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2022年10月 9日 (日)

所有権と物のエロス

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所有権と物のエロス

- 所有格の「の」だけで一冊の本 -

 

Twitterを眺めていたら、

 所有には
 「(実際にはそんなことは絶対に
   しないけれど)
  望めばそれを破壊することができる」
 という感覚が直感としてあり、
 そのことが、所有という権利だけでなく
 物のエロスを生んでいる。

というような意味の投稿が目に留まった。

そんなことを意識して考えたことは
なかったけれど、所有には
望めばそれを破壊することができる
という面がある、との刺激的な言葉は
妙に強く印象に残った。

昨日2022年10月8日の朝日新聞では、
鷲田清一さんが「折々のことば」で
 「現代の都市空間は隅々まで
  誰かのもの、誰かの所有物だ。」
とコメントしていた。

一方で最近は
「share」や「共有」といった言葉を
目にする機会も増えている。

というわけで、「所有」について
改めて少し考えてみたいと
こんな本を手にしてみた。

大庭健、鷲田清一 (編)
所有のエチカ
ナカニシヤ出版

(以下水色部、本からの引用)

9人の方の文章を集めたものとはいえ、
「わたしのもの」
この所有格の「の」についてだけで
一冊の本を編んでしまっている。
よくもまぁこんなにいろいろな角度から
「の」について書けるものだ。

 

まずは「折々のことば」も書いている
鷲田清一さん。
twitterで見たコメントと同じように
次のように書いている。

つまりじぶんの所有物は
じぶんで自由に
処理する権利がある
のであって、

それを他人に、
あるいは共同体や国家に、
意に反してみだりに奪われたり
処分されたりすることは
認められてはならないということは、
市民社会において
「個人の自由」の前提要件となる
ことがらでもある。

だれからも収奪されたり、
搾取されることない私的所有の制度化は
近代市民社会成立の
大事なひとつの条件だったわけだ。

それは、現代における
知的所有権やプライバシーの保護などにも
繋がっていく。

しかし同時に、厳密に規定された
その私的所有の制度が、
そしてさらにさかのぼって
<所有>という観念そのものが、
現代社会にとって
ある種の桎梏(しっこく)に
なりはじめている
という面が、
はっきりと出てきている。

桎梏(しっこく)とは、手かせ足かせ。
つまり、自由な行動を束縛する、
ということ。

できあがった映画は誰のものなのか?
出来上がったCDは誰のものなのか?
マンションは誰のものなのか?
所有者は「自由に処理」できるのか?

「個人の自由」の
前提要件だったはずの所有権が
現代社会においては逆に
様々な「手かせ足かせ」を生んでいる。

 

藤野寛さんは、「家族と所有」なる章を

「私の夫」「私の娘」というのと
「私の隣人」「私の上司」というのでは
どこかに違いがあるだろうか。

という、軽い問いから始めている。

「私の」を「私にとっての」と
言いかえられる点ではどちらも同じだ。
でも、直感的にはなにかが違う。
うまく言えないけれど。

それを藤野さんは見事に言葉にしている。

「私の夫」「私の娘」を見てみよう。

始めの二つの例に特徴的なことは、
「他の女の、ではない」
「あなたの、ではない」という
排除・独占の意味が
色濃くにじみ出てきている

という点だろう。

「私の」の「の」は、
単に関係を表わすのみでなく、
所有、さらには専有の意味まで
匂わせるものとなる。

「あなたになんか分けてやらないわ」
という気持ちが
言外に込められているのである。

「私の坊や」といった
言葉使いに典型的にあらわれてくる、
独占欲、排他性、そして
否定的な心理表現としての嫉妬心、
それらが家族間での所有格「の」には
含まれている。

そしてそれは、
自分の所有物なのだから
 自分の思いのままに処理してよい

という発想に繋がっていく。

 

所有格の「の」、
これだけをテーマに一冊の本!?
と驚きながら読み始めたが、

「自分の持ち物なのだから
 何をしてもいい」

の発想にいかに多くの面があるのか、

そしてまた、
最初に書いた鷲田清一さんの
 「現代の都市空間は隅々まで
  誰かのもの、誰かの所有物だ。」
なる事実が、そもそも本来は
「当たり前」ではないことを
改めていろいろ学ぶことができる。

 

 

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