匂いは言葉を介さない
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匂いは言葉を介さない
- 戦後の銀座だったり、キーホルダーだったり -
「銀座百点」という小冊子に
以前、久世光彦さんが
「風の子供」という短編を寄せていた。
今は、
に収められた一篇として
読むことができる。
戦争が終わって9年、
1954年の銀座を舞台にした
予備校生の「ぼく」と
3つ年上のムツコとの物語。
「ぼくは19歳になったばかりだった」
と冒頭にある通り、実年齢もピッタリゆえ
ぼくは久世さんご自身なのかもしれないが、
フィクションかノンフィクションかは
まぁどちらでもいい。
戦後の銀座の小さな公園で
ムツコとすごす夜のひととき。
古いブランコで遊ぶシーンを
こんな言葉で書いている。
(以下水色部、「風の子供」からの引用)
プランコを思い切り大きく漕いだ。
灰色の長いスカートが
ぼくの頭をかすめて舞い上がり、
目を見開いて笑ったムツコの
蒼白い顔の向こうに、
春のカシオペアが光って見えた。
小さな記述ながらなんとも素敵なシーンだ。
若いふたりの恋(?)のゆくえはともかく
今日、この短編を紹介したいと思ったのは
ある匂いの記述に、
思わず立ち止まってしまったからだ。
戦争の匂いは
ぼくたちの公園に流れてきた。
それは獣の脂と、鉄と、瓦とが
混じり合って焼けた重い匂いで、
その中には、どうしてか、
注射液のような新しい薬品の匂いが
漂っているようだった。
一つの都市が丸ごと焼けた匂いは、
なんて執念深いのだろう。
戦争は9年前の1945年に
終わったというのに、
銀座の舗道には
若い柳が植えられたというのに
- 焼け跡の匂いだけは、
どこからか湧いて出て、
ひとしきりそこらを這い回っては、
夜の貧しいネオンが点くころになると、
残念そうに振り返りながら消えていく。
戦争に敗けた国の街は、
どこだってそうなのだろうか。
私自身は、
戦後の銀座の匂いはもちろん知らない。
でもなぜだろう、
この文章を読んでいると
嗅いだことがあるような、
懐かしいような気さえしてくるから
不思議だ。
米国で盗難にあって、現金はもちろん
パスポートから帰りの航空券まで
すべてを盗まれたことがある。
ことの顛末はここに詳しく書いたが、
実は
盗まれたものの中で、
一番ショックだったのは、
イタリアのミラノで買った
お気に入りのキーホルダーだった。
イタリア出張時、私にしては珍しく
ちょっと高かったのに気に入って
衝動買いしてしまったものだった。
実はこのキーホルダー、
デザインや革の質感だけでなく
革の匂いがすごくよかった。
買ってすでに10年以上は経っていたので、
盗んだ犯人にとっては
ナンの価値もないものだろうが、
匂いはちゃんと残っていて、
嗅ぐたびに
イタリア出張時の
いろいろな思い出が蘇ってきた。
瞬間的に初心に帰ることができる、
まさに私にとってのみ価値があるもの。
そんな存在だった。
においってほんとうに不思議だ。
一切の言葉を挟まずに
ある記憶にトリップできる。
この「言葉を介さない」感があるがゆえに
ものすごく記憶が
生々しく迫ってくることがある。
冬の日曜日、
短編を読みながら
匂いについていろいろ思い返していた。
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