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2022年6月26日 (日)

高橋是清の少年時代 (2)

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高橋是清の少年時代 (2)

- 奴隷契約にサインさせられ -

 

唐津観光でみかけた案内板から始まった
高橋是清と
辰野金吾、曽禰達蔵らへの興味。

前回に引き続き
高橋是清の少年期を追ってみたい。

参考図書は、

大島清 (著)
高橋是清 - 財政家の数奇な生涯
中公新書

(以下水色部、本からの引用)

11歳のとき横浜で英語を学び、
14歳で米国に送り出された高橋是清。

渡米した高橋は、
サンフランシスコの
ヴァンリード家に住み込むが、

学校へもやってくれないだけでなく、
料理番から部屋掃除、
使い走りまでやらされる。
お昼ごろになると、細君が
「パンにパターをつけ、
 それにプドーか何かを
 一房くらいくれて、
 それを部屋の外の
 飼犬が食っている場所で
 食べたがよいという」

その後、老ヴァンリードの紹介で
オークランドのブラウン家に
移ることになる。
その際、公証人役場で
内容の理解できない書類に
14歳の少年はサインさせられる


ブラウン家では、当初
元気に働きながら、
夫人から英習字を習ったり、
読本を教わったりしていたが、
途中で中国人のコックと衝突。
暇を申し出た高橋に主人は言った。

「お前は勝手に
 暇を取って帰るわけにはゆかぬ。
 お前の体は、三年間は
 金を出して買ってあるのだ

このとき初めて役場でサインした書類が、
身売りの契約書であったことを知る。

そのころ、日本では
孝明天皇が36歳で崩御、
明治天皇が即位、
そしてその年(1968年)の10月には
倒幕の密詔が薩長の二藩に下りと、
政治的な大転換が進んでいた。

友人の世話で
日本人の店を手伝っていた高橋は、
その店でそういった日本の情勢を
知ることになる。

そんな中
津、仙台、庄内などの諸藩が
 朝敵の汚名をきせられ・・・

の報が入ってくる。

幕府からもらった渡航免状には
「仙台藩の百姓」
となっていた高橋。
じっとしていられなくなる。

他の留学生とも相談。
4人の留学生が帰国する決心をする。

しかし高橋の場合、
先の奴隷契約書破棄が必要だ。
その難題も留学生の協力をえながら
領事らに働きかけてみごとに達成。

1968年、サンフランシスコから
横浜を目指して帰国の途につく。

とは言え、

朝敵の汚名をきた藩士であるから、
いきなり日本へ帰ることは、
どんなとがめをうけるか判らない。

安心して帰れる状況ではなかった。
横浜では

外国人をよそおって
英語をペラペラしゃべりながら、
運上所(税関)を突破

その後、森有礼の世話で
東京大学の源流となる大学南校に入学する。

もちろん生徒としての入学であったが、
英語ができることを理由に
わずか数ヶ月後には
「教官三等手伝い」を
命ぜられることとなる。

高橋はこうして数え年16歳で
大学南校の教官として
英語を教えることになった
が、
しかし過去においてかれは
正規に学校へ入ったこともなく、
精神生活においては、横浜で
ヘボン夫人から英語をならったとき、
少しばかりの宗教的な話を
きいただけであった。

ここまで来てもまだ16歳。

高橋少年の唐津赴任までの話。
次回も続けたい。

 

 

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