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2022年10月

2022年10月30日 (日)

サハラ岩壁画の年代は測定できない

(全体の目次はこちら



サハラ岩壁画の年代は測定できない

- 「愛の館」から線刻画まで -

 

前回に引き続き

「サハラに眠る先史岩壁画」
 英隆行写真展

 目黒区美術館 区民ギャラリー
 2022年10月5日-10日

の内容を紹介したい。

2210_131s

本展、壁画はどれも興味深いのだが、
各画に対する年代の説明がほとんどない。

前回書いた通り、
5000年から1万年ほど前のもの、
というざっくりとした幅だけはあるが、
正確にはわからないらしい。
それはどうしてか?

ガイドツアーのときの説明によると
サハラ岩壁画の
壁画自体の年代を直接測る技術は
現時点ではまだ存在しない
らしい。

理由は、
絵具に木炭や接着剤などの
有機物が含まれていないため
放射性炭素年代測定ができないから。

また、洞窟壁画のように
水が滲みだして絵の上に
炭酸カルシウムの被膜が
形成されることがないため
ウラン系列年代測定もできない。

直接的な測定ができないため、
描かれた動物との関係、
発見された古墳との関係、
などから相対的、間接的に
制作年代を区分しているようだ。

というわけで、細かいことは気にせず
気持ちのほうもざっくりのまま
ほかも見てみよう。

 

*アルジェリア タッシリ・ナジェールの
 「食肉解体」

Pa082297s

ブーメラン状の道具(ナイフ?)を使って
食肉を解体している。
男性は腰みのだけだが、
女性は長いスカートに肩掛けのようなものを
羽織っている。
右には野ウサギやキリンなども見える。

 

*チャド ティベスティの
 「愛の館」
館の外には牛がいる。右は乳搾りの様子。

Pa082311s

「愛の館」の中はこんな感じ。
入口の縄暖簾をくぐると、
部屋の中には裸の男女が集っている。
女性は足を白く塗っているようだ。

Pa082312s

右端の男は
楽器を奏でているように見える。
部屋には大きな壷があるが、
中には酒が入っているのだろうか。
重なり合っている男女もいる。
女や男を奪い合っているようにも見える
場面もある。

 

*チャド エネディの
 「整列する戦士たち」

Pa082275s

繊細な筆遣いで細かく描写された岩壁画。
戦士たちは槍を手に持ち、
頭には羽飾りを付けている。
戦士の隊列から外れた場所には
長いスカートをはいた女性もいる。

Pa082314s

槍の穂先が石で加工するには
難しい長さであることから、
鉄製の穂先と推測されている。
だとするとこれは他と比べると
ずいぶん新しいものかもしれない。

 

*スーダン ウェイナットの
 「行進する人々」

Pa082316s

川岸で垂直に削られた砂岩の表面に
10メートル以上にわたって夥しい数の絵が
描かれている。
別の場面では、狩りをする人々、
牛の群れなども。

この地域では、牛の牧畜は
7000年前頃に始まったが、
5000年前には乾燥化によって
牛が飼えない気候になった。

制作年代を直接調べられないため
描かれたものから
間接的に絞り込んでいくのも
ひとつの手法。

 

*モロッコ ハイ・アトラスの
 太陽の円盤  青銅器時代

Pa082317s

古代ベルベル人が信じたアニミズムでは、
太陽、土地、水」が
人間に不可欠なものとされていた。
太陽の内側には、
山並みに囲まれた大地と川。
下の小さな円盤は月のようにも見える。

 

*チャド エネディの
 「牛飼い」
サハラ岩壁画ではあまり多くない
線刻画

Pa082318s

彩画にはほとんど見られない
幾何学模様が多いのが特徴。

寄って見ると

Pa082319s

杖を肩に担ぐポーズは牧童特有のもので、
現代でもよく見かける。
お尻の大きな体形は、
現在この地に暮らすほっそりとした
トゥブー族とは異なるらしい。

体形といえば、以前アメリカ人に
「日本人でお相撲さんのような
 体形の人はほとんど見かけないのに
 どうしてあれが国技なの?」
と質問されて答えに窮したことがある。
1万年後、日本で相撲絵が発見されると
対トゥブー族と同じようなコメントを
されるかもしれない。

 

 

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2022年10月23日 (日)

サハラ砂漠が緑に覆われていたころ

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サハラ砂漠が緑に覆われていたころ

- 先史岩壁画、実物大の写真展 -

 

「サハラに眠る先史岩壁画」
 英隆行写真展

 目黒区美術館 区民ギャラリー
 2022年10月5日-10日

を観てきたのだが、
その内容がたいへんおもしろかったので
記録を兼ねて紹介したい。

2210_131s

本展、岸壁画の写真展ではあるが、
展示作品はすべて実物大。
3mを越える写真もあり、
岩壁を前にした臨場感をたっぷり味わえる。
展示の写真撮影もOK。

会場にあったパンフレットと
30分の予定が、説明がノリノリで
結果50分になってしまった
会場でのガイドツアー時のメモを見ながら
振り返ってみたい。

 

世界最大の砂漠、
アフリカ北部のサハラ砂漠には
緑のサハラ」と呼ばれる時代がある。

今から約11,500年前から5,000年前頃まで、
なんとこのエリアは
緑に覆われていたというのだ。

旧石器時代末期から新石器時代のころ、
この緑豊かな土地を求めて
様々な民族が去来した。

彼らは自然の岩肌をカンバスとして
彩画や線刻画など独自のアートを遺した。

その岩壁画が今回の写真展の被写体。

今はまさに降水量の少ない広大な砂漠だが、
絵が描かれた当時は緑の大地だったのだ。

2210_121a

上の地図の赤丸が収集した岩壁画の位置。
アフリカ大陸北部、広範囲からの
収集となっていることがわかる。

 

まずは写真展のポスターにも使われている
 アルジェリア
 タッシリ・ナジェールの
 「白い巨人と祈る人々」
  w515cm x h308cm

Pa082302s

頭に角のような突起を持ち、
大きな力こぶと巨大な陰嚢を持った
3mを超える巨人。

その左右には
お腹の大きな妊婦が横たわり、
左側には祈るような仕草の
女性たちが並んでいる。

と解説されているが
コントラストが弱く
正直わかりにくい。

こんな図が横に添えられていた。
組合せてみるとずいぶん助けられる。

Pa082303s

 

同じ
 アルジェリア
 タッシリ・ナジェールの
 「瘢痕文身のある人物」
  w103cm x h180cm

Pa082272s

瘢痕文身は「はんこんぶんしん」と読む。
 皮膚に切込みを入れたり,
 焼灼(しょうじゃく)して,その傷跡が
 ケロイド状に盛り上がることを利用して
 身体に文様を描く慣習
のことらしいが、首飾りといい腕輪といい
仮面のようなものといい
かなり着飾っている。

Pa082304s


「泳ぐ人」という絵では
頭に突起のある人が泳いでいる。
飾りか? いったいナンだろう?

Pa082320s


「弓矢で戦う人々」では集団の戦い、
つまり戦争が描かれている。
激しい戦いのシーンはあっても
倒れている人物は描かれていない、
という特徴があるらしい。

Pa082308s


下の絵で弓を引いているのは女性と
思われる。よく見ると乳房がある。
女性も兵として戦っていたのだろうか。
当時は砂漠ではないので牛もいる。

Pa082306s


1万年近くも前の
着飾った女性たちや弓を持った兵士たち。
いろいろ想像するのは楽しいものだが、
岩壁画はさらに多くのものを
今に伝えてくれている。

本写真展の話、次回に続けたい。

 

 

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2022年10月16日 (日)

「所有」と「存在」

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「所有」と「存在」

- 日本の伝統的な所有感 -

 

前回、所有格の「の」
これだけをテーマに
9人の執筆者の文章で編まれている

大庭健、鷲田清一 (編)
所有のエチカ
ナカニシヤ出版

(以下水色部、本からの引用)

を紹介した。

そしてその最後に、

最初に書いた鷲田清一さんの
 「現代の都市空間は隅々まで
  誰かのもの、誰かの所有物だ。」
なる事実が、そもそも本来は
「当たり前」ではないことを
改めていろいろ学ぶことができる。

と書いた。

今日はその
「当たり前ではない」部分について
田中久文さんが書いた
「無所有の系譜」を読んでみたい。

 

日本の伝統的所有観の
最も大きな特色の一つは、
所有と存在という二つの概念が
明確に区別されていない

という点にあると思われる。

それはまず
言語表現の上に現われている。
「所有」という言葉自体を
考えてみても、
「有」は「もつ」と同時に、
「ある」をも意味している。

「もつ」とは
「存在そのものの本来のありかたを
 損なわないで手元におく」
ことだが、
近代的な意味での所有とは
「とる」つまり
「積極的に対象に働きかけて、
 対象を自分のものにし、
 自由にする意」
かもしれない。

一方逆に「存在」という言葉に関して
和辻哲郎などは、
それが本来は所有を意味していたと
解釈する。

英語では
John has two children.
と所有を表す動詞haveを使うが、
日本語では、
「太郎には子供が二人いる」
のように存在を表す動詞「ある(いる)」を
使って所有を表現している。

存在と所有とを一体視する考え方は、
西洋近代の私的所有権の考え方とは
大きく異なっている。

貝原益軒は『養生訓』の中で
身体に関して、
人の身は父母を本とし、
 天地を初とす

 天地父母のめぐみをうけて生れ、
 又養はれたるわが身なれば、
 わが私の物にあらず」
と述べている。

自己の身体は「私の物」ではなく、
「天地父母」から与えられたものである
というのである。

そうであるからこそ、
逆にそれをみずからの手で
大切に「養生」しなければ
ならないのだと益軒は説く。

私の体は「私のもの」ではないのだ。

苦労して育てた農作物ですら

農学者の宮崎安貞は

稼(実った稲)を生ずる物は天也。
 是を養うものは地なり


 人は中にいて天の気により
 土地の宜きに順い、
 時を以て耕作をつとむ。

 もし其勤なくば天地の生養も
 遂ぐべからず」

と述べ、
あくまでも天地の働きを補足し、
完成させるものとして、
人間の農耕を捉えている。

こうした考え方は、農耕だけでなく
商品経済の場においてもみられた、と
石田梅岩の言葉も紹介されている。

以上のように日本では、
身体や人間の労働を
自立的にみることなく、

それを宇宙や天地全体の働きの中で
捉えようとする考え方が
伝統的に強くあった。

 

天地に随順するという形で
所有を捉えるという考え方は、
人間の倫理を
放棄したわけではもちろんない。

近世の思想家の多くは、
「天」や「天地」そのものが
倫理や規範をおびたものである

とみなし、
したがってそこに参与する人間もまた、
そうした倫理や規範に
従わなければならない存在だと考えた。

 

「存在」そのものが
「人間がもつ」ということを
根底に成立している?
これまで「所有」と「存在」の関係を
考えたことなんて全くなく、
まさにボーっと生きてきたが
こうして説明されると
不思議な繋がりが見えてくるから
おもしろい。

 

 

(全体の目次はこちら

 

 

 

 

2022年10月 9日 (日)

所有権と物のエロス

(全体の目次はこちら


所有権と物のエロス

- 所有格の「の」だけで一冊の本 -

 

Twitterを眺めていたら、

 所有には
 「(実際にはそんなことは絶対に
   しないけれど)
  望めばそれを破壊することができる」
 という感覚が直感としてあり、
 そのことが、所有という権利だけでなく
 物のエロスを生んでいる。

というような意味の投稿が目に留まった。

そんなことを意識して考えたことは
なかったけれど、所有には
望めばそれを破壊することができる
という面がある、との刺激的な言葉は
妙に強く印象に残った。

昨日2022年10月8日の朝日新聞では、
鷲田清一さんが「折々のことば」で
 「現代の都市空間は隅々まで
  誰かのもの、誰かの所有物だ。」
とコメントしていた。

一方で最近は
「share」や「共有」といった言葉を
目にする機会も増えている。

というわけで、「所有」について
改めて少し考えてみたいと
こんな本を手にしてみた。

大庭健、鷲田清一 (編)
所有のエチカ
ナカニシヤ出版

(以下水色部、本からの引用)

9人の方の文章を集めたものとはいえ、
「わたしのもの」
この所有格の「の」についてだけで
一冊の本を編んでしまっている。
よくもまぁこんなにいろいろな角度から
「の」について書けるものだ。

 

まずは「折々のことば」も書いている
鷲田清一さん。
twitterで見たコメントと同じように
次のように書いている。

つまりじぶんの所有物は
じぶんで自由に
処理する権利がある
のであって、

それを他人に、
あるいは共同体や国家に、
意に反してみだりに奪われたり
処分されたりすることは
認められてはならないということは、
市民社会において
「個人の自由」の前提要件となる
ことがらでもある。

だれからも収奪されたり、
搾取されることない私的所有の制度化は
近代市民社会成立の
大事なひとつの条件だったわけだ。

それは、現代における
知的所有権やプライバシーの保護などにも
繋がっていく。

しかし同時に、厳密に規定された
その私的所有の制度が、
そしてさらにさかのぼって
<所有>という観念そのものが、
現代社会にとって
ある種の桎梏(しっこく)に
なりはじめている
という面が、
はっきりと出てきている。

桎梏(しっこく)とは、手かせ足かせ。
つまり、自由な行動を束縛する、
ということ。

できあがった映画は誰のものなのか?
出来上がったCDは誰のものなのか?
マンションは誰のものなのか?
所有者は「自由に処理」できるのか?

「個人の自由」の
前提要件だったはずの所有権が
現代社会においては逆に
様々な「手かせ足かせ」を生んでいる。

 

藤野寛さんは、「家族と所有」なる章を

「私の夫」「私の娘」というのと
「私の隣人」「私の上司」というのでは
どこかに違いがあるだろうか。

という、軽い問いから始めている。

「私の」を「私にとっての」と
言いかえられる点ではどちらも同じだ。
でも、直感的にはなにかが違う。
うまく言えないけれど。

それを藤野さんは見事に言葉にしている。

「私の夫」「私の娘」を見てみよう。

始めの二つの例に特徴的なことは、
「他の女の、ではない」
「あなたの、ではない」という
排除・独占の意味が
色濃くにじみ出てきている

という点だろう。

「私の」の「の」は、
単に関係を表わすのみでなく、
所有、さらには専有の意味まで
匂わせるものとなる。

「あなたになんか分けてやらないわ」
という気持ちが
言外に込められているのである。

「私の坊や」といった
言葉使いに典型的にあらわれてくる、
独占欲、排他性、そして
否定的な心理表現としての嫉妬心、
それらが家族間での所有格「の」には
含まれている。

そしてそれは、
自分の所有物なのだから
 自分の思いのままに処理してよい

という発想に繋がっていく。

 

所有格の「の」、
これだけをテーマに一冊の本!?
と驚きながら読み始めたが、

「自分の持ち物なのだから
 何をしてもいい」

の発想にいかに多くの面があるのか、

そしてまた、
最初に書いた鷲田清一さんの
 「現代の都市空間は隅々まで
  誰かのもの、誰かの所有物だ。」
なる事実が、そもそも本来は
「当たり前」ではないことを
改めていろいろ学ぶことができる。

 

 

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2022年10月 2日 (日)

鰆(さわら)を料理店で秋にだす

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鰆(さわら)を料理店で秋にだす

- 盛り方のしゃれたひと工夫 -

 

東京にある日本料理店で
総料理長を務める野﨑洋光さんが書いた
下記の本には、
おいしく料理を作るための
特に素材の味を活かすための
ちょっとしたヒントが
各ページにちりばめられている。

野﨑 洋光(のざきひろみつ) (著)
おいしく食べる 食材の手帖
池田書店

(以下水色部、本からの引用)

長年の経験に基づくコメントは
多岐にわたり、

 「ほうれん草」は
 熱湯でゆでてもいいけれど、

 アブラナ科の「小松菜」は
 80℃くらいのお湯のほうが
 本来の味が引き出せる。

 他にも、同じアブラナ科の野菜
  かぶ
  カリフラワー
  キャベツ
  大根
  菜の花
  白菜
  ブロッコリー
  水菜
 などは、
 グラグラと沸騰したものではなく
 80℃くらいのお湯のほうがいい。

といった調理法に関するものから

 かぼちゃを選ぶとき、皮の色が一部分だけ
 オレンジ色や黄色になっているものを
 見ることがあるが、
 あれは日光にあたっていなかっただけで
 品質に問題はない。
 むしろ、ここの色が濃いものほど
 甘くておいしい

のような買い物アドバイス、

調理法によって、
むく皮の厚さを変えている意味、

ゆでたり、煮たりするときの
ふたをする・しないが味や色に与える影響、

加えて

じゃがいもは、
イモ科ではなくナス科!
ちなみに、
イモ科という分類はもともとない。

といったビックリ豆知識まで
食材や料理に関する知識を
多方面から楽しむことができる。

本の内容自体は
「素材の味を最大限に活かす調理」
を基本メッセージに、
家庭料理にむけて書かれたものだが
ところどころに
プロならではコメントがあって、
そこがなかなか興味深い。
印象的なのはコレ。

漢字では鰆と書き、
春を告げる魚とされています。

これは、かつて春になると
瀬戸内海に産卵のために
集まってきたことから
あてられた字です。

しかし、脂ののった冬のものも
寒さわらとして関東では好まれ、
春に限らず楽しめる魚なのです。

けれど、春のイメージが強く、
料理屋ではほかの季節は出しにくい


そこで、秋は皮目を下にして盛る
なんてこともします。
春の裏側は秋なので、
しゃれをきかせるというわけです。

漢字で書くと違和感があるなら、
平仮名にするなんて手もありますね。

おいしいのに、漢字の影響もあって
料理店ではだしにくい秋の鰆、
それを盛り方のしゃれで克服しているなんて。

日本料理のおしゃれなところのひとつだ。

 

 

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