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2022年6月19日 (日)

高橋是清の少年時代 (1)

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高橋是清の少年時代 (1)

- 私生児から14歳で米国へ -

 

前回
旧大島邸の案内板にあった
この文言を紹介した。

唐津藩の英語学校、
耐恒寮(たいこうりょう)において、
東京駅を設計した
辰野金吾(たつのきんご)
同じく著名な建築家である
曽禰達蔵(そねたつぞう)らとともに、
後の蔵相、首相を務めた
高橋是清の薫陶を受け、
・・・・

この一文は、
私の唐津への関心を一気に高めてくれた。

唐津藩の藩校では、
高橋是清が教壇に立ち、
生徒には辰野金吾と曽禰達蔵がいた、
と言っているわけだ。

知らなかった歴史との出会いがあるから
旅は楽しい。

そもそも高橋是清についても
「二・二六事件で暗殺された元首相」
程度のことしか知らないレベルなので、
「藩校の先生」、しかも教え子には
のちに名建築を残す建築家の名が並んでいる、
というのがどうもイメージできない。

というわけで、まずは高橋是清から、と
下記の本を手にしたわけだが、
その一生はまさに数奇なものだった。

大島清 (著)
高橋是清 - 財政家の数奇な生涯
中公新書

(以下水色部、本からの引用)

唐津と繋がりができるまでの
エピソードだけでも少し紹介したい。

といっても、実は
高橋が唐津に先生として赴任したのは
わずか18歳のとき。

耐恒寮(たいこうりょう)で出会ったとき、
教師 高橋是清 18歳
生徒 辰野金吾 18歳
生徒 曽禰達蔵 19歳
この年令構成を見ただけでも
興味は深まるばかりだ。

 

高橋是清は安政元年(1854年)、
幕府の絵師川村庄右衛門の家に
奉公していた侍女
北原きん(このとき16歳)の
私生児として生まれた

このとき庄右衛門47歳。

庄右衛門は和喜次(わきじ)と名付け
自分の子としても認めたが、
家には6人の子があったため、
生後3,4日のうちに、
仙台藩の足軽
高橋覚治是忠(これただ)の家に
里子に出された

その後菓子屋への養子の話もあがるが、
是忠の養母喜代子が強く反対し、
実子是清として届け出る

ともかく、
高橋は私生児として生まれ、
里子に出され、
養子にやられるという、
こみいった事情に育ちながら、
私生児にありがちな劣等感や
性格の暗さなど全然ない。

逆にあけっぱなしで、思ったことは
歯に衣をきせることなくいい、
いつもにこにこしているので、
人に憎まれることのない
楽天家として一生をおわった


(中略)

このような性格は
もちろん天成のものと
いえるのであろうが、
しかし祖母喜代子の厳しいしつけと
暖かい思いやり
に負うところが
大きかったことは
見逃せないところである。

 

そのころ、
藩の江戸屋敷に
大童信大夫(だいどうしんだゆう)という
居留守役がいた。
大童は福沢諭吉とも親しかった男だが

これからの人間は外国の事情を
勉強しなければならない
という
考えをもっていて、
洋学の勉強をする若い武士などに
とくに目をかけた。

(中略)

足軽小者の子供のなかから、
英語の勉強に
まず横浜へ派遣することをかんがえ、
結局高橋と
鈴木六之助
(のち日本銀行出納局長鈴木和雄)
を選んだのである。

1864年、同年の二人は11歳で
横浜居留地のヘボン博士のもとへ
英語を習いに通うようになる。

このときも祖母喜代子は、藩に頼んで
横浜に急造の一戸を建ててもらい、
二人の炊事から身のまわりの
世話をやいたという。

そのころの社会情勢をちょっと見てみよう。

文久2年(1862年)
 1月 坂下門の変
 4月 伏見寺田屋事件
文久3年(1863年)
 5月 長州藩攘夷実行
 7月 薩英戦争
 8月 尊攘激派が京を追われる
元治元年(1864年)
 7月 蛤御門の変
 8月 四ヵ国連合艦隊の長州攻撃

このような社会体制の変革期に、
少年時代をすごしている高橋にとって、
積極的に
海外へ眼を向けさせてくれた人たち、
大童や祖母があったことは、
幸運というほかない。

高橋は、横浜で英語をみっちり学び
慶応3年(1967年)7月、
正式に藩からアメリカへ
派遣されることになった。
このときまだ14歳。

高橋は祖母の手製の洋服と
古道具屋で見つけた
婦人靴をはいて出かけた。

ところが渡米後、高橋には
「奴隷として売られてしまう」
という運命が待っていた。

長くなってきたので、
続きは次回にしたい。

 

 

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