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2021年1月

2021年1月31日 (日)

匂いは言葉を介さない

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匂いは言葉を介さない

- 戦後の銀座だったり、キーホルダーだったり -

 

「銀座百点」という小冊子に
以前、久世光彦さんが
「風の子供」という短編を寄せていた。

今は、

に収められた一篇として
読むことができる。

戦争が終わって9年、
1954年の銀座を舞台にした
予備校生の「ぼく」と
3つ年上のムツコとの物語。

「ぼくは19歳になったばかりだった」
と冒頭にある通り、実年齢もピッタリゆえ
ぼくは久世さんご自身なのかもしれないが、
フィクションかノンフィクションかは
まぁどちらでもいい。

戦後の銀座の小さな公園で
ムツコとすごす夜のひととき。

古いブランコで遊ぶシーンを
こんな言葉で書いている。
(以下水色部、「風の子供」からの引用)

ムツコはぼくより度胸があって、
プランコを思い切り大きく漕いだ。

灰色の長いスカートが
ぼくの頭をかすめて舞い上がり、
目を見開いて笑ったムツコの
蒼白い顔の向こうに、
春のカシオペアが光って見えた。

小さな記述ながらなんとも素敵なシーンだ。

若いふたりの恋(?)のゆくえはともかく
今日、この短編を紹介したいと思ったのは
ある匂いの記述に、
思わず立ち止まってしまったからだ。

風向きがどんな風に変わっても、
戦争の匂いは
ぼくたちの公園に流れてきた。
それは獣の脂と、鉄と、瓦とが
混じり合って焼けた重い匂いで、
その中には、どうしてか、
注射液のような新しい薬品の匂いが
漂っているようだった。

一つの都市が丸ごと焼けた匂いは、
なんて執念深いのだろう。

戦争は9年前の1945年に
終わったというのに、
銀座の舗道には
若い柳が植えられたというのに 

- 焼け跡の匂いだけは、
どこからか湧いて出て、
ひとしきりそこらを這い回っては、
夜の貧しいネオンが点くころになると、
残念そうに振り返りながら消えていく。

戦争に敗けた国の街は、
どこだってそうなのだろうか。

私自身は、
戦後の銀座の匂いはもちろん知らない。
でもなぜだろう、
この文章を読んでいると
嗅いだことがあるような、
懐かしいような気さえしてくるから
不思議だ。

 

米国で盗難にあって、現金はもちろん
パスポートから帰りの航空券まで
すべてを盗まれたことがある。
ことの顛末はここに詳しく書いたが、
実は
盗まれたものの中で、
一番ショックだったのは、
イタリアのミラノで買った
お気に入りのキーホルダーだった。

イタリア出張時、私にしては珍しく
ちょっと高かったのに気に入って
衝動買いしてしまったものだった。

実はこのキーホルダー、
デザインや革の質感だけでなく
革の匂いがすごくよかった。

買ってすでに10年以上は経っていたので、
盗んだ犯人にとっては
ナンの価値もないものだろうが、
匂いはちゃんと残っていて、
嗅ぐたびに
イタリア出張時の
いろいろな思い出が蘇ってきた。

瞬間的に初心に帰ることができる、
まさに私にとってのみ価値があるもの。
そんな存在だった。

においってほんとうに不思議だ。

一切の言葉を挟まずに
ある記憶にトリップできる。

この「言葉を介さない」感があるがゆえに
ものすごく記憶が
生々しく迫ってくることがある。

冬の日曜日、
短編を読みながら
匂いについていろいろ思い返していた。

 

 

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2021年1月24日 (日)

ここから出せと叫ぶ力

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ここから出せと叫ぶ力

- あなたが書かなければ存在しない -

 

雑誌 すばる2020年11月号
集英社

を読んでいたら
たまたま
「第45回すばる文学賞 原稿募集」
のページが目に留まった。

もちろん文学賞に
応募しようとしていたわけではない。
本を読むことは大好きだが、
書くのは備忘録を兼ねた
こんなブログでさえ精一杯なので。

おもわず読んでしまったのは、
選考委員の名前を見たからだろう。

「へぇ、この方が選考委員なンだ」
と思いつつ、それぞれの方が
どんな作品を期待しているか、
の短いコメントを
興味深く追ってしまった。

選考委員は以下の5名の方々。
  奥泉光さん
  金原ひとみさん
  川上未映子さん
  岸本佐知子さん
  堀江敏幸さん

コメントを見てみたい。
(以下水色部、雑誌からの引用)

奥泉光

新人に限らず、作家に期待されるのは、
小説なるものの通念に捉われぬ
「文」の力の貫徹であり、
「なんだこれは?」
読者をして呟かせるような
作品を書くことだ。
どんな方向でもよいから
徹底的なものを待つ

「なんだこれは?」は
おもしろい作品に出会ったときに
たしかに思わずつぶやいている気がする。

 

金原ひとみ

なんか面白いもの書けちゃった
そんなノリで送ってください。

なんとも金原さんらしいコメントだ。
応募できるほどのものを
「書けちゃった」と思えるときは
いいデキなのは間違いない気がする。

 

川上未映子

遠いものでも近いものでも
世界のどこが
何が書かれてもよいけれど、
あなたの作品にしかあらわれない
角度や光景を読ませてほしい。
それはあなたが書かなければ存在しない
世界のさまざま。

あなたが書かなければ存在しない、とは
なんとも嬉しい励ましではないか。

 

岸本佐知子

小説とは、頭蓋を内側から圧迫して
ここから出せと叫ぶ力

以前訳した小説の中に出てきた、
忘れられない言葉です。
醜くても変てこでも
臭くてもかまいません。
頭の中の、
そんなものを見せでください。

これは強烈。
頭蓋から出せと叫ぶ力とは。
それで飛び出したものとは
いったいどんなものなのだろう。

 

堀江敏幸

全力で暫いたというのではなく、
全力で書かれてしまった、と
考えるしかないような文章のあつまり。
書き手の気持ちの壁を越えて
眼の前にあらわれた
「小説」との対話を、
楽しみにしています。

いい作品は、一方通行ではなく
対話ができる気がするものだ。
だからこそ読書はやめられない。

 

さすが選考委員の皆様、
短い中に魅力的な作品が持つ力を
上手に表現するものだ。

 

 

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2021年1月17日 (日)

お酒は二十歳になってから?

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お酒は二十歳になってから?

- 13歳が酒6合! 問題は無銭飲食 -

 

五年前の2016年も1月17日は
日曜日だったようだ。

ちょうど5年前の
その日のブログに書いたのだが、
この季節になると必ず見返すドラマに
「その街のこども」
がある。
ご興味があればリンク先の記事を読んで、
というかDVDにもなっているので
ドラマ自体をぜひご覧になってみて下さい。

11年も前のドラマなのに、
今年は17日(16日深夜)に
NHK BSプレミアムで再放送してくれていた。

ドラマの設定と同じような年齢で
阪神淡路大震災を実体験している
森山未來さん、佐藤江梨子さんの
自然な演技にも引き込まれるが
なんと言っても渡辺あやさんの脚本が
すばらしい。

しつこいようだが名作ゆえ
再度お薦めしておきたい。

 

閑話休題(!?)
私は、「成人の日」と聞くと
いまだに1月15日が浮かんでしまう
昭和のおじさんだが、
朝日新聞が
明治・大正期紙面データベースを
整えていた10年ほど前、
未成年の酒とタバコに関して
こんな古い記事を紹介していた。
(以下水色部、2009年4月3日の
 朝日新聞の記事から引用)

 

1922(大正11)年4月1日付けの夕刊は
「明日からお酒を飲むな
 警視庁は不良少年退治」
という見出しで
未成年者飲酒禁止法のスタート
を伝える。

1922年、
ほぼ100年前ということになるが、
つまり、それまでは
子供でもお酒を飲んで
よかったわけだ。

実際

1889(明治22)年に
13歳の少年が
 浅草公園のそば屋で
 そば7杯、酒を6合飲食したが、
 金がないので警察に突き出された」
という記事がある。

問題になったのは
飲酒のほうではなく、
無銭飲食のほう。

それにしても
そば7杯と酒6合とはすごい量だ。

 

では、タバコのほうは
どうだったのだろう?

未成年者の喫煙禁止法ができたのは
飲酒禁止法より20年以上早い
1900(明治33)年だ。

タバコの規制のほうが
ずいぶん早かったようだ。

いずれによ、どちらも
最初から決まっていたわけではない。

わずか100年ほど前のことでさえそう。

歴史を読むときは、
当時のルールは?と
今のルールを当然と思わないで読む視点を
いつも忘れてはならない、と思っている。

 

 

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2021年1月10日 (日)

「一人で芝居なんかできませんよ」

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「一人で芝居なんかできませんよ」

- あるときは観客、あるときは演者 -

 

新年2021年1月3日の朝日新聞に
俳優片桐はいりさんへの
インタビュー記事があった。

A210103_katagiri

その中に
残しておきたい言葉があったので
今日はその部分を紹介したい。

 

(以下水色部、記事からの引用)

5~6月、
リモートで演劇を作りました。
稽古が終わると同時に
自分の生活に戻れて無駄がない。

でも演劇も映画も、現場にいて、
ああだこうだ言いながら
作っていくもの。

私は稽古場では
すごく笑ってるんですけど、
笑い声って、
「賛成!」「私これ好き!」という
意見の表明
だと思うんです。

でも、リモートでは
出番ではない時は音声も映像もオフ。

無駄に見えるコミュニケーションが
いかに重要か気づかされました。

笑いと言うと、どうしても
「おもしろいか?」
に視点が行ってしまうが
むしろ
「私これ好き!」の意思表明
と言ったほうが腑に落ちることが多い。

「おもしろいのに笑えない」のは
「賛成」でも「好き」でもないからだ。

笑い声の意味を
いい言葉で表現してくれている。

 

もうひとつ。

本番は配信でした。
もちろん生とは別物です。

以前、一人芝居で全国を回りました。

「よく一人でやるね」
と言われましたが、
一人で芝居なんかできませんよ。
お客さんがいるからできるんです

お客さんの波動が芝居をつくる。

だから一人芝居を経験したあと、
客として観劇する時は
緊張するようになりました。

パフォーマンスを左右するのは
観客である私なんです

演者だけでなく
観客→演者→観客→演者のサイクルが
いい芝居を作る好循環を生み出していく。

芝居に限らず、
我々はだれでも社会のあらゆるところで
あるときは観客であり、
あるときは演者なのだ。

片桐さんのような意識が
もう少し「観客」の側に広がれば
まさに社会のあらゆるところで
好循環を生み出すことができるのに、と
静かな正月、
雑煮を食べながら考えていた。

 

 

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2021年1月 3日 (日)

「クーデター本部に顔パス」の外交官

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「クーデター本部に顔パス」の外交官

- プロがプロを取材して -

 

明けましておめでとうございます。

備忘録を兼ねた
まさに気ままなブログではありますが、
今年もボチボチ続けていこうと
思っていますので
今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

昨年末2020年12月27日の朝日新聞
「Reライフ 輝く人」に
作家 佐藤優(さとうまさる)さん
記事が出ていた。

佐藤さんが、自らの逮捕、勾留の体験を
感情的にならず冷静に記述している
(おそらく最初の著書)

はたいへんおもしろい本だったが、
あれから15年、
記事には
「これまでに出版した著書は
 900冊を超える」

とある。
 900 / 15 = 60
共著でお名前を拝見することも
多いとはいえ、年間60冊で15年、
900冊はなにかの間違いではないだろうか?

ともあれ精力的な活動の一方、
「心からつきあえる人は、
 5人もいれば十分」

先が見えてくる50代以降は
「消極主義」で生きるべきだ
と話している。

 

佐藤優さんというと
忘れられない新聞記事がある。

産経新聞
2002年3月1日第一面

020301sankeisato

彼の力量 誰が認めたか
前主任分析官「佐藤優」を考える

との見出しの記事。
(以下水色部、
 産経新聞の記事からの引用)

記事はこう始まっている。

ソ連の要人の家に連日、
 夜討ち・朝駆けを続けている
 日本大使館員がいる
」。

モスクワでこんなうわさを
耳にしたのは、
ゴルバチョフ政権下の
ペレストロイカ(再編)が
軌道に乗り始めた
1987年秋のことだった。

この外交官が当時まだ27歳で
いわゆる「ノン・キャリア」の
三等書記官「佐藤優」

なる人物であることはすぐに知れた。

ソ連の要人に夜討ち・朝駆けという
古典的手法でアプローチを試みる
若き外交官。

その対象は驚くべき広範囲に渡っていた。

佐藤に会い、度肝を抜かれた。

夜討ち・朝駆けの対象は
ソ連の政界、経済界、学会、
マスメディア、ロシア正教会、
国家保安委員会(KGB)関係者、
果てはマフィアの親分
・・・と、
表と裏世界の隅々にまでおよび、
しかもその手法は
新聞記者の私も全く顔負けだった。

早朝、出勤前に平均二人、
真冬の凍てついた夜でも
ウオツカを手に深更まで
昼間仕込んだ住所を探しあて、
二人、三人、四人と
相手のアパートの扉をたたき続けた。

佐藤のこの粉骨砕身の
地道な努力が培った
幅広い人脈は数年後、
赫々たる成果を生んでいく

たとえば、どんな成果か?
ちょっと見てみよう。

1991年1月、
リトアニアのテレビ塔を死守する
独立派民衆に
ソ連軍の戦車が襲いかかり、
13人の犠牲者を出す
「血の日曜日事件」が発生。

戦車は「独立運動の砦」
・リトアニア最高会議に
次の攻撃の照準を定めていた。

現地入りした佐藤は人脈をフル利用し
攻撃側の
リトアニア共産党・ソ連派幹部と
独立派幹部の間を
何度も行き来して説得工作を繰り返し、
ついに戦車の進軍を阻止したのである。

最高会議には数百人の民衆が立てこもり、
武力衝突は大流血を意味していた。

「バルト三国の民族衝突拡大は
 ソ連全体の行方を一段と不透明にし、
 これを阻止することは
 日本の国益に合致すると必死でした」。
佐藤はのちに記者にこう述懐した。

ソ連派幹部と独立派幹部の間を
何度も行き来して、
戦車の進軍を阻止したなんて。

 

同年8月、当時のソ連大統領、
ゴルバチョフを
クリミア半島に一時軟禁した
ソ連共産党守旧派(左翼強硬派)による
クーデター未遂事件が起きるや、
佐藤はモスクワ・スターラヤ広場の
ソ連共産党中央委員会に陣取る
「クーデター本部」に
顔パスで潜入した


ゴルバチョフの生死が
世界中の関心を呼んでいたときに、
佐藤は
「ゴルバチョフは生きて
 クリミアにいる。
 表向きの病名はぎっくり腰だ」
との情報を世界に先駆けてキャッチ、
至急報の公電を東京に送った。

クーデター本部に顔パス!とは。
いったい、どんな人脈を
築いていたのであろう。

スパイ小説のようなことが
ほんとうにあるのだ。

 

佐藤さんの異国での驚くべき行動力には
ほんとうに頭が下がるが
この記事は別な意味でも
強く印象に残っている。

最後に(モスクワ 斎藤勉)とある通り、
斎藤記者の署名記事となっているが、
斎藤さんが佐藤さんのことを
実に丁寧に取材していることがよくわかる
記事だったからだ。

記者が取材して書くなんて当たり前、
と言いたいところだが、
最近の(と言っても
この記事自体20年近くも前のものだが)
新聞記事で
「ちゃんと取材して書いているなぁ」
と思えるものは
残念ながら驚くほど少ない。

プロの記者さん、
まさにプロの仕事をお願いします。

今年はそんな記事が
一本でも多く読めますように。

 

 

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