに対しては
生命の保障はしないという、
厳しい条件もつけられた 。
住民たちは近隣の親戚・知人を頼りに、
リヤカー、車力、または多摩川からの船で、
身の回りのものを運び出した。
空港の拡張工事にあたっては、
穴守稲荷神社の社殿も壊された。
その際、鳥居を倒そうとしたところ、
ロープが切れ
作業員が怪我をするという事故が発生。
いったん作業は中止された。
ところが、再開すると、
今度は工事責任者が病死。
「これは、穴守さまのたたりだ」
という噂を
稲荷信仰などあるはずもないGHQは、
どう聞いていたことだろう。
結局、何回やっても撤去できないため、
そのままそこに残すことになった。
以降、50年近く、羽田空港の駐車場内に
ぼつりと取り残された大鳥居。

1999年2月、空港の拡張工事に合わせて
2日かけて移転工事が行われた。
赤い鳥居は、
いま弁天橋のたもとに移設され、
羽田空港(元の穴守稲荷神社)を
見守っている。

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