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2021年6月 6日 (日)

「過去が未来を食べている」

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「過去が未来を食べている」

- 仮説に支配されていないか -

 

森田真生 (著)
計算する生命
新潮社

(以下水色部、本からの引用)

を読んで

 * 「状況」に参加できる「身体」
 * 世界自身が、世界の一番よいモデル
 * 「responsibility(責任)」とは

について紹介してきた。

本から、もういくつか
印象深い言葉をピックアップしたい。

人工知能研究のアメリカの非営利団体
オープンAIが2020年6月に公開した
「GPT-3」は、
人間が書いたものと
ほとんど見分けがつかない水準の
エッセイや詩を自動生成するという。

GPT-3は、
ウェブや電子書籍から収集した
一兆語近い単語の
統計的なパターンを学習して
文章を作成していて、人間のように
言葉を「理解」しながら
作文をするわけではない。

肝心なのは、
意味よりもデータであり、
理解よりも結果
なのだ。

こうした技術が
目覚しく進歩していくなかで、
意味や仕組みを問わずとも、
計算の結果さえ役に立つなら、
それでいいではないか
という風潮も
広がってきている。

「結果さえ役に立つならそれでいい」
の声を聞くシーンは
いまやあちらこちらにあるが、
そんな時、
我々は他律化している、
と森田さんは言う。

何しろコンピュータに
意志や意図はない。

膨大なデータを処理する機械の作動に
振り回されるとき、
私たちは
「人間を超えた」機械に
支配されているのではなく、

人間が過去に設定した
「隠された仮説」に、
支配されているだけ
なのだ。

 

哲学者ティモシー・モートンは

深く計算が浸透し、
自動化が進んでいく
現代の社会が抱える問題は、
「過去が未来を食べている」
ことであると、

2020年に開催された
オンライン講演『Geotrauma』
のなかで語ったという。

学習に基づいて
プログラムを更新できる人工知能でも
更新の仕方そのものは、
厳密にあらかじめ設計者によって
規定されている以上、
過去に決められた規則を
遵守するだけの機械に、
無自覚に身を委ねていくことは、
未来を過去に食わせている、
とも言えるわけだ。


本の前半で丁寧に述べられている、
先人たちが計算の意味を問うことで
新しい世界を切り開いてきた

その過程を思うと
今はまさに別な方向に
歩み出してしまっているようにさえ見える。

肝心なことは、
計算と生命を対立させ、
その間隙を
埋めようとすることではない。

これまでも、そしてこれからも
ますます計算と雑(まざ)り合いながら
拡張していく人間の認識の可能性を、
何に向け、どのように育んでいくかが
問われているのだ。

改めて現実の世界に目を遣ると
前回書いた通り、悲しいかな
人間が計算機に
近づいていってしまっている面は
確かにある。

人はみな、計算の結果を
生み出すだけの機械ではない。
かといって、
与えられた意味に安住するだけの
生き物でもない。

計算し、
計算の帰結に柔軟に応答しながら、
現実を新たに編み直し続けてきた
計算する生命である。

意味を問うことで見えてくる新しい世界。
数学は長い歴史の中で、
様々な新しい世界を見せてくれた。
マイナスという数字に、虚数に、
多様体に、集合に、論理や認識の世界に。

計算だけして、
結果だけ見てそれを知性と呼べるのか。
未来を過去に食べさせるだけでは
新しい世界は見えてこない。

 

 

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