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2021年3月 7日 (日)

発見とはつねに自分に関する発見だ

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発見とはつねに自分に関する発見だ

- その面白さを知らせることこそ教育 -

 

首都圏1都3県の緊急事態宣言が
さらに2週間の延長となってしまった3月、
学校は卒業のシーズンを迎えている。

以前、
卒業式式辞 鷲田清一さんの言葉
を紹介させていただいたが、
学ぶとは、勉強するとは、を
考えることが多いこの季節、
今日は、養老孟司さんの言葉を紹介したい。

養老孟司(著)
異見あり<脳から見た世紀末>
文春文庫

(以下水色部、本からの引用)

 

まずは、養老さんがあちこちに書いている
「現代の誤解」の訂正
「情報は変わらないが人は変わる」
の話から。

ことほどさように、人は変わる
しかし多くの人は、
人は実体であり、変わらないが、
マスコミに代表される情報は、
日々違って、移り変わっていくと
感じているのではないか。

私はこれを現代の誤解だといった。

情報過多というのは、
動かないものとしての情報ばかりあって、
「生きて動いているものとしての人」
の影が薄くなっている状況なのである。

この「現代の誤解」を、
まさに勉強を例に説明してくれている。

勉強がそうである。

教科書は印刷されている。
だから何度見ても、
同じことしか書いていない。
しかしそれを読むほうは、
変わりうるのである。

だからある日突然、
教科書にこんなことが書いてあった、
と気づく。

それを「自分が気づいた」と思うのが、
いまの常識である

「えっ、そうじゃないの?」という方、
「そうじゃないよ」とひと言でバッサリ!

そうではない

それに気づかなかった
それまでの自分から、
それに気づく現在の自分へと、
「自分が変わった」
のである。

教育にとって、
これは大切なことである。
発見とは、そうした意味で、
つねに自分に関する発見である

 

自分が変わった、の一番わかりやすい例は
やはり身体の動きに関するものだろう。  

自分が変わるということ
それを
いちばんよく納得させてくれるのは、
身体の訓練である。

乗れなかった自転車に乗れるようになる。
泳げなかった自分が、
いまでは泳いでいる。
それは乗れる自分、
泳げる自分の発見なのである。

「できるようになる」
「わかるようになる」は
まさに自分自身の変化だ。
自分以外には何も変わっていないのに
まさに世界が変わったような感じがする。

自分を発見すること、

それは
人生の最大の楽しみの一つである。
だから学者は一生、学問をやめない。
それはかならずしも
学問が面白いからではない。

たえず自分が変化すること、
それに気づかせてくれるから
なのである。
その面白さを知らせること、
教育はそれに尽きる


乱暴だが、
私はそう思っているのである。

「学問は自分が変化することに
 気づかせてくれる」
だからやめられない、のだと。

そしてその面白さを伝えることこそが
教育なのだと。

各学校から、ひとりでも多く
「その面白さ」を知った卒業生が
旅立っていきますように。

 

 

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