「今何が起きているのか」を見つめる感性
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「今何が起きているのか」を見つめる感性
- 子どもたちから学べること -
雑誌「中央公論」2021年9月号に
掲載されていた
独立研究者 森田真生さんと
大阪市立大学准教授 斎藤幸平さん
との対談
豊かな未来のための
「脱成長」戦略
(以下水色部、記事からの引用)
から、先週に引き続き
もう一箇所紹介したい。
様々な活動を通じて
子どもたちとよく接している
森田さんらしい指摘だ。
僕は、危機において
主体を強くしていこうとする発想には
懐疑的です。
たとえば
大人と子供が一緒にいる場面を
想像してみてください。
子供たちはテーブルの下で
かくれんぼをしたり、
本棚に上ってジャンプしたりして
遊び始める。
それを見ると、
大人はつい自分たちが知っている
"意味"を振りかざそうと
してしまう。
「テーブルは食事をする場所だから、
上がらないで」
「本棚は本を収めるところ」と。
確かにそんな時、
「意味を振りかざして」しまいそうだ。
この場合、
強い主体であろうとしているのが
大人の方です。
でも結局は、大人は
生き生きと遊ぶ子供たちの
主体の弱さに翻弄されてしまう。
子供たちは、
大人が設定した世界に
反旗を翻しているわけではありません。
みずからの正しさを
主張しているわけでもない。
彼らは大人が生きている世界の中で、
その世界の配置のまま、
世界のあらゆる構成要素を、
それまでとはまったく違う意味で
使い始める。
斎藤:
なるほど。面白いですね。
「その世界の配置のまま」が
キーワードだろう。
振りかざしてしまう「意味」を
どの世界にでも
押し付けようとしてしまうのが、
押し付けて考えてしまうのが大人だ。
「その世界の配置のまま」
テーブルや本棚を捉えるとどうなるのか、
子どもから気付かされることは多い。
強い主体として
意味をコントロールしようとしている
大人よりも、既存の世界を
別の意味で遊び始める子供たちの方が
その場を支配してしまう。
これはいろいろな意味で
示唆的な構図だと思います。
問題を一方的に特定し、
これをとにかく解決するのだ
という考えそのものが
孕んでいる暴力性があります。
それよりも、
今何が起きているのかに、
まずはしっかり感性を
開いてみることが必要
ではないでしょうか。
斎藤さんは、
「マルクス研究者としては、
ソ連がまさにそうした"暴力"に加担し、
失敗したという反省があります」
と述べている。
日本で、世界で、
「今何が起きているのか」を見つめる感性。
意味や固定観念で
ついつい見てしまいがちな大人たちは
子どもから学べることも多い。
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