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2021年8月

2021年8月29日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」2週間の事前合宿

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「ノヴェンバー・ステップス」2週間の事前合宿

- ギフトショップのチョウチンではないからこそ -

 

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

から、
「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル
「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言

と新しい音楽がニューヨークで
産声をあげる瞬間を
簡単に紹介させていただいた。

上記記事に引用した通り、
ニューヨーク・フィルとの間では
和楽器との共演に向けて
緊張した時間が流れたわけだが
実は小澤さん、
「ノヴェンバー・ステップス」 
の初演を成功させるべく
事前に周到な準備をしていた。

ニューヨークの連中は
やっぱりプライドが高くて、
異質のものに対する包容力に
欠けているところがありますから
『ノヴェンバー・ステップス』を
受け入れてくれるかどうか、
ぼくは不安だったんです。

ニューヨークの場合、新曲でも、
2、3日しか練習時間がとれません
から、
あんな難しい曲を
仕上げられるわけがない。

は、小澤さんの弁。

武満さん作曲の
琵琶と尺八の二重奏「エクリプス」を
聞いて感激した小澤さんが
それをバーンスタインに聞かせたことが
「ニューヨーク・フィルから
 武満さんへの作曲依頼」
につながったのだが、
当時の小澤さんはまだ32歳。

ご本人曰く
「ニューヨークじゃまだ
 チンピラ扱いされてるみたい」
だった小澤さんは、
その2年前から音楽監督になっていた
カナダのトロント交響楽団の協力を
仰いだのだ。

「トロント交響楽団にすれば
 ニューヨーク・フィル公演のための
 練習台にされるわけで、
 そこまでぼくに付き合う必要は
 ないわけですが、
 大協力してくれたんです。
 ほんとに感動的でした。

トロント交響楽団の協力が
得られることになったため
ニューヨークに行く前に、
なんと2週間も
カナダのトロントで
ビッチリ練習に打ち込んだのだ。

 きっとぼくたちが
 あまりにも真剣になっていたからだと
 思いますよ。

 なにしろ日本から、
 作曲家と二人のソリストがやってきて、
 2週間も泊り込みで、
 毎日毎日練習に明け暮れた

 わけですからね。

 あの頃、日本なんて貧乏国で、
 1ドル360円の時代です。
 その費用だって大変なわけですよ。

 あの連中を助けてやろうという
 気特ちになったんだと思いますね」

今回の作品が、
和楽器との融合という新しい世界を
ハイレベルで実現できていることへの
確信みたないものが
「あまりにも真剣」を
生み出していたのだろう。

日本の音楽との融合が、ときに
安っぽくなってしまう場合がある
ことについて、小澤さんは
「棒ふり一人旅」(週刊朝日)
の中で、
実にうまい表現を使っている。

これまで、多くの作曲家が
われわれ自身の音楽、現代の
日本の音楽を書こうとこころみた。

あるときは日本の民謡を取入れ、
日本のリズムを取入れ、
お寺の鐘の音を書入れたり、
雅楽の響きを
オーケストラでまねてみたりした。

むろんうまくいく場合もあるが、
下手をすると、
ニューヨークの町角でみられる安っぽい、
いわゆる
『オリエント・ギフト・ショップ』
『東京ギフト・ショップ』の、
チョウチン、日ガザ、ゆかたがけ的な
日本ムードに堕する恐れがある

『東京ギフト・ショップ』のチョウチンか。
思わず笑ってしまうほど表現が的確だ。

初演の成功は、
そんな安っぽいものではない、
深い精神性を伴う日本発の新しい音楽を
ぜひ聞いてもらいたい、の
強い動機に支えられた
周到な準備の成果だったのだ。

 

 

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2021年8月22日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言

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「ノヴェンバー・ステップス」指揮者のひと言

- ようやく迎えられた初演本番 -

 

前回、
「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル
と題して

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

から武満徹さん作曲の名曲
「ノヴェンバー・ステップス」
初演前のリハーサルの様子をお伝えした。

作曲者の武満さんにも
尺八の横山さんにも
琵琶の鶴田さんにも

「こんなに不真面目なやつらと
 やれるかと思いました」

「うまいけれど、
 音楽やるのはメシの種という感じで、
 真剣みが
 あんまり感じられなかった」

「自分のやり番のときだけ
 指示された音を忠実に出す。
 それが終ると
 また勝手なことをしている。
 ああいうのは
 いやだなと思いました」

という思いを抱かせてしまった
ニューヨーク・フィルの面々。
指揮者の小澤さんはこういった状況に、
さてどう対応したのだろう。

武満さんはこう語っている。

そしたら小澤さんが、
『まあいいや、みんな
 きょうは練習やらなくてもいいから、
 鶴田さんと横山さんに
 日本の伝統的な曲をやってもらおう

といって、まず、
『ノヴェンバー・ステップス』の
ソロ・パートを
二人に弾いてもらったんです。

さすが指揮者、さすが小澤さん。
あの曲のソロパート、
初めて聞いたらそりゃぁ驚いたことだろう。

(演奏へのリンクは
 前回の記事に貼りましたので
 ご興味のある方は
 そちらから聞いてみて下さい)

さて、ニューヨーク・フィルの反応は?

そしたら
やっぱり向こうも音楽家ですから、
わからないにしろこれはいい音楽だ。
素晴らしい演奏だと感じるところが
あったんですね

みんな『ブラボー!』といって、
それからはうまくいったんです。

もちろん、全員の賛同が
得られたわけではなかったようで、
リハーサルが終わってから

『しょうがないから吹くけど、
 おれはお前のこんな音楽は
 大っ嫌いだ』

と言ってきたオーボエ吹きもいたようだ。

指揮の小澤征爾さんも、
当時はまだ32歳。

 

そうして迎えた初演本番。
小澤さんは「棒ふり一人旅」に
こう書いている。

演奏が始まると、はじめ好奇心で
なんとなくざわついていた会場が、
音楽の真実さ、強さ、
美しさにひっぱられて、
みなシーンとしちまうのが感じられる

会場には大物作曲家も聴きに来ていた。

聴きに来ていた作曲家の
ペンデレツキ(ポーランド)や
コープランド(アメリカ)は
真赤な顔をして、感激、興奮していた。

二日目に来たバーンスタイン
『まあ、なんという強い音楽だ。
 人間の生命の音楽だ』
と涙を流していた。

感激したバーンスタインは、
武満さん、小澤さん、
鶴田さん、横山さんの4人を
自宅に招待して、さらに
尺八や琵琶の演奏に触れることなる。

ニューヨーク・タイムズや
サン・フランシスコ・クロニクルなどの
批評も上々で、
結果的に初演は大成功をおさめた。

小澤さん自身にも

この音楽は、
ぼくの血の中で、肉の中で、心の中で、
またぼくがこれまでに得た
音楽教養の中で、
いちばんしゃべりたかったことを
しゃべっている

と響いていたようだ。

小澤さんのリハーサル時のひと言が
団員の心を動かす
大きなきっかけであったことは
間違いないが、
実は小澤さん、
「ノヴェンバー・ステップス」
成功のためにもっともっと
周到な準備をしていたのだ。

(次回に続く)

 

 

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2021年8月15日 (日)

「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル

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「ノヴェンバー・ステップス」初演前のリハーサル

- 絶望的な雰囲気の中で -

 

前回、
「相寄る魂」が作った一冊 と題して

立花隆 (著)
「武満徹・音楽創造への旅」
文藝春秋

(以下水色部、本からの引用)

の「おわりに」からのエピソードを
紹介させていただいた。
「おわりに」は、著者立花さん自身の
ことについての話だったが、
本文のほうは書名の通り、
作曲家・武満徹さんを立花さんらしく
ガッツリ取材した内容になっている。

約百時間にも及んだ
インタビューに支えられた内容は、
様々な角度から武満さんご自身と
武満さんの交友関係、
武満さんの作品(音楽)に
光をあてている。

特に武満さんの代表作のひとつ
「ノヴェンバー・ステップス」
に関する記述は多く、
なにも知らずに聞くだけでも
衝撃的な作品なのに、
本を読むことで、さらなる陰影を伴って
より立体的に聞こえてくるようになる。

「ノヴェンバー・ステップス」って何?
という方も
もちろんいらっしゃることだろう。

もしご興味があれば
ぜひ下記をご覧になって見て下さい。
尺八、琵琶とオーケストラのための作品。
約23分。

指揮:岩城宏之
   NHK交響楽団
尺八:横山勝也
琵琶:鶴田錦史
録音:1984年6月13日、東京文化会館

音声にノイズはあるもの
尺八の横山さん、琵琶の鶴田さんをはじめ
演奏の様子がわかる動画は貴重だ。

 

CDで聴くなら

指揮:小澤征爾
   サイトウ・キネン・オーケストラ
尺八:横山勝也
琵琶:鶴田錦史
録音:1989年9月15日、ベルリン

がお薦め。
動画はないがYouTubeでも
その録音を聴くことができる。
約19分。
こちらは音もかなり鮮明だ。

 

「ノヴェンバー・ステップス」は、
ニューヨーク・フィルの創立125周年を
記念しての委嘱作品だった。

1967年初演。
作品としても高く評価され
のちに世界中で演奏されることになる
この曲も、初演前の
リハーサルの様子は読むのも辛い。

作曲者、武満さんの言葉。

いやもう最初はひどかったです。
まず尺八が出てきたとたんに、
舞台の上にいた人の半分ぐらいが
笑い出しちゃって、
舞台から飛びおりて客席のほうにまで
ころげまわっていったのがいた。
 (中略)
とてもじゃないけど、
こんなに不真面目なやつらと
やれるかと思いました


それで小澤征爾に、
ぼくはもうイヤだ、
作曲料も何もらない、
キャンセルしたいと・・・

 

尺八、横山さんの言葉も

なんか心が通いあうという感じに
なれなかったですね。
みんな演奏はうまいですよ。
それこそどんな曲でも鼻歌まじりで
弾いてしまうくらいうまい。
うまいけれど、
音楽やるのはメシの種という感じで、
真剣みが
あんまり感じられなかった
ですね

 

琵琶、鶴田さんの言葉も

リハーサル中に、
なんかおしゃべりしたり、
ちがうことをやったりしていて、
自分のやり番のときだけ指示された音を
忠実に出す。

それが終ると
また勝手なことをしている。

人がやっているときでも
その音を真剣に聞こうとする態度に
欠けてるんですね。

ああいうのは
いやだなと思いました


だから、
日本人の演奏はあんたがたと
ちがうんだという気持ちで、
いつもピシッとしていました

三人が三人ともこう思うような
ある意味絶望的な雰囲気の中で
あんな難曲のリハーサルが
よくできたものだ。

三人をガッカリさせてしまった
オーケストラを前に、
指揮者の小澤征爾さんは
いったいどんな態度をとったのか?

この話、次回に続けたい。

 

 

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2021年8月 8日 (日)

「相寄る魂」が作った一冊

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「相寄る魂」が作った一冊

- 立花隆さん、18年後の出版 -

 

ジャーナリスト、ノンフィクション作家の
立花隆さんが、今年(2021年)
4月30日に亡くなっていたことが
6月になってから明らかとなり、7月には
様々な分野からの追悼記事を
目にすることになった。

立花さんは、
政治、宇宙、生命、サル学、臨死体験等々、
多くのテーマに取り組んで
作品を発表してきたが、
徹底した下調べをベースに展開される
内容の濃い本は、どれも
「知の巨人」と呼ばれることが
決して大げさではないことを
痛感させられる、すばらしいものだった。

立花さんの人柄や偉業については
交流のあった方々からの追悼記事で
詳しく紹介されているので、
今日は、少し違った角度からの
エピソードを紹介したい。

以前、本ブログで、
千枚のラブレターと題して、
若かりし立花さんの
ラブレターエピソードを
紹介したことがある。
センセーショナルな著作
「田中角栄研究」の
「まえがき」
にあった
ちょっと意外な(?)思い出話だ。

今日の話は、
立花さん76歳のときの著書
「武満徹・音楽創造への旅」
の「おわりに」
からの
エピソードだ。
(以下水色部、本からの引用)

「武満徹-」は、雑誌「文學界」で
約6年わたって続いていた連載を
まとめたものだが、
連載は1992年-1998年なのに、
出版は2016年。

18年もの隔たりののち、
二段組で780ページにおよぶ大著が
なぜ形になったのか。

そのきっかけになったのは
私が生涯の友と思って
長い間付き合ってきた
O・Mなる女性の死である。

 

O・Mさんは、
あらゆるがんのうちで
最強最悪のがんと言われる
甲状腺の未分化がんだった。

彼女とは長い付き合いがあったので、
最期の二週間ほぼフルに付き添った

 

立花さんと彼女は
8年に渡るがん友だったという。

ほぼ同時にがんになり、がんのこと、
その他もろもろを
しょっちゅう語りあってきた。

しかし今回は側にいても
何もしてやれなかった。

できることは「好きだよ」といって
毎日手を握るだけだった


「治ったらあそこに行こう、
 ここに行こう」と
できもしない夢を一方的に
語るだけだった。

できもしない夢にもニッコリ笑って
うなずいていた。

 

O・Mさんは武満徹さん作曲の名曲
「ノヴェンパー・ステップス」の
尺八奏者・横山勝也さんの高弟子の一人
だった。

本職は箏のお師匠さんで、
尺八は吹かないが、
三味線、胡弓をよくし二胡も弾いた。

箏は華麗で美しく、
地唄、小唄、端唄、
清元の江戸歌謡にも見事な色香があって
男を魅了した。

天はこの人に二物も三物も与えていた

らしい。
邦楽に詳しいO・Mさんには、
連載時、多くの助言解説で
助けてもらっていた。

 

「相寄る魂」という言葉があるが、
彼女との仲はまさにそれだった。

激情をもって愛しあう男と女の間の、
ホレタハレタ的な動きは何もなかったし、
口説き口説かれ的な言葉のやりとりも
全くなかったが、いつのまにか、
二人はごく自然にくっつき、
ただくっついているだけで幸せだった

死の直前、声を失ったO・Mさんの
「あの本お願いね」のくちびるの動き
立花さんは見逃さなかった。

「あの本お願いね」
この言葉が立花さんの心に火を点けた。

この本を完成させないうちは、
向うに行って武満さんに会っても
O・Mに会っても顔向けできないと
思っていたが、
O・Mの没後わずか数週間で
本書を一気完成させることができた。

彼女にはほらちゃんと持ってきたよと、
早く言いたかったのだ

76歳でのこの集中力、このパワー!

立花さん、O・Mさん、
そして武満徹さん、
今頃は分厚い本を囲んで
談笑していることだろう。

立花隆さん、享年80。
お三方のご冥福を改めてお祈りいたします。
合掌。

 

 

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2021年8月 1日 (日)

クイズ「赤ワインと白ワイン」

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クイズ「赤ワインと白ワイン」

- 10mlの往復が引き起こす「なんでぇ!?」 -

 

友人から教えてもらったクイズに
忘れられないものがある。

すごくシンプルな問題なのに
出題してみると
「えっ、なんでぇ!?」
と返される率が異様に高い。

ご興味があれば読者の方も
ぜひ考えてみて下さい。

【問題】

ここに
赤ワインの入ったグラスと
白ワインの入ったグラスがある。

今、赤ワインのグラスから
10mlの赤ワインを
白ワインのグラスに移す。

白ワインのグラスをかき混ぜたあと、
白ワインのグラスから10mlをすくって
赤ワインのグラスに移す(戻す)。

「10mlのワインが一往復しただけ」
なので、それぞれのグラスには
最初と同量のワインが
入っていることになる。

さて、問題。
上記ワインの一往復の後、
(a) 白ワインのグラスに入っている
  赤ワインの量

(b) 赤ワインのグラスに入っている
  白ワインの量

は、どちらが多いか?

 

この問題、

最初に白ワイングラスに入る赤ワインは
薄まっていない、言ってみれば
「純粋な赤ワイン」だけれど、

赤ワイングラスに戻される白ワインは
「赤の混じった白ワイン」
ゆえ、

純粋な赤ワインが注がれた方、つまり

(a) 白ワインのグラスに入っている
  赤ワインの量
の方が多い、

と答えてしまう人が多い。
しかし残念ながらそれは間違いだ。

「えっ、なんでぇ!?」と思った方、
簡単に図を書きながら考えてみたい。

Rwwine1

左が赤ワイングラス、右が白ワイングラス


Rwwine2

1ブロック=1mlとして図に書くと、
赤ワイングラスから白への10mlの移動は
緑の枠に相当する。


Rwwine3

10mlを移した直後はこんな感じだが、
もちろん赤ワインはすぐに混ざっていく。


Rwwine4

混ざった後、赤ワイングラスに
10mlを戻すとは、こんな感じ。


Rwwine5

これで10mlがグラス間で
一往復したことになる。
この図の場合で言うと、
1ブロック=1mlを表しているので
赤ワイングラスに含まれる白ワインは8ml
白ワイングラスに含まれる赤ワインは8ml
つまり両者は同じだ。


Rwwine6

最終的な形態を図で見ればわかる通り、
どんな場合(比率)で一往復しても
左グラスに含まれる青ブロックの数と
右グラスに含まれる赤ブロックの数は
必ず一致する。

最終的には、元の量に戻り、
(左に青が1入れば、
 その時は必ずその入れ替わりに
 右に赤が1入る、わけで)
左右で赤と青が
入れ替わっているだけ
なのだから、
当然といえば当然なのだが、
問題文で考えると
「最初の移動は10個全部赤」
「次の移動は10個以下の白」

という事実につられてしまって
多くの場合、
最終的な形態を冷静に考えることが
できなくなってしまうようだ。

シンプルだけれど、
いや、シンプルだからこそ
よくできた問題だ。

 

 

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