英語のplayには「ハンドルの遊び」の意も
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英語のplayには「ハンドルの遊び」の意も
- 限定の中の遊びから -
雑誌 すばる 2022年11月号に
森田真生「遊びをめぐる断章」
という論考が載っている。
(以下水色部、論考からの引用)
「His car's steering wheel has
very little play.」
と言えば、
「彼の車のハンドルには
遊びがほとんどない」
という意味になる。
ハンドルの「遊び」とは、
ハンドルがタイヤを
動かすことのないまま、
自由に動ける余地のことである。
英語のplayにはそんな意味もあるらしい。
日本語でごく普通に言う
「ハンドルの遊び」だ。
でも、おもしろいことに、
車からハンドルを外してしまって
ハンドルだけをそれこそ自由に
なんの制限もなく動かしたとしても
その自由を「遊び」とは言わない。
自動車の設計によって
あらかじめ決められた
「厳密な構造」のなかで、
限られた範囲で可能な運動の自由
のことである。
プレイという語が持つ
この独特のニュアンスが、
日本語の「遊び」の持つ意味とも
共通しているのは面白い。
「限られた範囲」という限定。
そこに遊びがある。
多様な現象について、
広範にわたる思考をくり広げる
日本の美学者、
西村清和の『遊の現象学』によれば、
漢語の「游」ないし「遊」にもまた、
「あるかぎられた範囲内での運動の自由」
という合意があるのだという。
でも、だからといって、
「限られた範囲」や「厳密な構造」と
「遊び」との関係は
主従が固定したものではない。
「厳密な構造」が不動のまま、
遊びがあくまでその内部にとどまって
展開していくこともあれば、逆に、
遊びの動きが背景の構造にまで浸潤し、
遊びの前提となるルールそのものが
書き換えられていくこともある。
前者の例が、将棋やチェス。
後者の例が、数学。
先の西村さんの著書によれば
「かろやかで、
あてどなくゆれうごく運動、
それ自身の内部で、
ゆきつもどりつする運動」
という意味を持つ言葉だったという。
英語、日本語、漢語、ドイツ語、
様々な言語が、
「軽快に動揺し、
あてどなくゆきつもどりつする
自在な往還運動」としての
「遊び」に着目してきたのだ。
限定と自由、
その中での「遊び」を通して
新しい世界が展開されていく。
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