responsibility(責任)とは
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responsibility(責任)とは
- 結論がでるまで動こうとしていない -
森田真生 (著)
計算する生命
新潮社
(以下水色部、本からの引用)
を読んで
* 「状況」に参加できる「身体」
* 世界自身が、世界の一番よいモデル
について紹介した。
本から、もういくつか
印象深い言葉をピックアップしたい。
生物の認知を
特徴づける重要な性質として、
身体性(Embodiment)や
状況性(Situatedness)、
脳内だけでなく環境の情報を生かして
判断や行為を生成していく
拡張性(Extendedness)
などを指摘している。
スポーツ選手に求められるのは、
まさにこうした生命らしい知性だ。
一度開始の笛が鳴れば、
試合は待ったなしで進行していく。
選手にとって大切なことは、
試合を描写することでも
理解することでもなく、
進行し続ける試合の流れに
参加することである。
我々が生きていくということは
まさに参加していることだ。
その参加している世界で今、
我々は何をしているであろう?
地球温暖化についても、
生物多様性の喪失についても、
計算ばかりしていて、まさに
動こうとしていない。
なんとも耳の痛い指摘だ。
飛び出そうとしているとき、
果たして本当に轢かれるのか、
あるいは、
轢かれる確率がどれくらいなのか、
それを計算していては
間に合わないのだ。
十分な理由を見つけるまで
動かないことはこの場合、
それ自体が倫理に背く行いになる。
そんなとき、どうしてきたのか。
飛び出そうとしているのを目撃したら、
思わず手を差し伸べるだろう。
考える前にパスを出す
スポーツ選手のように、
気づいたときには
子を助けようとするだろう。
これこそが、
字義通りの「responsibility」
である。
「responsibility」は
「責任」とも訳されるが、
文字通りには、
「応答(respond)」する
「能力(ability)」
のことだ。
これまで、さまざまな場面で
生物としての応答能力を発揮してきた
我々は今、どうなっているだろう。
失われていく生物多様性、
崩壊していく海洋生態系などの
環境の異変に対して、
私たちは幼子に対するのと同じように
速やかに応答することができていない。
まるで、
道路に飛び出す子を前にしながら、
轢かれる証拠が揃うまで
動こうとしない機械のように、
計算ばかりしていて動かない。
機械が人間に近づくのではなく、
人間がまるで機械のように、
目前の状況に
応答する力を発揮しないまま、
計算に耽溺しているのだ。
米国の哲学者
ヒューバート・ドレイファスは
すでに半世紀前に
むしろ、
人間が計算機に近づいていく
未来の危険性を説いた。
人間を超える知能を持つ
機械の出現ではなく、
人間の知性が機械のようにしか
作動しなくなることをこそ
恐れるべきだと語った
と言う。
近年
シンギュラリティなる言葉とともに
人間を超える知能を持つ機械の出現が
話題になることが多いが、
ほんとうの危険性は「機械が」ではなく
むしろ「人間が」のほうにあるのだ。
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