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2020年7月

2020年7月26日 (日)

同日同時刻に生まれたら同じ運命?

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同日同時刻に生まれたら同じ運命?

- 新作狂言「信長占い」 -

 

和泉流の九世野村万蔵さんに
「新しい狂言を書いてくれませんか」と
依頼された磯田道史さんは、
「朝野雑載(ちょうやざっさい)」という
史料にある記述を元に
「信長占い」という新作狂言を書き上げた。

「信長」と「占い」。
読者の皆様にあっては
このふたつの単語は
どんなイメージでつながるであろうか。

下記の本を参照しながら、
信長に関するちょっと意外なエピソードを
紹介したい。

磯田道史 (著)
日本史の内幕
- 戦国女性の素顔から幕末・
 近代の謎まで
中公新書

(以下水色部、本からの引用)

 

ここでの「占い」とはまさに「星占い」。

「星占い」と聞くと、
現代の我々でさえ
誰もが思い描くある疑問がある。
その疑問を、450年以上も前の信長も
同じように抱いていたようだ。

信長は実証主義者である。

本当に星占いが正しいか、
生年月日が人間の運命を決めるものか
確かめようとした。

すなわち、配下に命じて、
自分と同年同月同日同刻に
生まれた者を探しだし
面会しようとした。

そんなくだらないことを
ほんとうに実現してしまうのだから
天下人とはおもしろい。

信長と同時刻に生まれた者が
一人だけみつかったが、
それは極貧の者であった


信長はこの極貧男にむかって
「天下人の自分とは大違いじゃの」
と馬鹿にした。

 

これに対して男はうまい返答する。

ところが、極貧男は言い返した。

信長様と自分は
 たいして違いはない
」と。

信長が「なぜじゃ」と、
怪訝な顔をすると、
極貧男は言った。

「信長様は今日一日、
 天下人の楽しみのなかに生き、
 私は今日一日、
 極貧者の苦しみのなかに生きている。
 それだけにすぎない。
 これ、たった一日の違い。

 おたがいに明日の運命は
 知れぬ点では同じである
」。

 

同時刻生まれの者との面会、
中国の皇帝もやっているという。
今から約650年前、
信長から見てもさらに200年以上も前。

調べてみると、中国でも、
明の太祖・朱元璋(しゅげんしょう)
同じことをした逸話があるという。

朱元璋の場合は
見つけ出された同時刻生まれの者は
「蜜の籠を十三ほど持ち運んで
 暮らしている蜜屋の男」であった。

朱元璋は、
自分と同時刻生まれの者の
身柄をおさえたものの、
こんな貧しい男が
皇帝にとって代わるはずがないと考え、
無罪放免したという。

皇帝と同時刻に生まれた、というだけで
もはや命がけ(!?)の緊張感がある。

磯田さんは、
信長のこのエピソードを上手に使って
かつ笑いの要素もちゃんと入れて、
新作狂言を仕上げたようだ。

2017年の夏、東京・国立能楽堂で
上演されたという。

 

それにしても
最初の極貧男のコメントはいい。

「信長様と自分は
 たいして違いはない。

 おたがいに明日の運命は
 知れぬ点では同じである


肩の力が抜けるではないか。

 

 

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2020年7月19日 (日)

国民生活センターの名回答

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国民生活センターの名回答

- 消費者も学べ -

 

国民生活センターのページに、

「米を購入後、
 しばらくして食べようと袋の中を見たら、
 虫がわいていた」

との相談が寄せられていた。

(全文はここに公開されています。
 詳細についてはそちらを参照下さい。
 以下水色部、センターのページから引用)

 

相談者は、

インターネット通販で10kg入りの米を購入。
棚の中に保管。
3カ月後に食べようと思って
ビニールの米袋を見たら、中に
全長3mmくらいの黒い虫がぞろぞろいた。
開封していないので、
外から入ったものではないことは明らか。
返品、交換してもらいたい。

と訴えている。

これに対するセンターの回答がすばらしい。
今日はそれを紹介したいと思う。

まずは冷静に虫について解説。

袋の中にいた虫は、
「コクゾウムシ」と思われます。
コクゾウムシの混入は、
完全に防ぐことはできない
と考えられます。

保管方法と保管期間などによっては、
卵から孵化(ふか)することがあります。

そのうえで、
大事な指摘に向けて
やわらかく舵を切っている。

最近は、
異物混入で問題になることを嫌う
販売店の方針や、
洗浄や精米といった技術の進歩、
流通の進歩等により
生鮮食品に害虫がついていることは
少なくなり、
それに伴い、私たちは、
米だけに限らず生鮮食品に
害虫や土などは
ついていなくて「当然」、
それが「普通」というような
感覚を持つようになってきています

いつのまにか
 害虫や土などは
 ついていなくて「当然」、
 それが「普通」
となってしまっている感覚に、
一旦立ち止まって考える機会を
与えてくれた意義は大きい。

「当然」「普通」を実現するために、
つまり、害虫や土を取り除くために
誰が何をやっているのか、
それらはほんとうに消費者のために
なっているのか、
考えてみる価値はある。

そういったことを丁寧に説明したうえで、

たしかに、米の袋の中に
黒い虫がぞろぞろいれば、
大変に気味が悪いだろうと
想像はできますが、高温多湿の日本で、
数カ月も米を放置していれば、
コクゾウムシの発生は
当然予想すべき事象の範ちゅうです

ときっぱり言い切っている。

自然の恵みである収穫物を
消費するにあたっては、
生産者や卸業者、販売業者だけが
知識を持つだけでなく、
最終的に消費する消費者自身も
食品に関する知識を有することは
自身にとって非常に大切なことです

生産者や販売業者だけでなく、
消費者自身も学ぶべきだ、
との指摘は、
もちろん生鮮食品に限ったことではない。

 

より豊かな消費活動は、
生産者、販売業者、消費者の
共同作業の結果として存在するのであって
それぞれの立場での知識は、
それぞれの立場での知識獲得の意欲は、
まさにその「豊かさ」に繋がってくる。

同時にそれは
それぞれの立場での「喜び」にも
繋がってくるわけで、
そういう共同作業によって
消費活動が成り立っている、という視点は
もっともっと広めるべきだと
強く思う。

「お客様は神様」ではない。

知識を得ようともせず一方的に
「カネを払ったのはこちらだから」と
威張ってみても
そこには喜びも豊かな消費活動もない。

 

 

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2020年7月12日 (日)

音符は『おたまじゃくし』?

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音符は『おたまじゃくし』?

- 他国の別称を探して -

 

前回
ヨコ書き、タテ書きの話を取り上げた際、
日本語学者の屋名池(やないけ)誠さんの
指摘、
「タテ書きが未来も生き残るかどうか、
 カギを選っているのは、
 漫画なのかもしれません」
を紹介した。

いまや日本の輸出文化を代表する漫画。
セリフは翻訳するにしても
構図と流れの関係から
右から左へ読んでいくスタイルは
変えようがないらしい。
ページ構成も右から左。

左から右への本しか目にしていない人たちに
そのあたり、違和感はないのだろうか?
機会があれば、ぜひ現地の人に
感想を聞いてみたい


と締めくくった。

今日は、「機会があれば、
ぜひ現地の人に聞いてみたい」に
実際にトライした例をひとつ紹介したい。

 

以前、友人と街を歩いている際、
「tadpole(タッドポール)」という名前の
音楽スタジオの看板が目に留まった。

「音楽スタジオだから
 『おたまじゃくし』でtadpoleか」

と何気なく流したつもりだったが
「音符のことを『おたまじゃくし』って
 外国の人も言うのだろうか?」
という素朴な疑問を友人がぶつけてきた。

「形からおたまじゃくしを連想するので
 日本では音符のことを
 『おたまじゃくし』って言うんだよ」
と説明すれば、どこの国の人にも
理解はしてもらえる気はする。

ただ、そのことと実際に『おたまじゃくし』と
現地の言葉で言うことがある、は別の話だ。

おもしろい。聞いてみよう。

 

実はそのことがあった直後、
仕事ではあるが、
世界各国の人が集まる会議に
出席することになっていた。

会議は3日間の予定。
初日の夜、receptionとして
立食のパーティが企画されている。

立食ならば聞いて回りやすいし
いいチャンスだ。

私のカタコト英語を通しての
コミュニケーションゆえ
細かい部分まで正確に
伝えられていなかったであろうことは
ご容赦いただくとして、
簡単にその内容を紹介したい。

最初に話をしたのは
米国、カナダ、オーストラリア
からの3人。

日本では「おたまじゃくし」と呼ぶ、
という話にたいそう興味を持ってくれて
協力的に話を聞いてくれたが、結果として
いわゆる音符を示す単語
[note]または[music note]
以外での呼び方は聞き出せなかった。

続いて話をしたのは、
スウェーデン、オランダ、英国
からの3人。
こちらもnoteだけ。

収穫がなく
ちょっと残念な気持ちになっていたころ、

「『あそこでおもしろいことを
  聞いて回っている人がいるから、
  おまえも協力してやれよ』
 って言われたので来たよ」

とこちらから声をかける前に
向こうから逆に声をかけてくれる
うれしい動きが始まっていた。

聞くと、
すでに話をした米国人やオランダ人が、
各国の人に声をかけてくれていたようだ。

いい歳をしたオッサンが
小さなネタに申し訳ない。

というわけで、
一気に聞きやすくなったのだが
次に聞いたスイスも
「残念ながらnoteだけ」だと言う。

フランスも基本はnoteだけ、
とのことだったが、話をしているうちに
ようやくそれ以外の単語が出てきた。

8分音符に関しては[crochet]と
呼ぶことがあるらしい。
意味は「かぎ針」
とか。
なるほど、かぎ針の先端によく似ている。

いずれせよ、すでに8カ国の人に聞いたのに
意外に音符の「別称」は出てこない。

ところが、アジア圏の人と話を始めたら
一気に動いた。
シンガポール、マレーシア、中国では、
日本語での「もやし」
で呼ぶことがある
ようだ。

こちらも形からよくわかる。

というわけで、ヒアリングの結果だけを
整理するとこんな感じ。

 

「音符」の
「音符(英語:note)」以外の呼び方。

(1) 別称なし:[英語での(music) note]のみ
  米国
  カナダ
  オーストラリア
  スウェーデン
  オランダ
  英国
  スイス

(2) 8分音符を「現地語:crochet」
  「日本語:かぎ針」で呼ぶことがある。
  フランス

(3) 「日本語:もやし」で呼ぶ。
  シンガポール 「現地語:Tauge」
  マレーシア  「現地語:Tauge」
  中国     「現地語:豆芽」

結局、
「おたまじゃくし」と呼んでいる国は
見つからなかった。

アジア圏に形からの別称があるのは
象形文字の要素も含む漢字の影響が
多少はあるのだろうか?

「現地の人に聞いてみた」の
ひとつの報告まで。

 

 

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2020年7月 5日 (日)

タテ書きは雨、ヨコ書きは川

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タテ書きは雨、ヨコ書きは川

- タテ書きに関する2題 -

 

世界には数千の言語があるが、
使われている文字の種類は
わずか40種類ほどしかない
と言う話を
以前ここに書いた。

文字の中には、
上下左右に決まった向きもなく、
左利きは左右反転した文字を書く
マンヤン文字
のような特殊なものもあって、
文字そのものへの興味も尽きないが、
それらの文字をタテ書きにするのか、
あるいはヨコ書きにするのか、という
いわゆる「書字方向」もおもしろい。

タテにもヨコにも書ける言語というのは
いったいどれくらいあるのだろうか?

 

言うまでもなく日本語はそのひとつだが、
タテ書きの新聞記事

「タテ書き絶滅危惧?」

というテーマに3名の方が寄稿していた。

その中に、2箇所、
たいへん興味深い記述があったので、
記録を兼ねて紹介したい。
(以下水色部は
 朝日新聞
 2020年7月2日の耕論
 「タテ書き絶滅危惧?」

 からの引用)

 

ひとつ目は、
歌人 井上法子さんの言葉。

井上さんは、
タテ書きとヨコ書きのイメージを
実に味わい深い言葉で表現している。

私は、言葉を水のように
感じることが多いのですか、
タテ書きを例えるなら、
それは「雨」のイメージです


雨が空から降り注ぐように、
タテ書きの言葉は
重力に吸い込まれてゆきます。

その後、身体の内側からじっとりと
濡れていく感じに近い
のです。

タテ書きは「雨」。

ではヨコ書きは?

これに対し、ヨコ書きの言葉は
「川」のように感じます

言葉に浮力があり、
目に飛び込んでくる。
そこで意味を放ち、
すぐ横に流れ去っていく感じです。

同じように自分の身体を水
でひたす行為ではあっても、
ヨコ書きは疾走感があって、
濡れるというより浴びるような
感覚に近い
と感じます。

だからきっと、ヨコ書きのほうが
相性がいい作品というのも
あるのではと思います。

さすが歌人。
その感性には頭が下がる。

ヨコ書きを
「そこで意味を放ち、
 すぐ横に流れ去っていく感じ」とは。

ツイッター(Twitter)のタイムライン(TL)を
見ているとまさにそんな表現がピッタリだ。

ヨコ書きを浴びるような感覚といい、
タテ書きを身体の内側から
じっとりと濡れていく感じ、と
表現できるなんて。

記録しておきたい名言だと思う。

 

もうひとつは
日本語学者 屋名池(やないけ)誠さん
の言葉。

日本の新聞はまだタテ書きのままだが
韓国では90年代に
新聞も全てヨコ書きに変わったという。
そのうえで、

タテ書きが根強く残りそうなのが、
漫画です。

日本の漫画は右から左へ読み進め、
時間もそう流れます。
ひとコマ内に2人が描かれていたら、
先に話す人物は
右側にいる必要がある。

書字方向が構図と深く
かかわっている
ため、
海外の翻訳版も日本と同じ
右から左へ読んでいくスタイルで
発刊されている
のです。

タテ書きが未来も生き残るかどうか、
カギを選っているのは、
漫画なのかもしれません。

いまや日本の輸出文化を代表する漫画。
セリフは翻訳するにしても
構図と流れの関係から
右から左へ読んでいくスタイルは
変えようがないわけか。
ページ構成も右から左。

左から右への本しか目にしていない人たちに
そのあたり、違和感はないのだろうか?
機会があれば、ぜひ現地の人に
感想を聞いてみたい。

「内容がおもしろければ、
 右から左だろうが、
 左から右だろうが、
 関係ないよ」
という感じなのだろうか?

 

 

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