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2023年6月

2023年6月25日 (日)

野川遡行(1) 次大夫堀公園まで

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野川遡行(1) 次大夫堀公園まで

- 58歳から73歳までの大工事 -

 

東京都国分寺市に水源があり、
東京都世田谷区の二子玉川で
多摩川に合流する
全長約20kmの「野川」を、
水源近くの西国分寺あたりから、
調布市の「御塔坂(おとざか)橋」まで、
友人たちとのんびりと歩いた様子を、
ここから5回に分けて書いたが、
出発地と御塔坂橋を
Google Map上、直線で結ぶと
下記地図の青い矢印になる。

野川全体で見ると半分弱、
上流側のみを歩いたことになる。

Nogawaa2

というわけで(?)、
歩けなかった残り半分を
今度は合流地点の多摩川側から
遡行してみようということになった。

野川・多摩川合流地点(二子玉川)から
御塔坂橋までを直線で結ぶと
上記地図の赤い矢印になる。

2日分の行程を合わせて
野川制覇(!?)ということになる。

 

歩いたのは2023年4月。東急田園都市線
二子玉川駅で友人と待ち合わせて出発。

川に出ようと歩き始めると、
さっそくコレが。

P4162413s

ちょっと見にくいが左側、
「玉川西陸閘」とある。

陸閘(りっこう)とは
通常時は生活のために通行出来るよう
途切れているが、増水時には塞いで
住宅地への水の侵入を防ごうというもの。

多摩川の河口近くでも
古く小さなものを目にしたが、
ここのものは高さも大人の身長以上あり
かなり大きい。

P4162415s

河原に出た。
東急田園都市線の鉄橋が見える。
さぁ、合流地点をさがそう。

P4162416s

と歩き始めたのだが、
野川、多摩川の合流地点では
ちょうど大規模な工事が行われていた。

P4162417s

工事の看板の中には
「週休2日実施中」の文字が。
工事作業者の労働環境が
改善されるのはいいことだが、
それをあえて看板で
アピールしなければならない事情には
複雑なものがある気がする。

工事の作業現場に「野川」を探すと
ここ。

P4162421s

パイプの中を通った水が、
右から左に流れ出ており、
多摩川に合流している。

パイプに流れ込むところはこんな感じ。
手前から奥に向かって流れている。

P4162429s

上に見えるのは、
田園都市線「二子玉川駅」。
橋の上にホームがはみ出している。

 

多摩川と野川に囲まれた
ハの字(左を上にしてのハ)の部分は
「兵庫島公園」と呼ばれている。

P4162428s

兵庫とは?と思うが、
公園内にあった説明によると
新田義貞の子義興(よしおき)の従者
由良兵庫助に由来するらしい。

1358年 多摩川稲城矢口の渡しでの戦いで、
と紹介されているから
660年以上も前のこと。
当時はこの付近、
どんな様子だったのだろう?

P4162430s


上に貼った公演案内図にもある通り、
兵庫島公園内には池や水路(川)もある。

P4162437s

「多摩川の河原の中に、わざわざ
 人工の川が作られている」感じで
どうも落ち着かない。

少し歩くと、多摩川から離れ、野川が
川らしい姿を見せてくれるようになった。

P4162442s

4月のみどりが美しい。

P4162445s

多摩川の河原には、
天然芝のサッカー場が何面も広がっている。

P4162447s

日曜日だったこともあり、
子どもたちの元気な声が響いている。

野川の河原には
「セイヨウアブラナ」と思われる
黄色い花が沢山咲いている。

P4162451s


途中、ちょっと寄り道をして、
「砧本村」のバス停留所に寄ってみた。

P4162465s

ここは玉川電気鉄道(通称「玉電」)
東急砧(きぬた)線
「砧本村(きぬたほんむら)」駅の跡地で、
1969年の東急砧線廃止後に
東急バスのバス折り返し所および
「砧本村」バス停になった。

バスが折り返せるよう
ちょっと広場になっており、
赤い「ON DEMAND BUS」も停まっていた。

P4162467s

予約によって運行が決まる
オンデマンドバスは、
公共交通不便地域の解消を目的に、
地方だけでなく
都市部でも導入が進んでいるようだ。

 

「砧本村」駅跡地のすぐ横には、
東京都水道局砧下浄水所がある。
多摩川で取水した水を浄化し、
東京に送り込むために1923年に竣工。

そこから渋谷方面への水道管が、
野川の上を跨いでいた時期がある。
1960年から2006年までの46年間。

水道管を支えていた「野川水道橋」は
今はレリーフで残されている。

P4162473s

現在の橋には水道管は通っていない。
2006年以降、
水道本管は川底を通るようになったようだ。

 

途中、「仙川」が「野川」に流れ込む
合流地点も通る。
仙川遡行も魅力的だが、誘惑を振り払って
今日は野川沿いを進む。

東名高速道路の下を流れるところまで来た。

工事用の大きな柵で覆われていて
中や地下までは見えないが、このあたり、
かなり大規模な工事が行われている。

P4162480s

地下工事が原因で調布市の住宅街が陥没、
で話題になった東京外郭環状道路(外環)を、
将来的にはここで
東名高速につなげる計画になっている。

2023年現在、
関越道の大泉JCTまでが開通している外環。
大泉JCTからここまで約16km、
地下がメインとはいえ、
工事は着々と進んでいるようだ。

 

外環合流地点の少し上流、
川沿いからそのまま緑道を歩いて、
世田谷区立次大夫堀公園」に
寄ってみることにした。
「じだゆうぼり」とふりがながある。

P4162496s

次大夫堀とは、六郷用水の別名で、
江戸時代に多摩川から引水した農業用水路
徳川家康の命により、
小泉次大夫の指揮によって開削された。

公園内のパンフレットによると、
今の東京都側だけでなく、
神奈川県側も合わせた
稲毛・川崎、世田谷・六郷 計四ヶ領で
開削された用水は、
1597年から作業が始まり、
測量から小堀の開削終了まで
実に15年の歳月がかけられたという。

驚くのは、指揮をした小泉次大夫の年齢。
「58歳から73歳までの晩年の大工事」

とのこと。

伊能忠敬が
「大日本沿海輿地全図」製作のために
歩き出したのが1800年、55歳のときで、
それから17年かけて全国を歩いた。
の話を知ったときの驚きを思い出す。

どちらも「平均寿命が40歳以下」
と言われている時代の話だ。

園内には、
昭和4年の地図が掲示されていた。
多摩川とその周辺の川と用水。
なんだか川が、のびのびというか
いきいきしている。
窮屈な感じがしないのはなぜだろう。

P4162499s

公園全体としては、
名主屋敷、民家2棟などが移築されており、
次大夫堀や水田とあわせて、
江戸時代後期から明治時代初期にかけての
農村風景に触れることが
できるようになっている。

P4162510s


野川の遡行、
調布市の「御塔坂(おとざか)橋」を目指して
次回も続けたい。

 

 

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2023年6月18日 (日)

人生やらなかった事の方が

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人生やらなかった事の方が

- 深夜ドラマのセリフから -

 

少し前の話になるが、
5月の大型連休明けのころ
新聞のTV欄を見ていたら
こんな文字が目に飛び込んできた。

Kashimashi


「初のシュクメルリ」

シュクメルリとは、
ニンニクと鶏肉を使った
伝統的なジョージア料理の一つ。
実は、つい先日
「フメリスネリ」という本場の
ドライミックススパイスが手に入ったので
自分で作ってみたばかりだったのだ。
まさに私にとっての
「初のシュクメルリ」の直後。

おもわぬ偶然に
思わず「えっ!」と声をあげてしまった。

そもそも、日本ではめったに目にしない
ジョージア料理の名前が
深夜ドラマのタイトルになっているなんて!

これは何か
新情報・珍情報があるかもしれない。

初めて見るドラマだったが、
「目的はシュクメルリ」に絞って見てみた。

結果としては、残念ながら
シュクメルリに関する新情報は
得られなかったのだが、
シュクメルリとは全く関係ないシーンで、
印象深いセリフがあったので、
今日はその部分だけ紹介したい。

ドラマ「かしましめし」テレビ東京
2023年5月8日放送
第5話 脚本 今西祐子

(以下水色部は放送からの文字起こし)

相部屋に入院しているふたりの男の会話。
ふたりともベッドに横になっている。

ひとりは若い時に野球をやっていた。
高校にスカウトがくるほどの
実力だったらしい。
その男が隣のベッドの若い男に
思い出話をしている。

演じているのはベンガルさん。

スカウトが大勢いてさ、
そりゃ緊張するよな。

ミスが続いて
最後に俺にチャンスが回ってきてさ、
一発当てれば認めてもらえるって
いい球を打ちたくて
すごい慎重になったんだよな

2ストライクまで追い込まれて
絶対ヒット打たなきゃって。

で、結局、見送り三振。

それはそれは悔しかったことだろう。

ミットに吸い込まれたボールの音が
今でも頭の中でする時あんだよ。
あんとき
思いっきりバットを振ってたらって
今でも考えんだよ。

人生やらなかった事の方が
残んだよな

以前、
「やらなかったこと」が創り出すもの
なる記事を書いたことを思い出した。
天皇陛下においてさえも
「やらなかったこと」が
深く残っているのだ。

本人にとっての
「やったこと」の本当の意味は、
本当の価値は、
「やったこと」に貼り付いている
「やらなかったこと」に
支えられているのだ。

 

 

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2023年6月11日 (日)

多摩川 河口部10km散歩

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多摩川 河口部10km散歩

- レンガ堤防と川沿いの道の区境 -

 

前回、「旧穴守稲荷神社大鳥居」
(下のGoogle Map上の赤い星印)
について書いたが、そのすぐ東側
(下の地図の青い楕円部)には
赤レンガの堤防が残っている。

Ootoriimap1


2023年5月の撮影でこんな感じ。

P5212653s

レンガ堤防は、洪水対策として
大正から昭和初期にかけて行なわれた
多摩川改修工事で建設された。

自然堤防上、道路面から
腰高ほどのレンガ堤防を建設したのは、
堤内外を日常的に往来する
羽田漁師町の
土地柄への配慮であったという。

P5212655s

よく見ると、
通常時は生活のために通行出来るよう
途切れているが、増水時には塞ぐ
陸閘(りっこう)のような構造も見られる。

P5212656s

さて、このあたり、
地図をみれば明らかなように
多摩川のほぼ河口に位置している。

そこからぶらぶらと
少し川を上ってみることにした。
東京都側(左岸)の川岸を歩く。

少し行くと、
「たまリバー50キロ」と呼ばれる
ウォーキング、ランニング、自転車のための
川岸の道の起点にでた。

P5212659s


地面をよく見るとこんな数字が。
手前左「0.0」は
まさに起点の意味だろうが、
右上反対側から読んでの「10.5」は
さてさて?

P5212660s


起点から1kmほど歩くと
川崎駅方面のビル群が
よく見えるようになってくる。

P5212662s


数字がやってきた。
手前左「2.2」は起点からの距離(km)で
間違いなさそうだ。
右上反対側から読んでの「8.3」は
最初の10.5からちょうど2.2減っているので
こちらもどこかを始点とする距離で
そこから8.3kmということだろう。

P5212664s


対岸、
川崎市側(右岸)のリヴァリエと呼ばれる
3棟からなる高層マンションの
存在感がすごい。
3棟合計で1394戸にもなるという。

P5212666s


風景の変化を楽しみながら、
河口の起点から9.0kmのところまで来た。
舗装されていて走りやすいので
自転車も多く走っているが、
専用のサイクリングロード
というわけではないので
ランナーや歩行者含めて、
双方注意が必要だ。

P5212668s

「右上数字の始点」までもあと1.5km。
さてさて1.5km先は何?

武蔵小杉の超高層ビル群がよく見える。

P5212669s


同じ超高層ビル群も
少し上流に移動して見るとこんな感じに。
見る角度が変わるだけで
ずいぶん印象が変わるものだ。

P5212670s


「右上数字の始点」はこのあたりに
なるはずだが・・・
奥に見えている水色の橋は丸子橋。

P5212671s


明確に書いてあったわけではないが
「右上数字の始点」は
どうもこれのようだ。
「大田区占用境界」
ここから奥は「世田谷区」となる。

P5212672s

河口からここまでの約10km、
自動車やバイクが禁止されている
自転車、ランナー、歩行者のための
舗装された道が整備されていたわけだが、
そこは全部大田区。
その道の両端からの距離が
双方向から書かれていたわけだ。

世田谷区に入った途端、砂利道となる。

P5212675s


しかも道幅も急に狭くなる。
丸子橋から見下ろすとよくわかる。
中央の狭い道だ。

P5212676s


丸子橋やひとつ下流のガス橋で、
川崎側に渡る自転車が多いのは、
きっと世田谷区区間の道が舗装道として
整備されていないからなのだろう。

川崎側に渡れば、
大田区区間と同様にランナーも自転車も
快適に走ることができる。

「たまリバー50キロ」と言っても
一本の同じ道ではなく、市区によって、
ずいぶん整備状況は違うようだ。
区境で、突然ここまでくっきり
路面の状況が変化するなんて。

そういえば以前、
目黒川沿いを歩いたときの写真に、
「注意してみると、さすが(!?)区境。
 手すりからコンクリート、
 緑道の舗装材まで違う。
 左側が世田谷区で右側が目黒区」
なるコメントを書いたこともあった。
行政区分が目に見える
ある意味不思議な空間だ。

世田谷区になった途端、
急に寂しくなる川沿いの道。
大田区の数字が「どうだ!」と
自慢しているように見えてくる。

 

 

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2023年6月 4日 (日)

旧穴守稲荷神社大鳥居

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旧穴守稲荷神社大鳥居

- 浄化海水プールと強制立ち退き -

 

下流は、
東京都と神奈川県の都県境を流れる
多摩川。

その河口部北側には、現在、東京国際空港
通称「羽田空港」が広がっているが、
位置的にその東隅にあたる
下記地図の赤い星印のところに行ってみると、
大きな鳥居を目にすることになる。
(地図はGoogle Mapから。
 以下、写真はすべて2023年5月に撮影)

Ootoriimap


旧穴守稲荷神社大鳥居

P5212632s


元あった場所から移設されて
今は川のすぐ横にある。

P5212648s


そばには小さな掲示板があり
鳥居とその近辺の歴史について
知ることができる。

P5212630s

この掲示板、
読んでみたら知らなかったことばかりで
たいへん面白かった。

特に2つのトピックスについて
掲示板情報を要約しながら紹介したい。
(資料写真も掲示板にあったものから)

(1) 海水浴場と浄化海水プール

1902年 京浜電鉄が京浜蒲田駅から
    穴守稲荷神社へ向けて
    支線を延ばす。穴守線開業。

1909年 干潟を埋め立てて羽田運動場を開設

1911年 羽田海水浴場開設

大桟橋に海の家をもつ海水浴場の賑わいは
こんなにすごかったようだ。

P5212634s

その後、

1913年 干潮満潮に関係なく泳げる遊泳池を
    羽田運動場の中につくる。

この羽田運動場に隣接して
社団法人日本運動倶楽部が、
野球場のほか、テニスコートや遊園地、
自転車競技場なども開場。

穴守稲荷神社一帯は、
明治時代後半から大正時代にかけて
一大行楽地となる


1932年 東洋一の浄化海水プール開設

その大きさといい、人の数といい、
プールの写真には驚かされる。

P5212633s


(2) 住民の立ち退きと鳥居の移設

第二次世界大戦終戦後

1945(昭和20)年9月13日付「朝日新聞」
 マッカーサー司令部が
 羽田飛行場の引き渡しと同時に、
 滑走路拡張のため
 海岸線埋立ての設備の提供と、
 飛行場付近の一部の住民に対して
 立ち退きが
 命ぜられることになった

 と伝えている。

1945(昭和20)年9月21日
 海老取川から東側に居住する
 全住民(羽田鈴木町、羽田穴守町、
 羽田江戸見町)に対し、
 12時間以内に立ち退くようにとの
 緊急命令が出された


「12時間以内」とは!
対象は約1200世帯3000人超

その後、GHQとの交渉により
48時間以内という譲歩をとりつけたが、
それ以降、立ち入ったものに対しては
生命の保障はしないという、
厳しい条件もつけられた 。

住民たちは近隣の親戚・知人を頼りに、
リヤカー、車力、または多摩川からの船で、
身の回りのものを運び出した。

空港の拡張工事にあたっては、
穴守稲荷神社の社殿も壊された。

その際、鳥居を倒そうとしたところ、
ロープが切れ
作業員が怪我をするという事故が発生。
いったん作業は中止された。

ところが、再開すると、
今度は工事責任者が病死。

「これは、穴守さまのたたりだ」
という噂を
稲荷信仰などあるはずもないGHQは、
どう聞いていたことだろう。

結局、何回やっても撤去できないため、
そのままそこに残すことになった。

以降、50年近く、羽田空港の駐車場内に
ぼつりと取り残された大鳥居。

P5212636s


1999年2月、空港の拡張工事に合わせて
2日かけて移転工事が行われた。

赤い鳥居は、
いま弁天橋のたもとに移設され、
羽田空港(元の穴守稲荷神社)を
見守っている。

P5212621s

 

 

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