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2020年12月20日 (日)

さすが将来の天下人

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さすが将来の天下人

- 家康、敗走中のエピソード -

 

若かったころの秀吉が
草履取から始めての3年間を
今の浜松市内に位置する
引間城で過ごしたのが1553年~1555年頃

その後、落城した引間城に
家康が入城したのが1570年

そんな偶然があったことを
以前、この本から引用して紹介した。

磯田道史 (著)
日本史の内幕
- 戦国女性の素顔から幕末・
 近代の謎まで
中公新書

(以下水色部、本からの引用)

この本では、
徳川将軍の紅葉山文庫の古文書や、
昌平坂学問所で編纂された
徳川家康史料集『朝野旧聞裒藁
(ちょうやきゅうぶんほうこう)』
を解読したうえで、
その後の家康について、ある敗走の
興味深いエピソードが紹介されている。

 

徳川家康が天下を獲れたのは、
三方ヶ原の戦いで
死なずに逃げ延びたことによる。

三方ヶ原(みかたがはら)の戦い、とは
元亀3年12月22日(1573年1月25日)に
武田信玄と徳川家康・織田信長の間で
行われた戦いだ。

浜松では三方ヶ原を
「みかたっぱら」という。

大久保彦左衛門が
「家康、浜松より
 3里(12キロ)に及び打ち出で」と
『三河物語』で回想しているから
戦場は浜松城から12キロ離れた
「みかたっぱら」の何処かだろう。

徳川・織田の連合軍は、
上洛の途上にあった武田軍を
迎え撃つ形ではあったものの、
結果的に敗退している。

それでも家康は生き延びた。
浜松城に逃げ帰る際、
こんな伝説が残されている。

この時、
「家康は途中腹が減り、
 茶屋の老婆から小豆餅を買い
 むさぼり喰った。
 ところが敵が迫り、
 家康は銭を払わず逃げた。
 老婆は懸命に追いかけ、
 家康から銭を取った」という話だ。

家康が餅を食べた所が「小豆餅」。
銭を取られた所が「銭取(ぜにとり)」。
後世、地名になった。

現在、小豆餅は町名になっているが、
銭取はさすがに町名にはならなかった。
ただバス停「銭取」はある。

ここでバスを降りると
車内アナウンスに
「銭取。銭取」と連呼され、
借金取りか
泥棒にでもなった気分が味わえる。

小豆餅はともかく、
銭取(ぜにとり)が残るのはおもしろい。
ともあれこれらはいわゆる伝説だ。

現実の家康の敗走
古文書によれば、こうだったようだ。

家康は旗本放下の小姓衆(親衛隊)を
信玄軍に討たせまいと、撤退を決意。

(中略)

このときの家康のいでたちは
「鎧は朱色なり。敵兵、目を注ぐ」。

それで家臣の松平(松井)忠次の
目立たぬ鎧と取り換え闇のなか
逃げたという
(「大三川志(だいみかわし)」)。

浜松城の玄黙(げんもく)口に
たどり着いたが、
お供はわずか7人
(「寛元聞書(かんげんききがき)」)。

目立たぬ道を、目立たぬ格好で進み、
わずか7人のお供とともに
なんとか城まで逃げ帰ってきた家康。

ところが、ところが
門を開けてもらえない。

家康たちが「門を開けよ」と言ったが、
門番は怪しみ
二度三度確認しても開けない。

しまいには門番が 
そんな小勢で殿(家康)が
 御帰りになるはずがない

と言い出す始末。

つまり、門番として仕えていても、
門番が殿様を「個人として」
認識することはなかった、
認識することはできなかった
ということなのだろう。

殿様の顔や声を直接知っている人は
城内にどの程度いたのだろう。

「殿様のお供の
 畔柳(くろやなぎ)助九郎が
 帰ってきた」と言ったら、
門のくぐり戸がようやく開き、
家康は
「廿間(にじゅっけん
 :約36メートル)ほど
馬で引き返し
馬上のまま、ようやく入城できた
(「畔柳家記」)。

ようやく入城できた家康。
憤慨してもおかしくないと思うが
さすが、将来の天下人、
そのあとの対応がアッパレ。

疲れて帰城した家康は
なかなか城に入れてもらえず
内心腹が立ったろうが、そこは家康。

自分を入城させなかった
門番の用心深さをたたえ、
竹流し(銀の延べ棒)を褒美に与えた

そればかりか、命からがら
暗闇を敗走中の状況でさえも、
こんなことをしていたという。

また家康は暗闇を敗走中、
左右のお供の刀に
痰唾(たんつば)を吐き続けた。

後日それを証拠に
自分の馬脇についてきた者を見分け、
賞した(『三河之物語』)。

冷静な状況判断と
fairな部下の評価は、
いつの世も、よきリーダとなるための
大事な資質のひとつといえるだろう。

 

 

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