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2020年1月12日 (日)

「四十にして惑わず」か? (1)

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「四十にして惑わず」か? (1)

- 孔子の時代に漢字「惑」はなかった! -

 

新年、知的な驚きをお届けしたい。

新刊ではないので
既にご存知の方も多いとは思うが、
ネタを提供してくれるのはこの本。

安田登(著)
身体感覚で『論語』を読みなおす。
―古代中国の文字から―
(新潮文庫)

(以下水色部本からの引用)

題名が硬いので
手が出しにくいかもしれないが、
一旦読み始めれば
知的興奮の世界に引き込まれること
間違いなし。
実におもしろい本だった。

今日はこの本の中から、
有名な論語の一節
「四十にして惑わず」
の話を紹介したい。

 

最初に、「論語」が
どんな成り立ちによるものなのかを
簡単に復習しておこう。

『論語』は、孔子の言行録です。

孔子は今から2500年ほど前の人
紀元でいえば前500年くらい
(紀元前551年-紀元前479年)
春秋時代後期で、
キリスト誕生の500年ほど前です。

同じ言行録の仲間ながら
「新約聖書」とは
大きく違っていることがある。

 イエスの言行録である
『新約聖書』中の福音書は、
現存するものは古代ギリシャ語で
書かれているものがもっとも古い。

しかしながら、古代ギリシャ語は
イエスが実際に語っていた言葉とは
違います


それに対して『論語』は
孔子の語っていた言葉
すなわち古代中国語、漢文で
書かれています


 しかもラッキーなことに
孔子時代の文字も、
どんなものが使われていたのかが
わかっています。

そんなおいしい資料が
残っているならば、
孔子時代の文字に直して
読んでみたい

そう思いました。

「孔子時代の文字に直して読む」
安田さんの姿勢そのものが
なんとも魅力的で
かつ何が始まるのかと
ワクワクする。

『論語』は編纂の経緯も重要だ。

『論語』が
現在の形にまとめられたのは、
孔子が活躍した時代から、
さらに500年から700年ほど経た
後漢(ごかん)の時代といわれています
(最初に書物になったのは
 戦国末から前漢の頃だと
 いわれていますが、

 現代に残る最古の写本は
 定州漢墓のもので
 紀元前55年以前のものと
 されています)。

500年の間、
弟子の口から弟子のロヘと伝えられた

孔子や門人たちの言行の記憶が、
あるときに書物として
まとめられたのが『論語』です。

 

文字化される以前の『論語』は
口伝えで伝承されてきた。

この部分は、
能楽師である著者安田さんの本職
「能」とも深く共通する部分がある。

能もその稽古は
口誦(こうしょう)によるものが
中心でした

ですから詞章に
流儀による違いが生じました。

また、
琵琶法師によって語り継がれた
『平家物語』などには、
多くの異本が存在しています。
それが口誦伝承の宿命です。

特に能では、
ある語句にどんな漢字を当てるかは
流儀によってまったく違います。
能の大成者である
世阿弥の自筆の台本を見ると、
すべてがカタカナで
書かれていたりします。

口誦伝承では、
「音」による伝承が大切で、
どんな文字を使うかは
割合どうでもよいことなのです


そして後世、時代の要求に従って
流儀の定本(ていほん)を
作ろうというときに、
伝承されてきた「音」に、
その時代に
「これが正しい漢字だ」
と思う漢字を当てました。

論語も同じだったと考えられる。

 孔子たちの言行を「音」として
口誦で伝えていた弟子たちが、
『論語』を書物として
編もうとしたときに、
その音に、時代の漢字を当てた


そういう意味では
弟子たちに責任はないのですが、
しかし、現代、振り返って
漢字から意味を考えるとき、
少なくとも
孔子の語った言葉の中に、
孔子が生きていた時代には
なかったものが入っている
というのは
気持ちが悪い。

 

孔子時代にはなかった漢字が含まれる
『論語』の例を見てみよう。

 孔子時代にはなかった漢字が
含まれる『論語』の文の代表例は
「四十にして惑わず」
です。

(中略)

「四十にして惑わず」、
漢字のみで書けば「四十而不惑」。

字数にして五文字。
この五文字の中で孔子時代には
存在していなかった文字があります。

「惑」です。

 五文字の中で
最も重要な文字
です。

この重要な文字が
孔子時代になかった。

 これは驚きです。
なぜなら「惑」が
本当は違う文字だったとなると、
この文はまったく違った
意味になる可能性だって
あるからです。

「これは驚きです」と安田さんは
かなり冷静に書いているが、
読んでいる私の方は、
まさにひっくり返るほど
驚いてしまった


「惑」という字が、
孔子が生きていた時代には
まだなかったなんて!!

だったら、孔子は
何を言おうとしていたのだろう。
そしてそれは、どんな漢字で
表現されるものなのだろう。

 

すこし長くなってきたので、
この話、次回に続けたい。

 

 

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