« 2022年12月 | トップページ | 2023年2月 »

2023年1月

2023年1月29日 (日)

牙(きば)は生物最強の武器

(全体の目次はこちら


牙(きば)は生物最強の武器

- 刑事ドラマではなぜ凶器を探すのか? -

 

以前録音したNHKラジオの番組

 カルチャーラジオ
「過去と未来を知る進化生物学」(12)
「人類の進化(3)牙のない平和な生物」
 古生物学者・更科功
        2022年3月25日放送

を聞いていたら、
「人類に牙(きば)がない」ことの説明が
たいへんおもしろかったので、
今日はその部分について紹介したい。

 

人類と類人猿(ゴリラやチンパンジーなど)を
分けている特徴はニ点。
人類は、
(1) 直立二足歩行をする。
(2) 牙(きば)がない(犬歯が小さい)。

この大きな特徴のひとつ、
「牙」が衰えたのは
どうしてなのだろうか?

これには古い説と新しい説がある。
古い説は、学術的にはすでに
否定されているものだが、
本や映画の影響で、社会的に広く
認知されるようになった説ゆえ、
更科さんはそれについても
丁寧に紹介してくれている。

(a) 古い説
レイモンド・ダートという
人類学者の発言から始まる。
ダートは、アウストラロピテクスの化石を
発見したことで知られている。

彼は、ヒヒやアウストラロピテクスの
頭の骨が凹んでいるのを見つけた。

それは、アウストラロピテクスが
(武器として)骨で殴ったからだろう、と
考えた。

が、一学者のこの考えは、
簡単には社会に広まらなかった。

その後、このダートの説に基づいて、
劇作家ロバート・アードレイが本を書く。
書名は
アフリカ創世記 - 殺戮と闘争の人類史
1962年に出版。

牙がない人類は、
獲物を取るための武器を
仲間への攻撃にも使うようになった。
武器を持たなければ草原で
生き延びることができなかったのだ、
とアードレイは書いた。

「アフリカ創世記」はベストセラーとなり、
映画「2001年宇宙への旅」の冒頭でも
この説が利用されたため
社会的に広く認知されるようになる。

ところが、レイモンド・ダートの説は
事実としては間違っていた。

その後の調査で、頭の骨が凹んでいたのは
* ヒョウの歯型
* 洞窟が崩れたから
であることがわかってきたのだ。
さらに
アウストラロピテクスは植物食で
狩りをする必要がなかったことも判明。

よって学会では
ダートの説は完全に否定された
ところが社会には
この否定情報は広まらなかった。
なので、
武器を使うようになった人類は
残酷な生物、の印象がそのまま残った。

いずれにせよ、牙の衰えに伴って
獲物だけでなく仲間に対してさえ
武器を使うようになったので
牙の必要性がさらに落ちてきた、
というのが古い説の要のようだ。

(b) 新しい説
チンパンジーには牙がある
チンパンジーは植物食なので、
肉食獣のように
獲物を襲うための牙ではない。

チンパンジーは同種同士で殺し合いをする。
メスを巡るオスの戦いが多い。
(少ない見積もりでも
 1割のチンパンジーが
 仲間の殺害に関与している)

トラに会っても、サメに会っても
怖いのは「噛まれる」こと。
牙は生物最強の武器なのだ。
牙がないとなかなか他の動物を殺せない。

殺人事件があると警察は凶器を探す。
なぜ凶器を探すのか?

人間は凶器がないと
なかなか人を殺せない。

牙を使わなくなったから小さくなった、
とは、つまり
「仲間を殺さなくなった」のだ。

では、どうして殺さなくなったのだろう?
この話、次回に続けたい。

それにしても、
* 牙は生物最強の武器
* 殺人というと反射的に
  「凶器の捜索」を
  思い浮かべてしまうのは
  「人間は凶器がないと
   人を殺せない生き物」だから
という言葉を、古生物学者の話から
改めて考えてみるようになるなんて。

学ぶことはおもしろい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2023年1月22日 (日)

「祈り・藤原新也」写真展

(全体の目次はこちら


「祈り・藤原新也」写真展

- 既に答えが書かれている今? -

 

東京の世田谷美術館で開催されている
「祈り・藤原新也」
という藤原新也さんの写真展を観てきた。

2301inori

藤原新也さんは、
1944年門司市(現北九州市)生まれ。
東京藝術大学在学中に
インドを皮切りにアジア各地を放浪。

その後、アメリカ、日本国内、
震災後の東北、コロナで無人となった街、
などを次々に撮影。

写真に自身の短いコメントを添えて
これまでの50年を振り返っている。

もちろん写真もいいのだが、
コメントがまたいい。

(以下水色部は、
 写真展の藤原さんのコメントを
 そのまま引用)

藤原さんは、写真展のタイトルを
「祈り」にした理由を
次のように書いている。

わたしが世界放浪の旅に出た
今から半世紀前 
世界はまだのどかだった。
自然と共生した
人間生活の息吹が残っていた


(中略)

ときには死の危険を冒してさえ
その世界に分け入ったのは
ひょっとすると目の前の世界が
やがて失われるのではないかという
危機感と予感が
あったからかもしれない。

その意味において
わたしにとって
目の前の世界を写真に撮り
言葉を表すことは
”祈り”に近いものでは
なかったかと思う。

世界は広く、生はもちろん
死をもまた豊かであることを
感じさせる写真が並ぶ。

たとえばインド。

死を想え(メメント・モリ)

インドの聖地パラナシ。
諸国行脚を終えたひとりの僧が、
自らの死を悟って、
河原に横たわる。

夕刻のある一瞬、
彼は両手を上げた。

そして両手指で陰陽合体の印を結び、
天に突き出す。

その直後、彼は逝った。
死が人を捉えるのではなく、
人が死を捉えた

そう思った。

 

人骨が散らばる写真にも
こんなコメントが付いていて
いろいろ考えさせられる。

2301inori_a

あの人骨を見たとき、
病院では死にたくないと思った。
なぜなら、
死は病ではないのですから。

 

台湾での

そんな町の安宿に泊まり、
自分が無名であることの
安堵感を味わう

には、
「無名」のもつ味わいがあふれているし、

アメリカでの

ポップコーンのように軽い
カリフォルニア

には、
的を射たコメントに笑えるし。

観光ガイドにはない写真ばかりだが、
現地に飛び込ンでいっての写真には
生が溢れ、死が溢れ、
土埃が舞っていても声が溢れ、
色が溢れている。
なので

大地と風は荒々しかった。
花と蝶は美しかった。

たくさんの生の視線は
わたしのエネルギーへと変る。

が強い説得力をもって迫ってくる。

藤原さんは、最後

頭上の月でさえ
着々と人類の足跡が
刻まれようとしている。

この自己拡張と欲望の果てに
何が待っているのか、
その回答用紙に
既に答えが書かれている今

いま一度沖ノ島の禁足の森の想念を
心に刻みたい。

と書いているが、

「その回答用紙に
 既に答えが書かれている今」
あなたはどうするの?
と強い投げかけをしているように
読める。

重い問いだが、
「世界がまだのどか」で、
「自然と共生した
人間生活の息吹が残っていた時代」の
写真の数々は
新たな解を見せてくれているようでもある。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2023年1月15日 (日)

「作らす人」「育てる人」吉田璋也

(全体の目次はこちら


「作らす人」「育てる人」吉田璋也

- 民芸は事から生まれなければならない -

 

人間国宝や文化勲章に推挙されても
それに応じることなく、一陶工として
独自の陶芸美の世界を切り拓いた
河井寛次郎。

河井寛次郎 (著)
火の誓い
講談社文芸文庫

(以下水色部、本からの引用)

では、
柳宗悦、浜田庄司、棟方志功
バーナード・リーチといった人たちと
河井さんとのまさに「生きた」交流が
描かれている。

当たり前と言えば当たり前なのだが、
昭和初期、皆さんご存命だったわけだ。

もちろん民藝についても触れられている。

「吉田璋也さん」
と題された一節を読んでみたい。
昭和13年10月に書かれたものだ。

吉田璋也さんに関しては、このブログでも
「鳥取民藝美術館」の訪問記として
その業績について触れている。

日本初の民芸店「たくみ工芸店」を
昭和7年に開いた吉田さん。

吉田さんの「物の美」についての
関心の強い事は今更言うまでもなく、
これあればこそ吉田さんが立ち上って
来られたのだと思うが、

その後に頭をもたげた
「物の社会性」についての開眼は、
美についての関心の基礎の上に
更に大きな問題を建てることになり、
これが強く深く吉田さんを
動かして来たように思う。

この社会的任務の自覚が
吉田さんをいよいよ堅め
特徴づけて来たように思う。

美と社会性、
どういうことを言っているのだろう。
もう少し読んでみたい。 

この事は民芸がややもすると
美術の穴に落ち込もうとする
危険を防ぐ大きな力になっている事に
気が附いてよいと思う。

物で吉田さんは止っていられない。
物が美しいならば
それだけその物は
吉田さんに喰い入って
何かの仕事へ推進さす
打撃に変形する。

受取った物で止っていられない。

受けたならば何かの形にして
投げ返さずにはいられない。

吉田さんは誰によりも
それを社会に投げ返そうとされる

「社会に投げ返す」
吉田さんはまさにそれを
実行できる人だったわけだ。 

これはこれからの民芸にとって
非常に仕合せな事だと思う。

美術は物から出発し、民芸は事から
生れなければならないからだ


事実民芸は物よりも事に
重きを置かなければ育たない。

だから吉田さんは作る人のように
物が最後的ではない。

流布しない、
また流布させられない物は
民芸にならないからだ。

「美術は物から、民芸は事から」か。
なるほど。おもしろい表現だ。

吉田さんは作る人のように
物を慴(おそ)れられない。

物の上での少々の間違いは
気に懸けられない。

是正は民芸の道だからだ。

作り損ったら作り直さす。

出来そうもないと思っても
作らして見る。

作って見たい物は
一刻も猶予しない。

こういう冒険家であり、
実行家であり、企画者
なのである。

これが民芸の母としての
吉田さんを体格づけている
骨組なのである。

ここに「作らす人」としての
吉田さんの面目がある

ここに書いた通り、
鳥取民藝美術館の理事は
「すごいと思うことですが、
 璋也は職人たちの生活のため、
 自分が作らせたものを
 すべて買い取ったんです


 それを売るための場所が
 必要だったんですね」
とたくみ工芸店のことを語っている。

吉田さん位堅固に
自分を仕立てていられる人は珍しい。

たくみ工芸店は
その意志を代表している。

今時利益を立前としないで
店を作るなどといったなら
笑われるであろう。

それを作って到頭今日迄
育て上げて来られたのが
吉田さんである。

これは全く生優しい事ではない。
ここに「育てる人」としての
吉田さんの面目がある

「作らす人」であり
「育てる人」であった吉田璋也。
たくみ工芸店は、
90年を越えて今も生き続けている。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2023年1月 8日 (日)

「陶器が見たピカソの陶器」

(全体の目次はこちら


「陶器が見たピカソの陶器」

- 未だ招かれざる客なのか -

 

人間国宝や文化勲章に推挙されても
それに応じることなく、一陶工として
独自の陶芸美の世界を切り拓いた
河井寛次郎。

河井寛次郎 (著)
火の誓い
講談社文芸文庫

(以下水色部、本からの引用)

には、
「陶器が見たピカソの陶器」
というたいへん興味深い文章がある。
昭和25年1月に書かれたものだ。

河井さんは、ピカソが焼いた
「楕円皿の色写真十幾枚ばかり」
を見て、その印象を語っている。

何れも見応えのあるものばかり、
そのあるものは
何という絵の生ま生ましさだ。
確かさだ。自由さだ

やはり絵の力を大きく感じている。

ある皿に対しては、

何という素晴らしい
これは新鮮な生命
なのであろう。
よくも使いこなせた
あの不自由な土や釉薬。

と賛辞を送っている。

でも、別なある皿に対しては、

だがピカソが性格を持っているように、
楕円皿もまた性格を持っていることを
誰も見逃さないであろう。

そうだ、陶器だって一つの生物なのだ

一見誰もピカソがいきなり皿の中に
踏み込んでいる素晴らしさに驚く


そうだ、ピカソ程全身をあげて
陶器へ踏み込んだ画人を
自分は知らない。

と書き出して

しかしよく見ると
皿は彼を許してはいない

ピカソは歌ってはいるが
皿は和してはいない

この協和しない性格の二重奏は
どうしたことなのであろう。
陶器の方からすればピカソは明らかに
未だ招かれざる客なのは遺憾である。

と続いている。
「彼を許してはいない」
「皿は和してはいない」
「招かれざる客」
と厳しい言葉が並ぶ。

陶器は
彼が陶器の中に待たれている自分を
はっきり見付けてくれるのを
待っている。

ピカソは権利を行使はしているが、
当然負うべき義務を
忘れている
ようである。

一見彼に征服されたように見えても、
よく見ると陶器は服従はしていない

なんとも表現がおもしろい。
どんな皿なのか。
想像してみるだけで楽しくなる。

別な皿の感想も見てみよう。

輝く釉薬の微光の中に
呼吸しているあの静物 -

知っていながら
形を無視したあの意気込。
その意気込はよく解る。-

しかしこれは
形を無視したこと自体のために
皿もまた絵をはね返すより
他に仕方がない


いって見れば皿もまた
絵を無視しているのだ。

これはこれ皿の敗北であると同時に
絵の敗北でなくて何であろう


こういう皿は
未だ他にも沢山あった。
二つが一つになりきれない
相互の失望。

「皿の敗北であると同時に絵の敗北」
こちらにもまた厳しい言葉が並ぶ。

そもそも陶器に絵を描くこと自体、
「陥し穴」とまで言っている。

大体陶器に絵を描くなどということは、
絵を殺しこそすれ
決して生かしはしない


これは陥し穴なのだ。

流石にピカソは落ち込んでも
生きている
。が、それも
紙やカンバスの上以上に
生かされてはいない。

と感想を率直に綴ってきた河井さんだが、
ピカソのこれから、にも
思いを馳せている。

ピカソはしかし今に
形を借りなくなるであろう。

それと新しく形を生み出すであろう。
少くとも陶器はそれを待っている。

具体的には
「形という性格を持たない陶板」

「彼の生命を焼き付けておくのに
 これ以上の相手はない」
と提案している。

厳しい言葉が並びながらも
陶芸に挑戦している作家への目は
ほんとうにあたたかい。 

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2023年1月 1日 (日)

美しい物はどこから生れるか

(全体の目次はこちら



美しい物はどこから生れるか

- 河井寛次郎の本の「序」 -

 

2023年が明けた。新年、
新たな気分で背筋を伸ばしたいときは
名文を読む、というのもいいものだ。

人間国宝や文化勲章に推挙されても
それに応じることなく、一陶工として
独自の陶芸美の世界を切り拓いた
河井寛次郎。

河井寛次郎 (著)
火の誓い
講談社文芸文庫

(以下水色部、本からの引用)

は、河井寛次郎が
昭和6年から28年くらいにかけて
書いた文章を集めたものだが、
その「序」がほんとうにカッコいい。

新年、まさに「声に出して読みたい」
日本語だ。短いので紹介したい。

昭和28年秋に書かれたもののようだが
約70年前を感じせない勢いがある。

ここに集めた一連の章句は、
色々な作物の裡に隠されている
背後のものを求めての
私の歩みの一部である。

と同時に、
美しい物はどこから生れるか
という事を見せられてきたこれらは
その内の僅かであるが
その実例でもある。

材料と技術とさえあれば、
どこでも美しい物が出来る
とでも思うならば、
それは間違い
であると思う。

焼き物を中心に、
作品に出会い、人と出会い、
各地の窯場を訪問した河井さんが
見たもの、聞いたものを
丁寧に綴った本文を読むと
河井さんが何に「美しさ」を見ているのか、
感じているのか、が
読者にじんわりと伝わってくる。 

人は物の最後の効果にだけ
熱心になりがちである


そして物からは
最後の結果に打たれるものだと
錯誤しがちである。

しかし実は、直接に物とは縁遠い
背後のものに
一番打たれているのだ
という事の
これは報告でもある。

「よい物を作りたいならば、
 それに相応する暮しに帰るのが
 近道ではないか」
という浜田庄司の言葉も
本文にでてくる。

材料と技術とさえあれば、
美しい物ができるわけではない。
美しいものを作り出す「背後のもの」とは
なんだろう。

もちろんそれは作者の暮しに
おおきく関係するものだけれど、
ひと言で表現することは難しい。

「最後の効果だけ」でなく、
「背後のもの」を感じる豊かさ。

勢いのある「序」は、たった1ページで
読者を本文に引き込んでしまう。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

 

« 2022年12月 | トップページ | 2023年2月 »

最近のトラックバック

2023年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ