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2019年12月 8日 (日)

目黒川遡行 (1)

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目黒川遡行 (1)

- 東海道五十三次 一の宿を通って -

 

妙正寺川
大岡川を歩いた友人たちと
今度は目黒川を歩いてみよう、
ということになった。

目黒川は、全部歩いても8kmほどしかない
都会を流れる短い川だが、その起点は
妙正寺川の場合とも
大岡川の場合とも違う
「2本の川の合流点」となっている。

Google Map上に川のルートを描いてみた。
青い太い線が目黒川だ。

Meguror1_64

北沢川(左上緑の線)と
烏山川(左上赤の線)とが
合流した地点が
目黒川(左上から右下への斜めの青い線)の
起点となっている。
ただ、合流地点付近は暗渠となっているため
水が落ち合う場所を
直接見ることはできない。

また「2本の川が合流して」と書くと
「じゃぁ合流する北沢川烏山川
 上っていくとどうなっているの?」
の疑問も当然浮かぶ。

実は、日を分けたものの、
北沢川と烏山川についても
下の緑と赤のルートで歩いている。

Meguro3a_1k

どちらも暗渠が多く、いまやその流れを
正確には追いきれない部分も多いため
「川に沿って遡行した」というよりも
「川だったと思われる部分を
 できるかぎり追いながら歩いてみた」
の軌跡としてのルートではあるが。

いずれにせよ、
北沢川や烏山川については
目黒川とは分けて報告したい。

まずは、川面を見失うことなく
水を追ってのんびり歩くことができた
「目黒川歩き」から、写真の整理を兼ねて
振り返ってみたいと思う。

 

今回の出発地点、
東京都品川区の臨海部、天王洲アイル付近。
2019年6月の土曜日の朝。天気は曇り。

P6023195s

東京湾の京浜運河に流れ込む
まさに川の終着点。目黒川の河口だ。

河口を眺めながら、
ふと振り返って海側を見たら、
新幹線の車両が走っていたので
びっくりしてしまった。

品川駅よりもずっと海側で
もちろん東海道新幹線のルートではない。
どうも、東京駅から
「JR東海 新幹線大井車両基地」
に向かっている車両のようだ。

P6023198s



天王洲アイル方向は近代的なビルが並ぶ。
左側は羽田空港と浜松町を結ぶ
東京モノレール。

P6023200s

 

京浜運河に流れ込む直前の目黒川。

P6023208s

 

河口付近にはいくつかの公園がある。

P6023213s

その中には、野球場もあり、
少年野球の元気な声が響いていたが、
そのすぐ横には、屋外にもかかわらず
こんな無料WiFiの案内板が。
さすが大都会の公園だ。

P6023209s

 

天王洲南運河との間には大きな水門がある。

P6023216s

 

河口の公園のひとつ、東品川海上公園。

P6023218s

「ミッフィー公園」の愛称で
親しまれているらしく、
ミッフィーのイラストの遊具や人形、
花壇などが並んでいた。

 

さぁ、いよいよ目黒川に沿っての遡行開始。

P6023215s

P6023225s

 

歩き始めてすぐ、新品川橋の横の
赤い鳥居は「浜北三社稲荷」

P6023229s

御神木か見事な大イチョウに
まさに守られているような構図がいい。

P6023232s

 

品川橋まで来た。

 この辺りは江戸の昔、
 「東海道五十三次 一の宿」として、
 上り、下りの旅人でにぎわいました。

の説明書きがあるように、
まさに東海道品川宿があったあたり。
「品川宿場散歩」の地図がある。

P6023238s

 

旧東海道、東方向を見て一枚。

P6023236s

 

旧東海道、西方向を見て一枚。

P6023237s

もう一度言わせていただこう。
この付近、あの東海道五十三次の一の宿だ。

 

品川橋を越えて、
赤く見えてきたのは「鎮守橋」。

P6023239s

 

その東岸には「荏原神社」

P6023246s

 

第一京浜道路をくぐって
川沿いを上っていく。

P6023251s

 

途中でこんな駐輪場を見かけた。

コミュニティサイクル
「東海橋防災船着場」

P6023254s

品川区のシェアサイクルらしく、
スマホやカード、暗証番号を使うことで
人手を介することなく
簡単に借りられたり、
乗り捨てたりできるようだ。
150円/30分から。

上海で見たレンタサイクル
思い出す。

P6023256s

 

西岸には「本光寺」の三重塔が
美しく見える。

P6023259s

 

「ようじんほどうきょう」と書かれた橋が。
「要人」?
「桁下2.0m」の文字があるので「用心」?
そんなはずないか。
帰って調べてみたら漢字では
「要津」と書くらしい。
漢字で書かれたらこりゃ読めん。

P6023262s



東側に東海道線と京浜東北線、
西側に山手線と横須賀線と東海道新幹線、
南側に山手通りと目黒川、
という場所に、
近代硝子工業発祥之地
の碑が立っていた。

P6023263s

1873(明治6)年、東海寺の境内に
日本初の洋式の板ガラス工場が
創設されたとのこと。
なぜ、お寺の境内に?
の疑問は残るが、その工場を
翌年、今度は政府が買い上げ
官営の「品川硝子製造所」にしたらしい。

明治のはじめ、今から150年近くも前の話だ。

 

河口から歩き始めて、
ようやく山手線を
くぐるところまで来た。

次回につづく。

 

 

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