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2023年2月

2023年2月26日 (日)

「ベルサイユのばら」の時代と想像力

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「ベルサイユのばら」の時代と想像力

- 新聞記事から2件 -

 

「ベルサイユのばら」に関する新聞記事を
記録を兼ねてふたつ紹介したい。

通称「ベルばら」と呼ばれる
「ベルサイユのばら」は、
フランス革命期のベルサイユを舞台にした
池田理代子さんの漫画作品だが、
作品自体とその影響力についての話は
今日は省略させていただく。

(1) 2023年1月8日 読売新聞 
  本よみうり堂 「証言x現代文芸50」
  「ベルサイユのばら」(1972年)

  (以下水色部記事からの引用)

作者の池田理代子さん(75)によると、
構想時には

「女こどもに
 歴史ものなど分かるわけがない」


言われたこともあったという。
「必ず当ててみせます」
と言い返し、
「読み捨てられない作品を」
との意気込みで臨んだ結果、
1972年の連載開始直後から、
まず少女を中心に人気が拡大。
74年に宝塚歌劇団で初上演されると、
大人の女性をも巻き込んだ
全国的なブームとなり、
女性の社会進出が進む時代の
象徴的な作品となった。

約50年前、ということになるのだろうが、
「女こどもに」のセリフは
分野を問わず昭和の話にはよく登場する。
にしても、
以下の原稿料の話は無茶苦茶だ。

実は池田さん自身、
"自分の人生"を求め、
時代や家庭環境にあらがってきた。
「女に学問は必要ない」
という風潮が残る中、
父親の反対を押し切って
東京教育大(現・筑波大)に進学。

学生運動に身を投じ、
「親のすねをかじりながら
 社会や大人を批判するのはおかしい」
と18歳で自立した。

生計を立てるため
にマンガ家になったが、
当初の池田さんの原稿料は
男性マンガ家の半分。
理由を尋ねると、
「女性はいずれ結婚して
 男性に養ってもらうんだから、
 当たり前」
と説明されたという

そういえば以前、映画やTV番組に
日本語字幕をつける仕事をしている
女性の翻訳家と話をしたとき、
「翻訳家って
 女性が多く活躍していますよね」
と思っていることを軽く口にしたら

「女性比率が高い、それはですね、
 妻と子ども二人を養うほどの
 収入が得られない、
 だから男性がやろうとしない、
 そんな事情の裏返しでもあるんですよ」

とコメントされてドキッとした記憶がある。
女性比率が高い、には
そんな側面もあるのか、と。
今から20年ほど前の話だ。

(2) 2005年9月24日 朝日新聞
  (以下緑色部記事からの引用)

どこまでも広い庭園、高い天井、
太い柱…「スケールが違う!」。
1年半の連載を終えて、
パリ郊外のベルサイユ宮殿を
初めて訪れた池田さん
は、
ぼうぜんとした。

精緻な筆致と
的確な時代考証に支えられた
「ベルサイユのばら」は、
少女時代に培った想像力と、
膨大な資料を読みこなす力が
生み出した
ものだった。

連載当時、24歳。
東京教育大生だった池田さんは、
飛行機に乗ったこともなかった。

連載を終えて、初めてベルサイユ宮殿を
訪問した池田さん、

すべては資料と想像力で
書かれたものだったなんて。

女性が今よりはずっと働きにくかった時代に
資料とそれを読み解く力、
そして
それをベースに広がっていく想像力で
「読み捨てられない作品を」
後世に残した池田さん。

初めて訪問したベルサイユ宮殿が
どんなふうに見えたのか、
想像するだけでなぜか胸が熱くなる。

 

 

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2023年2月19日 (日)

英語のplayには「ハンドルの遊び」の意も

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英語のplayには「ハンドルの遊び」の意も

- 限定の中の遊びから -

 

雑誌 すばる 2022年11月号に
森田真生「遊びをめぐる断章」

という論考が載っている。
(以下水色部、論考からの引用)

英語で、
「His car's steering wheel has
 very little play.」
と言えば、
「彼の車のハンドルには
 遊びがほとんどない」
という意味になる。
ハンドルの「遊び」とは、
ハンドルがタイヤを
動かすことのないまま、
自由に動ける余地のことである。

英語のplayにはそんな意味もあるらしい。
日本語でごく普通に言う
「ハンドルの遊び」だ。

でも、おもしろいことに、
車からハンドルを外してしまって
ハンドルだけをそれこそ自由に
なんの制限もなく動かしたとしても
その自由を「遊び」とは言わない。

遊びとはあくまで、
自動車の設計によって
あらかじめ決められた
「厳密な構造」のなかで、
限られた範囲で可能な運動の自由
のことである。

プレイという語が持つ
この独特のニュアンスが、
日本語の「遊び」の持つ意味とも
共通しているのは面白い。

「限られた範囲」という限定。
そこに遊びがある。 

「遊び」と呼びならわされている
多様な現象について、
広範にわたる思考をくり広げる
日本の美学者、
西村清和の『遊の現象学』によれば、
漢語の「游」ないし「遊」にもまた、
「あるかぎられた範囲内での運動の自由
という合意があるのだという。

でも、だからといって、
「限られた範囲」や「厳密な構造」と
「遊び」との関係は
主従が固定したものではない。

遊びの背景にある
「厳密な構造」が不動のまま、
遊びがあくまでその内部にとどまって
展開していくこともあれば、逆に、
遊びの動きが背景の構造にまで浸潤し、
遊びの前提となるルールそのものが
書き換えられていくこともある

前者の例が、将棋やチェス。
後者の例が、数学。

先の西村さんの著書によれば

古高ドイツ語のSpilanは、
「かろやかで、
 あてどなくゆれうごく運動、
 それ自身の内部で、
 ゆきつもどりつする運動

という意味を持つ言葉だったという。

英語、日本語、漢語、ドイツ語、
様々な言語が、

多様で雑多な現象のなかに、
「軽快に動揺し、
 あてどなくゆきつもどりつする
 自在な往還運動
」としての
「遊び」に着目してきたのだ。


限定と自由、
その中での「遊び」を通して
新しい世界が展開されていく。

 

 

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2023年2月12日 (日)

平野啓一郎さんの言葉

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平野啓一郎さんの言葉

- 小説の映画化について -

 

録画したTV番組を見ていたら
印象的な言葉に出会ったので
今日はそれを残しておきたい。

番組は、毎週3人のゲストが
司会を介さずにトークを展開する
「ボクらの時代」

「ボクらの時代」フジテレビ
2022年11月6日放送
平野啓一郎:妻夫木聡:窪田正孝

(以下水色部は放送からの文字起こし)

「映画の原作者」としての思いを
妻夫木さんが平野さんに質問する。

原作のものが映像化するということは
多々あると思うンですよ。

平野さんの立場から見て、
自分が生み出した
子どもみたいなものが
映像化する
っていうのは
どういう思いがあるンですか?

このあたり原作者によって
きっと感じていることは様々だろう。

僕はね、やっぱり同時代の
映画とか音楽とか
いろいろなジャンルのものから
影響を受けているンですけど、

自分の小説もそれと同じように
同時代のミュージシャンとか
映画監督とか
ものを作っている人が
僕の作品に反応してくれるってことは
やっぱりすごく嬉しいンですよね


だから
監督さんとかキャスティングとか
いろんなことには
口出しをしないことに
してるンですよね

映像化にあたっては、基本的に
「口出しをしない」タイプのようだ。

クリエイターに任せる。
そこには次のような思いが
ベースにあるようだ。

平野さん自身の声で聞いてみたい。

映画は
映画の作る人たちの作品なんで

僕はこうだと思って
映画もその通りなってたら
原作者としては
満足かもしれないけれど


ちょっとやっぱりなんか
映画としてはそれはうまくいってない
ってことなんじゃないかな、
って気もするンですよね。

関わった人たちの
クリエイティブなものが
反映される余地が
あんまりないってことなんで。

「原作者としては満足かもしれないけれど、
 映画としてはうまくいっていないのでは」
こう言える原作者って
どのくらいいるのだろう?

映画による新たな表現を、
クリエイターを信じて期待している原作者、
それは、映画を観る側にも要求される
ひとつの価値観だ。

クリエイティブなものに接するとき
ちょっと思い返したい言葉だ。

 

 

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2023年2月 5日 (日)

「大好きだよ」で名前を間違えると・・・

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「大好きだよ」で名前を間違えると・・・

- 一夫一妻が人類になった? -

 

以前録音したNHKラジオの番組

 カルチャーラジオ
「過去と未来を知る進化生物学」(12)
「人類の進化(3)牙のない平和な生物」
 古生物学者・更科功
        2022年3月25日放送

から、「人類に牙(きば)がない」ことの
理由について学ぶ2回目。

前回紹介した
新しい説を簡単に復習してから始めよう。

(b) 新しい説
チンパンジーは植物食なのに牙がある。
肉食獣のように
獲物を襲うための牙ではない。

チンパンジーは同種同士で殺し合いをする。
メスを巡るオスの戦いが多い。

人類は、
牙を使わなくなったから小さくなった。
つまり「仲間を殺さなくなった」のだ。

どうして殺さなくなったのか?
なぜ穏やかになったのか?

ライオンや狼の牙は獲物を捕まえるため。
チンパンジーの牙はオス同士で争うため。

仲間同士の争いが激しいかどうかは
婚姻形態が影響している


一夫多妻(たとえばゾウアザラシ)、
多夫多妻の婚姻形態の動物は
オス同士の争いが
激しくなることが知られている。

一夫一妻の場合オス同士の争いが
おだやかになることが
多くの動物の観察からわかっている。

類人猿についてみると、
(はっきりとは決まっていないが)
ゴリラは一夫一妻、
チンパンジーは多夫多妻、
が多い。

現在の人類は一夫一妻が多い。

一夫一妻の傾向を持つグループが
人類になっていったのではないか、
と考えられている


その結果、牙がなくなっていった。

えっ!、順番はそっち?
婚姻形態って単なる制度の問題であって
本質的なものではないでしょ?

驚きながら聞いていたら、
そんな疑問に対して、
こんな例を添えてくれていた。
エピソードとしてはよく聞く話だが、
まさに先入観を捨てて考えてみてほしい。

若い男女の会話。
男「愛しているのはこれから先も
  ずっと君だけだよ」
女「うれしい」
男「大好きだよ、みか子」

女「みか子ってだれ!!」

男は女の名前を間違えた。
でも間違えたのはそれだけ。
なのに、なぜ女は怒るのか。
そして、
怒る女に読者はなぜ共感できるのか?

更科さんは、
もし言葉が理解できたとしても
チンパンジーなら女の怒る理由が
理解できないはずだ、と言っている。

「怒る理由が理解できる」
それは「本質的な」一夫一妻の血が
人類には流れているからかもしれない

にしても、そのことと
牙が関連しているなんて。

世界は不思議と驚きに溢れている。

 

 

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