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2022年9月18日 (日)

芸術と医療は同じ?

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芸術と医療は同じ?

- 体は戦場ではなく調和の場 -

 

現役のお医者さんとして活躍する
稲葉俊郎さんが書いた

稲葉俊郎 (著)
いのちを呼びさますもの
—ひとのこころとからだ—
アノニマ・スタジオ
(以下水色部、本からの引用)


から
「元気になったから病気が治る」
「生を養う」養生所
などについて紹介してきたが、
もう一節だけ書き残しておきたい。

 

「内と外で分断されていく」

現代は、外向きの社会的な自分と、
「いのち」を司る内なる自分とが
分断されようとしている時代だ。

多くの人は、外の世界に向けた自分を
コントロールすることに明け暮れている


テクノロジーが情報化社会をつくり、
そうした動きを後押しした。

社会の構造も、人間関係もそうだ。

外なる世界を強固につくり上げれば
つくり上げるほど、
自分というひとりの人格が
外と内とで分断されていく
という
矛盾をはらむ。

外と内とで分断とはどういうことだろう。

なぜなら、
外へ外へと視点が向きすぎると、
自分自身の内側と
どんどん離れていくことが多く、
自分自身との繋がりを失うと、
他者との繋がりは
空疎で実体のないものになる
からだ。

見るべき世界は外側だけではなく、
自分自身の内側にもある

自分自身は、外ではなく、
常に「ここ」にいるからだ。

社会人として、家族の一員として、
まさに外の世界に対して
自分を考えている時間は多い。

でも確かに
一見繋がっているように見えながらも
他者との繋がりに空疎感を感じる時とは、
まさに外側だけで繋がっている時だ。

そこに「自分の内側」があるときは、
そういう空疎感はない。


自分自身との繋がりを失うと、
自分自身の全体性を
取り戻すことはできない。

なぜなら、
自分の外と自分の内とを繋ぐ領域が、
「繋ぐ」場所ではなく
「分断」する場所
として働いてしまう
からだ。

外と内とを「分断」する場所ではなく
「繋ぐ」場所として機能させるために、
大きく役立っているものがある。

稲葉さんに指摘されるまで、
そういう視点で考えたことは
これまでほとんどなかったのだが。

そうした自分自身の
内と外とが重なり合う
自由な地を守ってきたのは、
まさに芸術の世界だ


外側に見せる社会的な自分と、
無限に広がる
内なる自分とを繋ぐ手段として。

そして、医療も本来的に
そうした役割があるのではないか
と、
臨床医として日々働いていて、
強く思う。

言われてみると、
芸術が、外と内とを「繋ぐ」ために
機能している面は確かにある。

さらに稲葉さんらしい視点は、
医療もそうだ、と
芸術と並べている点だ。

内側に広がる
自分自身と繋がることができたら、
自分以外の人々とも
しっかり繋がることができるだろう。

自分自身の内側とは、
まさに体の世界であり、心の世界だ。

医療の本質とは、体や心、
命や魂の本質に至ること


そうした原点に、
また舞い戻ってくる。

それは芸術や文化が求めて
積み上げてきた世界と
同じ
ではないだろうか。

自分はそうした思いを、
読み手の人と分かち合いたいと思う。
「分かる」ことと
「分かち合う」ことは、
同じことだと思うのだ。

「体」を
「病」との戦いの場としてみる
西洋医学の考え方からは
出てこないものの見方だ。

「体」や「心」を
戦場としてではなく、
「調和の場」として考える発想。

調和の場として
全体性を取り戻すために
大きく役立っている芸術、
本来、医療も同じような役目を
担っているのではないか。

その調和こそが健康であり、
生きるということなのだから。

「元気になったから病気が治る」という
最初の言葉が、
改めて大きな意味で響いてくる。

 

 

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