微笑むような火加減で
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微笑むような火加減で
- 「レシピ」と「おいしいもの」の間 -
題名の通り、
「もっとおいしく」の視点で
料理を見直している
樋口直哉 (著)
もっとおいしく作れたら
マガジンハウス新書
(以下水色部、本からの引用)
は、料理のレシピも含まれているとはいえ
樋口さんの料理への思いが伝わってきて
読み物としてもおもしろい。
基本姿勢は
あるのは素材を生かすための
方法だけだ。
であり、
という意見があるが、
僕は同意しない。
ではあるが
生クリームの分量が中途半端なので、
わざわざ買うのはちょっと……
という人は
のような家庭料理ならではの
小さな戸惑いへの配慮も忘れていない。
特に興味深かったのは、
レシピを書く際に、
「どんなふうに料理を伝えるか」
に悩んでいる部分の記述だ。
ブイヨンをつくるのであれば、
温度でいうと95℃くらいで
煮出すのがいい。
しかし、毎回温度を
計るわけにもいかないので
伝え方が重要になってくる。
温度記述だけして
突き放そうとしていない。
水の温度ひとつをとっても
大きく二つ。
一つはもちろん
熱源から鍋に伝わる熱で
火を強くすれば温度が高くなる。
でも、水の沸点は、
台風による気圧の変化や
高地のような高度によって
変わってくる。
忘れがちな要素に煮汁が
蒸発することで生じる
気化熱がある。
(中略)
鍋の水温は
この気化熱によって失われる温度と、
下から加えられる
熱のバランスで決まる
さらに、そこには
鍋の口径や、蓋の有無も
関係してくるので
レシピに書いてあっても、
じつは関係する要素が意外に多い。
スープを例にこんな表現を紹介している。
フランス語で(ミジョテ)と表現される
強すぎない火加減である。
ミジョテはとろ火で煮込む、と
よく訳されるけれど、
フランス人はよく
「スープの表面が
微笑んでいるような火加減」
という。
とろ火や弱火といった
鍋の大きさや熱源との距離
などによって違う火加減を使わず、
料理の状態を使った表現。
樋口さんも
「微笑むように」という表現は
レシピに従うよりも
料理の状態を観察することの
重要性を示唆していて、
つくづく素晴らしいと思う。
とコメントしている。
そうそう、ほんとうは手順ではなく、
「状態を観察すること」が
料理の肝のはずなのに
手順が優先してしまっている傾向があるのは
どうしたことか。
「レシピ」と「おいしいもの」の間が
なかなか埋まらない
理由のひとつかもしれない。
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