「ノヴェンバー・ステップス」琵琶師 鶴田錦史
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「ノヴェンバー・ステップス」琵琶師 鶴田錦史
- 琵琶が軸にある波乱万丈の人生 -
立花 隆 (著)
武満徹・音楽創造への旅
文藝春秋
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに。
以下、水色部は本からの引用)
から、
「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル
「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言
「ノヴェンバー・ステップス」2週間の事前合宿
「ノヴェンバー・ステップス」決闘と映画音楽と
と名曲「ノヴェンバー・ステップス」
に関する話を続けてきたが、
今回で最後としたい。
最後にどうしても触れておきたかったのは
琵琶を担当した鶴田錦史さんについてだ。
鶴田錦史さんって?、という方は
ここにリンクを貼った
動画を見ていただき、
その演奏と容姿を確認いただければ、と思う。
そのうえで紹介を始めたい。
「ノヴェンバー・ステップス」は、
鶴田錦史を「頭において」どころか、
「すぐそばにおいて」
作曲されたのである。
「ノヴェンバー・ステップス」は
武満が長野県小諸近くの
御代田に持つ山荘に
3ヵ月間閉じこもって作曲されたのだが、
その間鶴田は、
そのすぐ隣りに別荘を買って、移り住み、
武満の求めに応じて、
琵琶のあらゆる奏法を解説し、
武満の考案した独特の記譜法で
書かれた譜に従って
音を出してみせるという形で、
作曲を助けたのである。
「別荘を買って移り住み」??
もうこの一行で
興味を抱かないわけにはいかない。
その鶴田さんのことを
武満さん自身も次のように書いている。
真に精神的な師匠と呼べるひとだ。
音楽家として傑れているばかりではなく、
人生の達人でもあられるし、
その人格は無垢で、
これは大先達に対して礼を失することに
なりかねないが、時に、
まるで幼児のように無邪気で、
その豊かな人間的な滋味は量りしれない。
いったいどんな方なのだろう?
実はちょっと変わった経歴をお持ちだ。
北海道滝川市生まれで、
本名をキクエといった
(1964年に戸籍を変更し、
芸名の錦史を本名とした)。
「本名 キクエ」
えっ!?と思った方。
はい、私も思わず読み返してしまいました。
そうなんです。
舞台や写真を見たことがある人は
ご存知の通り、
鶴田はいつも男装である。
洋装のときは背広にネクタイだし、
和装のときは紋付き羽織袴である。
顔付きも男だし、声も男である。
おまけに名前も男性風だから、
たいていの人は
鶴田を男だと思ってしまう。
演奏動画は何度も見ているし
CDまで持っているのに
女性ということは
この本で初めて知った。
鶴田さんは
驚くほど上達が早く、
早くも12歳で演奏活動を開始する
とともに、弟子も取り、
13歳でレコードを吹き込み
(「白虎隊」三枚組)、
16歳でNHKに出演するなど、
天才児の名をほしいままにした。
その後、お弟子さんも増えていき
まさに順風満帆だったのだが、
ある日突然琵琶をやめて、
実業界に乗り出してしまう。
その理由をこう語っている。
きたないものがありましてね、
それがいやになってしまったんです。
結局、お金なんですね。
弟子がふえると、
演奏会をやるでしょう。
わたしのところは、
最盛期500人くらいいたわけですから、
結構な会をやるわけです。
そんなとき、
実力主義でやりたいと思っても、
流派を盛りたてて、
琵琶の世界で食っていこうとする限り、
金持ちの弟子をチヤホヤし、
いい場所に出してやる、みたいなことを
しなくちゃいけない事情から
逃げることができなかったのだ。
要するに琵琶で食べようとするから
こうなるのだ。
いやなものはやめちゃえばいい。
稼ぐのはよそで稼いで、
琵琶はその稼いだ金で、
好きなようにやればいいのじゃないか。
どんな手段でも金が儲かればいい。
とにかくまず稼ぐことだと考えて、
商売をはじめたわけです」
で、水商売を始めるのだが
こちらも大成功!
有数の巨大なナイトクラブを経営し、
喫茶店、レストラン、飲み屋などを
何軒も持ち、
貸しピル、マンションなども
複数所有して
不動産業も営んでいたから、
一時期は、江東区の
高額所得者ランキングの常連だった
のである。
「稼ぐのはよそで稼いで」を
実現させてしまった鶴田さん。
実力はあるけれど
お金がない弟子たちを、
ナイトクラブの社員という形にして、
月給を与えて
養成したりもしていました。
そんな中、芸術祭参加公演にて
武満さんとの運命的な出会いを
果たすこととなる。
その後、
「怪談」での仕事をきっかけに、
鶴田は再び琵琶の世界にのめりこみ、
それまでの実業家としての成功を
すべて投げ捨ててしまうことになる
そして、それまでの成功で蓄えた
巨額の資産も
ほとんど使い尽くしてしまう。
琵琶の世界に戻ってから、
まず、水商売を
全部やめてしまいました。
そのあとしばらくは、
貸しビルやマンションを
やっていたんですが、だんだん、
そういうものも
全部売り払ってしまいました。
琵琶なんて、
お金が儲かるわけじゃなくて、
持ち出しですから、
お金はどんどんなくなっていくんです。
でも、もともと、
あたしの資産は、
いずれ琵琶の世界に戻ることを
目ざして蓄えていたものですから、
これでいいんです。
みんな自分の才覚で
貯めたものですから、
全部使いつくして
死ねればいいと思ってるんです」
1995年4月4日没 享年83。
もう一度演奏を聞きながら
合掌したい。
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