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2021年2月

2021年2月28日 (日)

「だから、まわりの話だけしているの」

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「だから、まわりの話だけしているの」

- 古い記憶の再確認 -

 

ヘミングウェイの小説
「日はまた昇る」

の最後のほうに確かこんなセリフがあった。

「話をすると思い出が消えちゃうよ」
「知っているわよ。
 だから、まわりの話だけしているの

些細なことがきっかけとなり
ウン十年も前に読んだ小説の一節が
急に蘇ってきたのだが、
とにかく古い記憶ゆえ
その正確さには全く自信がない。

読んだときの気分で、
自分勝手に組み立て直して
頭に収めてしまっているのかもしれないし。

そう思うと急に確認してみたくなった。

近くの図書館で検索すると、
文豪の本だけあって在庫分だけでも
新潮文庫、岩波文庫、原書
の3冊がある。
日曜日、いい加減な思い出の
確認作業に出かけてみた。

まずは新潮文庫から。

新潮文庫 訳者:高見浩

「その話は
 もうしないんじゃなかったかい」
「ついしゃべっちゃうのね」

「あまり話すと、
 せっかくの体験が色褪せてしまうぞ」
「だから、肝心な点には
 触れずに話してるんじゃない」

 

岩波文庫では、

岩波文庫 訳者:谷口陸男

「もうその話は
 やめるんじゃなかったのか」
「仕方がないじゃない?」

「あんまりしゃべると、
 いいとこが消えちゃうぜ」
「まわりの話をしてるだけよ」

 

英語の原文では、

原書

'I thought you weren't going to
 ever talk about it.'
'How can I help it?'

'You'll lose it
 if you talk about it.'
'I just talk around it.'

 

他にもいくつかの訳本が
出回っているようだ。

当時、私が読んだのが誰の訳だったのか
全く覚えていないが、自分の記憶が
大きく間違っていなかったようで、
ちょっとホッとした。

それにしても
たった4行だけを比べてみても、
訳によってずいぶん印象が違うものだ。

 

色褪せてしまったり、
消えてしまったりしないように
まわりの話だけをしたくなるような
大切な思い出がもしあるならば、
もうそれだけでずいぶん幸せなことだと思う。

 

 

 

 

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2021年2月21日 (日)

「こだわる」にこだわりたくはないけれど

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「こだわる」にこだわりたくはないけれど

- 「つまらないこと」だけに使いたい -

 

ずいぶん前からとはいえ、
最近ますます気になっている言葉に
「こだわる」がある。

この言葉、もともとは
「気にしなくてもいいような
 些細なことにとらわれる」
といったような
かなりnegativeな意味だったはずだ。

それが近年は、別な意味で使われることが
圧倒的に多くなってしまった。

昭和のオヤジとしては
それが気持ち悪くてしかたがない。

そういえば同じ昭和のオヤジ
タレントの松尾貴史さんも
本件に同じ不快感を示していたなぁ、
とスクラップブックをめくってみたら
あった、あった。

2007年1月18日の
朝日新聞夕刊。

A070118ekodawari

松尾貴史さんが
  「こだわり」にこだわる理由
というコラム
を掲載している。
(以下水色部、記事からの引用)

私は、
「こだわり」と言う言葉が嫌いだ。
「こだわりの料理店」
「職人のこだわり」
「こだわりの逸品」などなど、
言葉自体というより、
その使われ方がみっともない。

松尾さんは「みっともない」
という言葉を使っている。

丁寧に辞書を追ってくれているので
まずは見てみよう。

広辞苑第四版(1991年改訂)には、
「さわる。さしさわる。
 さまたげとなる」

「気にしなくてもよいような
 些細なことにとらわれる。
 拘泥する」


「故障を言い立てる。
 なんくせをつける」
など、
およそいい意味の言葉ではない
解説が並んでいる。

そぉ、まさに私のイメージもこれ。

「つまらないことにこだわるなぁ」
みたいな使い方が一番しっくりくる。

 

それがどうだろう、
第五版(1998年改訂)では、
「些細な点にまで気を配る。
 思い入れする」という、
時流に媚びた表現
が加わっている。

「媚びた」と感じるのは
私の主観だけれども、この言葉が
褒め言葉として跋扈している風潮が、
どうにも不快なのだ。

私自身は言葉の専門家ではないので
ほんとうのところはわからないが、

「つまらない、どーでもいいこと」に対して
細かく気にしてあれやこれや言う
「つまらないことにこだわる」
の対象が、
「つまらない、どーでもいいこと」から
「それ以外のもの」
さらには正反対の「重要なもの」にまで
拡大してきた、ということなのだろうか?

「食材にこだわるシェフ」
などと聞くと、食材は
「つまらない、どーでもいいこと」なのか
とツッコミたくなってしまい
逆にいいシェフに思えないのだ。

まぁ、私個人の私的な認識との
ギャップに文句を言ったところで
もはやこの風潮というか使い方を
変えることはできないだろう。

でも少なくとも私自身は、
「つまらない、どーでもいいこと」に対して
「こだわる」ときにしか
使わないようにしようと思っている。

食材もそうだが、対象を詳細に理解し、
ほんとうに細かい点にまで気を配れる人は、
拘泥とはむしろ逆、
そこから自由にはばたける発想を
持っている気がする
からだ。

 

 

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2021年2月14日 (日)

リアリズムって?

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リアリズムって?

- リアルな博物画は幻想絵画? -

 

「日本資本主義の父」とも称される
渋沢栄一をモデルにした
NHKの大河ドラマ「青天を衝け」が
今日2021年2月14日から始まった。

渋沢の出身地である
埼玉県深谷市を訪問した話は
深谷の煉瓦(レンガ)なる題で
このブログでも以前簡単に書いた。

深谷に行くと、渋沢家の旧宅
通称「中の家(なかんち)」のほか
誠之堂(せいしどう)、
清風亭(せいふうてい)といった
移築した建物も
近くで見学できるのだが、
建物以上に
中の家の「血洗島(ちあらいじま)」という
なんとも恐ろしい響きの住所が
いまでも忘れられない。

さて今日は、渋沢栄一で思い出した
(と言ってもご本人ではなくお孫さん)
小さなエッセイを紹介したい。

荒俣宏さんが
雑誌「文藝春秋」の1989年8月号の
巻頭随筆として寄せていた
「新巻鮭とルナールに始まる」
というエッセイ。
(以下水色部、エッセイからの引用)

 

渋沢栄一から
孫の敬三が受け継いだ渋沢財閥は
近代日本の経済をリードしたが、
日本の魚類学をもリードした

渋沢栄一の孫敬三さんは、
「祭魚洞文庫」という名で
漁業史関係の文献を残したらしい。

荒俣さんは、この「祭魚洞文庫」を
調査するのだが、
そこですごいものを発見してしまう。

世界最初の太平洋産魚類図譜、
 ルイ・ルナール刊
 『モルッカ諸島魚類彩色図譜』
 (1718-19)

である。

発見時の衝撃をこんな言葉で書いている。

これを見た瞬間、思わず手がふるえ、
目がかすみ、口ら泡を吹き、
髪の毛が立ち、肌がニワトリになった。
そのくらい驚いても、
ぜんぜん不思議はない珍本なのだ。

なぜなら、この本は
初版以来三版を閲(けみ)しているが、
出版総数三百冊を超えないと思われ、
現存するもの二十点にすぎない、という
魚類図鑑史上
もっとも貴重な書物
だったからである。

そこには、シュールな魚類彩色図があった。

この絵を描いたサムエル・ファロアーズは、
序文で
「この絵は実につましい模写にすぎない。
 現物はこれよりもっと信じがたい
 体色と形をしている」と述べている。

ルナール図譜の最大の特徴は、
生きた魚を現地で精写したところで
魚屋に並ぶような死んだ魚を
描いていない点。

普通の魚類図鑑は
だいだいこの死んだ姿を
あたかも生時の姿のように描くのが
普通なのである。

ところがファロアーズは、
熱帯の魚の生きた姿を
突然リアルに描いて、西洋人に示した。

そこに成立した絵は、
魚屋の店頭の認識を出ない西洋人の
リアリズム感覚から大きく逸(そ)れた、
まさにシュールで
幻想的なファンタジー絵画に
ならざるをえなかった。

換言すれば、
博物画はリアルに描けば描くほど、
幻想絵画になってしまうという
皮肉な運命
をたどる。

博物学に詳しい、
まさに荒俣さんらしい指摘だ。

近代日本の油絵にリアリズムを
獲得しようとした高橋由一が、
生きた鮭でなく新巻鮭を描いたのは、
まこと、理にかなっていた。

なぜなら魚の死体画こそが、
陸上にいるわれわれに
陸上の魚(魚屋の魚)のリアリズムを
保証するからである。

そうなると、リアリズムなんて
じつにいいかげんな概念にすぎない

さてさて、実際はどんな絵なのだろう。

ここで簡単に紹介されている。
ポストカードでも購入できるようだ。

それにしても形だけでなく
色に驚く。
300年前のものだなんて。

 

 

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2021年2月 7日 (日)

卵を抱きながら

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卵を抱きながら

- 雛は作者が行ったこともない国に -

 

ドイツ文学の翻訳を手掛けている
翻訳家の松永美穂さんが
2006年の「図書」1月号に
「卵を抱きながら。
 もしくは、くせになる翻訳」

というエッセイを寄せていた。
(以下水色部、エッセイからの引用)

 

そもそも、
日本語に翻訳された外国の小説は、
もとはみな英語だったと
思い込んでいる人がときどきいる


わたしが
ドイツ文学の翻訳者です」と言うと、
「え、あの本、
 もとはドイツ語なんですか?」
とびっくりされたことがあった。

翻訳を出版してくれる出版社を
見つけることがたいへんであったり、
映画化の機会が少なかったり、と
英文学の翻訳と比べての
独文学の翻訳のマイナー具合を
ユーモアを交えながら
ちょっとシニカルに語っている。

でも、
もちろん卑屈になっているわけではなく、
たとえば、作者と実際に会っての会話を

訳者
「ここ、『手をポケットに入れて』
 という箇所、手は単数なのに
 ポケットが複数形なんだけど、
 一本の手を二つのポケットに
 入れていたの?」

作者
「そ、それはミスプリよ!
 編集者が見落としたのね。
 それにしてもあなたたち翻訳者って、
 ほんとに細かいところまで
 読んでるのね…(嘆息)」

と書いていたりして、
翻訳者としての緻密な仕事に
誇りをもって取り組んでいる様子が
よく伝わってくる。

その中で、
「翻訳」の瞬間を
実に上手に表現している部分があったので
今日はその部分を紹介したい。

去年のいまごろは、ベルリンにいて、
ベルリンが舞台になっている短編集を
翻訳していた。

朝ごほんを食べて、シャワーを浴びて、
コンピュータを立ち上げ、
窓際にある机に向かって腰を下ろす。

わたしが暮らしていたアパートは
建物の二階にあって、
通りに面した窓からは
道行く人がよく観察できた。

11時ごろになると、向かいの建物の
一階にある託児所の子ともたちが、
保育士さんに手を引かれて
散歩に出かける。

ベルリンの晩秋はもう寒いけれど、
子どもたちは嬉しそうに外に出てきて、
お昼ごろまた戻ってくる。

そのころになるとわたしも昼食をとり、
昼のニュース番組を見て、
ときにはスーパーに買い物に出かけ、
そのあとまた机に向かい、
日がとっぷり暮れて
託児所のシャッターが降り、
同じアパートの住人たちが帰宅する足音が
階段から聞こえてくるころまで、
翻訳を続けるのだった。

一日中誰とも口をきかないことも
あったけれど、
翻訳をしていると、
作者とずっと話しているみたいな
気分になれるので、寂しくはなかった。

卵を抱いて温めているような気持ちになり、
翻訳が進むにつれて
卵がいまにも孵化しそうになってくる、
そういうときにはあまり大勢の人と
話をしない方がいいんだと、
妙に納得したりしていた。

卵を抱いて温めているような気持ち、か。
孵化しそうになってくる、か。

私は翻訳家ではないが気持ちはよくわかる。

それほど大事にされたところから
生まれ出た訳文かと思うと
読む方も嬉しくなってしまうではないか。

 

自分の書いた作品が
自分の読めない言語に翻訳された、
ということを
すごく喜んでくれる作者もいる。

作者の自分が
まだ行ったこともない日本という国へ、
本だけが先に行ってしまった


作者が卵を産み、翻訳者がそれを孵し、
雛があちこちに散っていって、
想像もつかないような場所で
誰かに飼われている


ふとそんな光景を思い浮かべてみる。

「どうぞこれからもたくさんの雛を
 ドイツ文学の世界から
 日本に届けて下さい」
読みながら思わずそうつぶやいてしまった。

 

 

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