野川遡行(1) 次大夫堀公園まで
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野川遡行(1) 次大夫堀公園まで
- 58歳から73歳までの大工事 -
東京都国分寺市に水源があり、
東京都世田谷区の二子玉川で
多摩川に合流する
全長約20kmの「野川」を、
水源近くの西国分寺あたりから、
調布市の「御塔坂(おとざか)橋」まで、
友人たちとのんびりと歩いた様子を、
ここから5回に分けて書いたが、
出発地と御塔坂橋を
Google Map上、直線で結ぶと
下記地図の青い矢印になる。
野川全体で見ると半分弱、
上流側のみを歩いたことになる。

というわけで(?)、
歩けなかった残り半分を
今度は合流地点の多摩川側から
遡行してみようということになった。
野川・多摩川合流地点(二子玉川)から
御塔坂橋までを直線で結ぶと
上記地図の赤い矢印になる。
2日分の行程を合わせて
野川制覇(!?)ということになる。
歩いたのは2023年4月。東急田園都市線
二子玉川駅で友人と待ち合わせて出発。
川に出ようと歩き始めると、
さっそくコレが。

ちょっと見にくいが左側、
「玉川西陸閘」とある。
陸閘(りっこう)とは
通常時は生活のために通行出来るよう
途切れているが、増水時には塞いで
住宅地への水の侵入を防ごうというもの。
多摩川の河口近くでも
古く小さなものを目にしたが、
ここのものは高さも大人の身長以上あり
かなり大きい。

河原に出た。
東急田園都市線の鉄橋が見える。
さぁ、合流地点をさがそう。

と歩き始めたのだが、
野川、多摩川の合流地点では
ちょうど大規模な工事が行われていた。

工事の看板の中には
「週休2日実施中」の文字が。
工事作業者の労働環境が
改善されるのはいいことだが、
それをあえて看板で
アピールしなければならない事情には
複雑なものがある気がする。
工事の作業現場に「野川」を探すと
ここ。

パイプの中を通った水が、
右から左に流れ出ており、
多摩川に合流している。
パイプに流れ込むところはこんな感じ。
手前から奥に向かって流れている。

上に見えるのは、
田園都市線「二子玉川駅」。
橋の上にホームがはみ出している。
多摩川と野川に囲まれた
ハの字(左を上にしてのハ)の部分は
「兵庫島公園」と呼ばれている。

兵庫とは?と思うが、
公園内にあった説明によると
新田義貞の子義興(よしおき)の従者
由良兵庫助に由来するらしい。
1358年 多摩川稲城矢口の渡しでの戦いで、
と紹介されているから
660年以上も前のこと。
当時はこの付近、
どんな様子だったのだろう?

上に貼った公演案内図にもある通り、
兵庫島公園内には池や水路(川)もある。

「多摩川の河原の中に、わざわざ
人工の川が作られている」感じで
どうも落ち着かない。
少し歩くと、多摩川から離れ、野川が
川らしい姿を見せてくれるようになった。

4月のみどりが美しい。

多摩川の河原には、
天然芝のサッカー場が何面も広がっている。

日曜日だったこともあり、
子どもたちの元気な声が響いている。
野川の河原には
「セイヨウアブラナ」と思われる
黄色い花が沢山咲いている。

途中、ちょっと寄り道をして、
「砧本村」のバス停留所に寄ってみた。

ここは玉川電気鉄道(通称「玉電」)
東急砧(きぬた)線
「砧本村(きぬたほんむら)」駅の跡地で、
1969年の東急砧線廃止後に
東急バスのバス折り返し所および
「砧本村」バス停になった。
バスが折り返せるよう
ちょっと広場になっており、
赤い「ON DEMAND BUS」も停まっていた。

予約によって運行が決まる
オンデマンドバスは、
公共交通不便地域の解消を目的に、
地方だけでなく
都市部でも導入が進んでいるようだ。
「砧本村」駅跡地のすぐ横には、
東京都水道局砧下浄水所がある。
多摩川で取水した水を浄化し、
東京に送り込むために1923年に竣工。
そこから渋谷方面への水道管が、
野川の上を跨いでいた時期がある。
1960年から2006年までの46年間。
水道管を支えていた「野川水道橋」は
今はレリーフで残されている。

現在の橋には水道管は通っていない。
2006年以降、
水道本管は川底を通るようになったようだ。
途中、「仙川」が「野川」に流れ込む
合流地点も通る。
仙川遡行も魅力的だが、誘惑を振り払って
今日は野川沿いを進む。
東名高速道路の下を流れるところまで来た。
工事用の大きな柵で覆われていて
中や地下までは見えないが、このあたり、
かなり大規模な工事が行われている。

地下工事が原因で調布市の住宅街が陥没、
で話題になった東京外郭環状道路(外環)を、
将来的にはここで
東名高速につなげる計画になっている。
2023年現在、
関越道の大泉JCTまでが開通している外環。
大泉JCTからここまで約16km、
地下がメインとはいえ、
工事は着々と進んでいるようだ。
外環合流地点の少し上流、
川沿いからそのまま緑道を歩いて、
「世田谷区立次大夫堀公園」に
寄ってみることにした。
「じだゆうぼり」とふりがながある。

次大夫堀とは、六郷用水の別名で、
江戸時代に多摩川から引水した農業用水路。
徳川家康の命により、
小泉次大夫の指揮によって開削された。
公園内のパンフレットによると、
今の東京都側だけでなく、
神奈川県側も合わせた
稲毛・川崎、世田谷・六郷 計四ヶ領で
開削された用水は、
1597年から作業が始まり、
測量から小堀の開削終了まで
実に15年の歳月がかけられたという。
驚くのは、指揮をした小泉次大夫の年齢。
「58歳から73歳までの晩年の大工事」
とのこと。
伊能忠敬が
「大日本沿海輿地全図」製作のために
歩き出したのが1800年、55歳のときで、
それから17年かけて全国を歩いた。
の話を知ったときの驚きを思い出す。
どちらも「平均寿命が40歳以下」
と言われている時代の話だ。
園内には、
昭和4年の地図が掲示されていた。
多摩川とその周辺の川と用水。
なんだか川が、のびのびというか
いきいきしている。
窮屈な感じがしないのはなぜだろう。

公園全体としては、
名主屋敷、民家2棟などが移築されており、
次大夫堀や水田とあわせて、
江戸時代後期から明治時代初期にかけての
農村風景に触れることが
できるようになっている。

野川の遡行、
調布市の「御塔坂(おとざか)橋」を目指して
次回も続けたい。
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