「四十にして惑わず」か? (3)
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「四十にして惑わず」か? (3)
- 「心」の誕生・文字から広がる精神世界 -
前回、
論語の中の有名な一節
「四十にして惑わず」に使われている
一番肝心な漢字「惑」が
なんと孔子の時代にはなかった、
という話を書いた。
参照していたのはこの本。
安田登(著)
身体感覚で『論語』を読みなおす。
―古代中国の文字から―
(新潮文庫)
(以下水色部本からの引用)
約500年以上にも渡って
文字ではなく
口誦によって伝承された論語は、
書物として編まれる際、
当然のことながら
編纂時の漢字が使われた。
なのでその中には、
孔子の時代にはなかった漢字も
含まれている。
なんという事実だろう。
代表例として「惑」をあげたが、
ほかにもある。
そしてそこからは、
単なる漢字一文字に留まらない
もっと大きな世界が見えてくる。
『論語』を読んでいくと、
現行『論語』にはあるが、
孔子の時代にはなかった、
あるグループに属する
文字群を見つけることができます。
それは「心」のグループです。
「心」のグループに属する文字が
孔子の時代には、
ごっそりと抜けているのです。
「心」のグループに属する文字とは・・・
たとえば
「思」や「恋」などの
「心」がつく漢字、
「性」や「悔」などの
「(りっしんべん)」がつく漢字、
そして「恭」や「慕」などの
「(したごころ)」がつく漢字
などがあります。
先述の「惑」もそのひとつです。
むろん「心」グループの漢字が
まったくないというわけでは
ありません。
しかし、「惑」のような
「え、こんな漢字が」と思うような
「心」グループの漢字が
孔子時代にはないのです。
では、いつごろ出現したのだろう?
甲骨文字の中にも、
殷の時代の金文の中にも
「心」は見つけることができない。
殷が終わり、周になると
金文の中に「心」グループの文字が
突如出現してくる。
殷を滅ぼし、周王朝になったのは
紀元前1046年ごろ。
今から3000年くらい前。
つまり、「心」は
約3000年前に生まれたようだ。
孔子が活躍する、たった500年前。
その後、「心」グループの漢字が
順次生み出されていくことになるが・・・
戦国時代晩期までに生み出された
「心」の子どもたちは
たったの87字です。かなり少ない。
『論語』の中の「惑」も「志」も、
孔子が生きていた時代には
誕生していなかった。
「心」という字がなかったということは、
当時、人間に「心」という認識が
なかったからではないか?
そういう疑問は当然浮かんでくる。
ジュリアン・ジェインズの
「神々の沈黙」(紀伊國屋書店)
では、
「心が生まれたのは3000年前だ」と
主張しているという。
偶然にも時期を一にします。
くり返しになりますが、
漢字の「心」も
ちょうど3000年前に生まれたのです。
漢字の発生とは関係のない
別な分野の研究の成果が、
同じような数字に到達しているなんて。
統合失調症の人々の心の状態から、
どうも古代人は「神」の声に
従っていたのではないか、
という仮説を出します。
こういう人間の心を彼は
<二分心(にぶんしん)>
(正しくは<二院制の心>)
と名づけました。
なぜ「二分」心というかというと、
古代人の心の中は、
そして現代でも統合失調症の
患者さんたちの心は、
次のように二つに分かれていると
考えられるからです。
(1) 命令を下す「神」と呼ばれる部分
(2) それに従う「人間」と呼ばれる部分
ここでの「神」とは、
特定の宗教の神ではなく、
「天の声」のようなものを指すのだろう。
『論語』の中にも二つの世界があるからです。
ただしそれはジェインズのいう
(1) 命令を下す「神」と呼ばれる部分
(2) それに従う「人間」と呼ばれる部分
という区分とは少し違います。
孔子の時代にはすでに
「心」が登場しているからです。
命令を聞く「人間」の部分には、
すでに「心」が生まれているのです。
ですからジェインズの図式に当てはめると
『論語』の中の二つの世界は、
(1)「神」の部分と、
(2)「心」の部分に分かれます。
『論語』 の用語を使えば
「命(めい)」の世界と
「心(しん)」の世界です。
「命」の世界・・・運命、天命
「心」の世界・・・心、意思
「命」とは
ジェインズの説でいえば
「神」の部分に近いでしょう。
自分のカではどうすることもできない、
大きな力によって動かされている世界、
それが「命」の世界です。
そして「心」とは
自分の意思の世界、自由意思の世界です。
与えられた状況を、自分の力で
切り開いていこうとする世界、
それが「心」の世界です。
この「命」と「心」という世界が、
論語とどんな関わりがあるのか、
その視点で、本文は展開されていく。
古代中国文字に注目するだけでも
これだけの世界観に繋がっていくのだ。
内容の濃いすばらしい本なので
ご興味があれば、ぜひ
書店で手にとって見てほしい。
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