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2021年10月24日 (日)

総計133巻142冊の大全集

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総計133巻142冊の大全集

- 100年を越えて蘇る「研究ノート」 -

 

前回、ベストセラーとなっている

 斎藤幸平 (著)
 人新世の資本論
 集英社新書

(以下水色部、本からの引用)

について、

 この本のことを
 ブログで取り上げたいと思ったのは、
 未来社会への提案の
 中身そのものではなく
 本の中で何度も説明されていた
 マルクス研究の背景が
 たいへん興味深かったからだ。

と書いた。

今日はその部分に絞って紹介したい。

 

この本、
「ここからが、いよいよ本題である」
が本のちょうど真ん中あたり
(370ページ超の本の179ページ目)
にまで来てようやく登場するのだが、
そもそも私には
資本主義の見方についての基礎知識が
ほとんど何もなかったので、
途中いくつもの?が浮かぶものの
本題の前提となる話自体も
おおいに楽しむことができた。

世間一般でマルクス主義といえば、
ソ連や中国の共産党による
一党独裁と
あらゆる生産手段の国有化
というイメージが強い。

そのため、時代遅れで、
かつ危険なものだ
と感じる読者も
多いだろう。

実際、日本では、ソ連崩壊の結果、
マルクス主義は大きく停滞している。
今では左派であっても、
マルクスを表立って擁護し、
その知恵を便おうとする人は
極めて少ない

なのになぜ、今、

マルクスならば、
「人新世」の環境危機を
どのように分析するのかを
明らかに

しようとするのだろう。
というか、
なぜそんなことが可能なのだろう。

実は、近年MEGA(メガ)と呼ばれる
新しい『マルクス・エンゲルス全集』
(Marx-Engels-Gesamtausgabe)
の刊行が進んでいるのだ。

日本人の私も含め、
世界各国の研究者たちが参加する、
国際的全集プロジェクトである。

規模も桁違いで、最終的には100巻を
超えることになる。

今年(2021年)の1月に放送された
NHK Eテレ「100分de名著」の
「資本論」の回で著者の斎藤さんは、
「すでに120冊」が刊行されていると
言っていた。

このMEGA(メガ)、
いったいどんな全集なのだろう。

はじめて公開されることになる
新資料も含めて、
マルクスとエンゲルスが
書き残したものは
どんなものでも網羅して、
すべてを出版する
ことを
目指しているのがMEGAなのだ。

私は全く知らなかったのだが、
Wikipediaには
「1975年から刊行がはじまり(中略)
 総計133巻142冊の構成が確定した」
とまである。
しかも
「すべての著作には、
 著者であることの証明や日付の証拠、
 継承された手稿と
 正当性を認められた印刷物の
 正確な記述をふくむ成立と
 継承の歴史が表されている」
と内容の厳密さも確保されているようだ。

なかでも
とりわけ注目すべき新資料が、
マルクスの「研究ノート」である。

マルクスは研究に取り組む際、
ノートに徹底した抜き書きをする
習慣をもっていた。

亡命生活でお金もなかったため、
ロンドンの大英博物館で、
毎日、本を借りては、閲覧室で
抜き書きを作成したのである。

『資本論』の研究は
これまでももちろん精緻になされてきたが、
『資本論』においてさえ、
マルクスは自身の最終的な認識を
十分に展開できていなかったようだ。

というのは、『資本論』第一巻は
本人の筆によって完成し、
1967年に刊行されたものの、
第二巻、第三巻の原稿執筆は
未完で終わってしまった
からだ。

現在読まれている
『資本論』の第二巻、第三巻は、
盟友エンゲルスが
マルクスの没後に遺稿を編集
し、
出版したものにすぎない。
そのため、
マルクスとエンゲルスの
見解の相違から、編集過程で、
晩年のマルクスの考えていたことが
歪められ、見えにくくなっている箇所も
少なくない。

なぜなら、
マルクスの資本主義批判は、
第一巻刊行後の1968年以降に、
続巻を完成させようとする苦闘のなかで、
さらに深まっていったからである。

いや、それどころか、
理論的な大転換を遂げていったのである。

つまり、著作にならなかった研究が
大量の「研究ノート」から
読み解ける
というわけだ。

そういった研究ノートをも含む
大全集の規模をもう一度書いておきたい。
完成すれば総計133巻142冊!

斎藤さんのこの著書も
そういった新資料から見えてきた
これまでにはなかったマルクス像を
提示してきている。

 

著作だけでなく「研究ノート」までもが
死後100年を越えてなお
世界中の多くの学者によって
研究され続けているという現実、
しかも、読み解くと
そこには現代にも通じる数々の
有益な示唆が含まれているという現実、
マルクスという人物の偉大さには
驚かされるばかりだ。

一方で、考えてしまうのは
現代の「研究ノート」だ。
「研究ノート」はPCの中、
つまり電子ファイルで、という学者も
今は多いのではないだろうか。

マルクスに限らず、
著作や論文にならない研究内容や
思い悩む思考の過程が、
そこにはあるはずだ。

マルクスの研究ノートは
紙で残っていたからこそ
100年後も読むことができた。

電子ファイルはどんな媒体で、
どんなフォーマットで残るにせよ、
100年後も読むことができるだろうか?

 

 

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