治療ではなく「社会の保護」が第一目的
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治療ではなく「社会の保護」が第一目的
- 攻撃性と暴力は病気由来ではない -
イタリアでの精神病院廃絶の物語から
精神医療だけでなく
正常と病(やまい)、
精神と身体、
地域と社会、
抑圧と自由
などについて深く考察している
松嶋 健 (著)
プシコ ナウティカ
―イタリア精神医療の人類学
世界思想社
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに。
以下、水色部は本からの引用)
からキーワードをピックアップする3回目。
本全体の前提となる
プシコ ナウティカ(魂の航海)
近づいてみれば誰一人まともな人はいない
について簡単に紹介したが、
今日は、具体的に
精神病院まわりのことについて
学んでみたい。
まずは、
イタリアの精神病院の歴史を
簡単に見てみよう。
治療らしい治療を受けることもなく、
裸のまま手足を鉄鎖でつながれ
というような、病院のひどい状況が
日刊紙で報じられたのは1902年。
その後、1904年
「精神病院および精神病者に関する規定。
精神病者の保護と治療」
という通称「ジョリッティ法」が
公布される。
名称だけでは
その内容を想像することはできないが
そこには強制入院の規定だけがあった。
親族と後見人のほか、
精神病者と社会についての
利害に関わる者であれば
誰でもが可能であった。
なぜなら強制入院の条件は、
本人にとっての
治療の必要性からではなく、
社会的な危険性と
公序良俗の紊乱(びんらん)
(パブリック・スキャンダル)に
あったからである。
つまり、名称に反して、
そもそもの目的が
患者の治療ではなかったわけだ。
「精神病者」の保護と治療が
目的とされているにもかかわらず、
実際には、
社会的に危険な存在からの
「社会」の保護が第一の目的だった
ということである。
そして、精神病者の治療は
あくまでも
「社会」の保護という目的の下位に
位置づけられているのであり、
この二つの役割を
同時に遂行するための
特権的な場所として
精神病院は要請されている。
その結果、精神病者の
「モノ化」「施設化」が
進んでしまうことになる。
他の諸々の施設と異なっているのは、
そこが「医学」の名のもとに
正当化された場所だという点である。
それゆえそこで
「治療」の名のもとに行なわれていた
様々を実践もまた、
人間をモノ化するための
技術の一つとして
据えられなければならない。
治療とは呼べないような施術の実態も
本には詳しい。
さらに病気が重ね合わされ、
どこまでが本当の病気で
どこからが
施設にいることに由来する効果なのか、
区別かつかなくなった
状態のことである。
そんな時代に、精神病院の院長となった
ヴェネツィア生まれの精神科医
フランコ・バザーリア
(Franco Basaglia)は、
拘束衣の使用の禁止や閉鎖病棟の開放等、
さまざまな改革を行っていく。
そして
新たに出てきた攻撃性と暴力は、
病気に由来するものではなく、
施設化の暴力に対する
異議申し立ての表現である。
というような実態に気づいていく。
その後、バザーリアは
精神病院廃絶に向けて尽力するようになるが
そこで彼が示したものの考え方には、
精神病院廃絶という分野に限らない
たいへん示唆に富む重要な視点が
含まれている。
次回は、その点に絞って話を進めたい。
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