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2019年12月

2019年12月29日 (日)

CDの収録時間はどう決めた?

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CDの収録時間はどう決めた?

- ソニー大賀氏へのインタビュー -

 

令和元年もいよいよ年の瀬。

年末の風物詩
ベートーヴェン「第九」の演奏会は
今年もあちこちで開催されていたようだが、
「第九」で思い出した記事があるので
今日はその記事のことを紹介したい。

雑誌「レコード芸術」の
2017年12月号
に、
日本経済新聞社・文化事業担当の
小松潔さんが書いていた

伝説の検証
カラヤン《第九》説を
大賀氏は2度否定した
CDの収録時間は誰が決めたのか


という記事。

いわゆる「俗説」を検証した記事だが、
信頼できる相手に取材しているので
雑誌の一記事として埋もれてしまう前に
「記録」としてここに残しておきたい。
(以下水色部、記事からの引用)

「今から10年前」
で本文が始まっている通り、
まずは2007年のインタビューから
記事は始まっている。

 今から10年前、
ソニーのトップを長年務めた
大賀典雄さん(1930~2011)に
カラヤンの思い出話を開いた。

マエストロ生誕100年(2008年)を前に
『カラヤンと日本人』
(日経プレミアシリーズ)と題した本を
書こうと思い立ったからだった。

当時、コンパクトディスク(CD)の
規格として直径12センチとなったのは、
カラヤンがCD開発で先行していた
ソニー、フィリップスの2社に対し
「ベートーヴェンの《第九》が
 1枚に入るように」
と発言したことが
決定的な影響を与えた
という説が
一般に伝わっており、
その真偽を確かめたい
という思いもあった。

 カラヤンと大賀さんの交友関係は
すでに有名で、
カラヤンの最期(1989年7月16日)を
ザルツブルク郊外アニフの
マエストロ自宅で看取ったことは
クラシック・ファンならずとも
知っている。

 めったにメディアと
会わなくなっていた大賀さんだが、
カラヤンのこととなると、
すぐに時間を作ってくれ、
品川・御殿山のオフィスにあった
大賀さん専用の応接室で
懐かしそうにエピソードを語った。

さて、巷で広く語られていた
「カラヤン-第九」説に
大賀さんはどう答えたのだろう。

ほほ期待通りの内容だったが、
CD開発について、
カラヤンがその長さを
決める役割を果たしたのか
という質問だけは否定


予想外の返事だっただけに
そのバリトンの低い声は
鮮明に覚えている。


小松さんは、
「ソニー社史」も参照しながら
検証を進める。

 ネットで公開している
「ソニー社史」によると、
1978年6月、
大賀さんはオランダの
アイントホーフェンにある
フィリップス本社を訪ね、
オーディオ専用の
光ディスクを見せられた。

1982年に発売となるCDの原型である。
当時、
ソニーの副社長だった大賀さんは
フィリップスとの交渉の
先頭に立っていた。

新方式であるデジタル録音の媒体として、
ソニーは「まずはテープという形」
での普及を考えており、
フィリップスは
「光ディスクの実用化」を進めていた。

大賀さんも大量生産などを考えると
光ディスクのほうがいいと判断。

フィリップス側が想定するディスクは
11.5センチで
1時間の音楽が入ると説明を受けた。

 この11.5センチは
カセットテープの
対角線の長さと同じであり、
フィリップスは
持ち運びを考慮し
この大きさを提案したという。

これに対し、大賀さんは
「カセットの対角線に
 こだわる必要があるのか、
 そんなことに何の意味もない。
 中に入れる音楽が問題
と主張した。

1時間収録できれば
当時のLPレコードの代替にはなる。
しかし、一部のクラシックファンは
LPレコードに大きな不満を感じていた。

クラシック・ファンが
LPで不便に感じているのは《第九》や
長大なワーグナーのオペラなど
1幕の途中で盤面を
ひっくり返さなくてはいけないこと。

筆者が
「有名な話でカラヤンが
 《第九》が入るようにと
 言ったそうですが」
と水を向けると、
《第九》もそうだが、
オペラも1幕が入ることが大事
と強調
した。

カラヤン《第九》説を
否定する
とともに、
歌手出身の経営者らしく、
オペラのことが
強く念頭にあったという印象だ。

結果的に第九だけでなく、
オペラも考慮にいれた
大賀さんの提案が通る。

「直径12センチにすれば
 (収録時間は74分)、
 ワーグナー(のオペラの1幕)でも
 大概1枚に入る。

 フィリップスの会議室で
 白板を使い
 それを説明したわけです」

 インタビューで感じたのは、
ユーザー本位の発想だ。

音楽ファンがどうすれば
長大な交響曲やオペラを
最高の状態で楽しめるかを
第一に考える姿勢が、
大賀さんには備わっているようだった。


 結局、ソニー側の言い分が通り、
CDの直径は12センチと決まった


大賀さんはそのプロセスを語るなかで
カラヤンの名前には一切触れなかった。

 

その後、
「もう一度確かめたいという気持ちが
 強くなった」小松さんは、
大賀さんへの二度目のインタビューも
実現している。

そこでもう一度、
カラヤン《第九》説を聞くと、
以下の返事だった。

「フィリップスとの会議で、
 (CD親格の)いよいよ仕上げ段階で、
 だれにも
 ケチをつけられないようにするには、
 77、78分は必要と主張した。

 カラヤンは長さについて
 一切口出ししなかった。

 まあ、カラヤンが関与した方が
 話がおもしろいでしょう。

 でも、(カラヤンは)そんな
 長さを気にするような人ではなかった」

 大賀さんは終始一貫、
カラヤン《第九》説を否定した

「カラヤン-第九」説は、
やはり単なる噂だったようだ。

 カラヤンのCDに対する思い入れは
尋常ではなかった。

レコード産業の大勢が
CD開発に反発するなか、
ソニー・フィリップスの
記者会見に自ら出たり、
故郷ザルツブルクにCD工場を誘致したりした。

そういうマエストロとCDとの
強い結びつきが
「CDカラヤン《第九》主張説」を
生んだのかもしれない。

私自身はなぜか、同じ第九でも
伝説的名盤、1951年の
フルトヴェングラー指揮
バイロイト祝祭管弦楽団の演奏
が基準になった、という説(? 噂)を
ずーっと信じていた。
演奏がちょうど74分ぐらいだったし。

どこで最初に聞いたのか
全く覚えていないのだけれど。

 

CD誕生の背景をまとめると、
《第九》の存在がその大きさを決め、
20世紀を代表する指揮者が
開発や普及を後押しした


筆者はそれで十分と感じる。
決定的な役割は
ソニーとフィリップス技術陣、
それに何より技術と音楽を知る
大賀さんが果たした。

 

小松さんはこんな言葉で
記事を結んでいる。

 インタビューでは
カラヤンに対する敬愛の念とともに、
ライバル心もしばしば感じた


飛行機操縦など共通の趣味のほか、
2011年4月、カラヤンと同じ
81歳でこの世を去った
ことも
二人の共通点として引き合いに出される。

 

気ままに続けているブログですが、
ことしも訪問いただき
ありがとうございました。

皆さま、どうぞよいお年をお迎え下さい。

 

 

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2019年12月22日 (日)

目黒川遡行 (3)

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目黒川遡行 (3)

- 鍵のかかったベンチの中は -

 

目黒川に沿って
ぶらぶらと歩きながら遡行する3回目。
前回からの続き。

目黒川をGoogle Map上に描いてみると
下の太い青い線になる。、
河口から歩き始めて中目黒まで来た。

Meguror1_64

 

2回目までの行程を終えたあたりでちょうどお昼。
東横線中目黒駅付近で昼食をとり、
リフレッシュして元気になって歩きだす。

歩き始めるとすぐ「現耀寺」という文字が
目に飛び込んできた。
お地蔵様の横には「目黒川地蔵尊」とも。
「えっ! ここって、お寺?」

P6023330s

完全に集合住宅の入り口。
入り口横の郵便受けを覗くと
301のところに「現耀寺」とある。

どんな事情があって
こうなってしまったのかはわからないが、
集合住宅の一室がお寺になっているようだ。
他に同じようなお寺をひとつも知らないが、
大都会のお寺の一形式なのだろうか?

P6023332s

 

桜の名所としてその季節には
多くの人でごった返すエリア。

P6023334s

 

川沿いを歩いていると、ところどころに
休憩用のベンチが用意されている。
このベンチ、
よく見ると、座面の下に錠があり
しかもどれも施錠されている。

P6023337s

川沿いの椅子の下に、
いったい何が隠されているのだろう?

非常用の「食料」ってことはないだろうから
非常用の「救命用具」あたりだろうか?
でも、だとしたら
鍵がかかっていたのでは
肝心な時に使えないではないか。

あれやこれや、考えながら歩き続ける。

と同時に、
中が覗けるようなベンチはないか、
鍵のかかっていないベンチはないか、を
ついつい探してしまっている。

P6023339s

 

しばらく歩いたところで、
ついに見つけてしまった。
鍵のかかっていないベンチを。

おそるおそる開けてみると
中身はコレ!

P6023343s

いったい何に使うための
ホースなのだろうか?

何が入っているかはわかったものの、
どうもすっきりしない。

鍵のかかるベンチに、
(しかも川沿いに多数)
ホースが確保してある理由
ご存知の方がいらっしゃれば
ぜひ教えて下さい。

 

屋根の上の [★/R] のマークが
目立っている建物は
2019年2月にオープンしたばかりの
「スターバックス
 リザーブ ロースタリー 東京」
STARBUCKS RESERVE ROASTERY TOKYO

P6023340s

全世界で見ても5店目の開業となる
スタバでも特別な店舗らしい。
地下1階から地上4階にまで展開されている
プレミアムなコーヒー体験とは
いったいどんなものなのだろう?

 

池尻大橋が近くなってきた。

P6023344s

 

玉川通り近くには「水車跡」として、
こんな掲示があった。

 『水車跡』
 この地域は、
 近くを大山道(現在の玉川通り)が通り、
 物資の輸送に便利であり、
 また、三田用水、目黒川の水力にも
 恵まれていたので、
 江戸時代から明治にかけて
 水車が多くつくられました。

 これらの水車は、
 精米・製粉・脱穀加工から、
 薬種の精製やガラス磨き、
 煙草のきざみ
など、
 水車動力をりようした小工場へと
 変わっていきました。
 しかし、これらの水車も、
 現在はどこにも残っていません

 目黒区教育委員会

事実とは言え、さらりと書いている
「現在はどこにも残っていません」が
あまりにも冷めていてなんとも味気ない。

 

玉川通りまで来た。
実はこの川幅で目黒川が見られるのも
ここが最後。

P6023348s_20191126233901

川下から見ると上の写真のように
単に玉川通りが川の上を通っているだけ
のように見えるが、
通りを渡って、
道の反対側で川を探すと
あの大きな流れはどこへやら。

突然
こんな小さな流れと整備された緑道に
出会うことになる。

P6023352s_20191126233901

この変化、主たる流れは
暗渠になっているということか?

 

そう言えば、
玉川通りを渡る信号の近くには、
こんな注意書が。

P6023350s_20191126233901

 『強風に注意』

 信号待ちの皆様へ
 風の強い日は車道の近くに
 立たないでください。

 強風により
 車道へ押し出される可能性があります。
 ご注意をお願いいたします。

 東京都再開発事務所

「強風により車道へ押し出される」!?
どうしてここだけ?
ビル風の類なのだろうか?

 

玉川通りを渡って、
人工的な小川に沿った
緑道を歩く。

P6023359s

 

緑道になってすぐ、行政区分としては
目黒区から世田谷区に変わる。
(地図上、右端赤丸)

P6023355ss_20191126233901

注意してみると、さすが(!?)区境。
手すりからコンクリート、
緑道の舗装材まで違う。
左側が世田谷区で右側が目黒区。

P6023354s_20191126233901

 

緑道は、草花の種類が豊富なだけでなく、
世話をする人がいるのか
手入れが行き届いていて美しい。

P6023357s

 

水も細く流れている。
暗渠の上に人工的に作られたせせらぎ、
といったところだろうか。

P6023358s

 

玉川通りから650mほど歩くと、
この合流地点に到着。
烏山川と北沢川の合流地点。
暗渠化されているので、
直接水を見ることはできないが
ここが事実上「目黒川の起点」となる。

P6023366s

上の写真は下流から上流方向に
撮っているが
右方向が北沢川(緑道)
左方向が烏山川(緑道)
ということになる。

P6023363s

 

北沢川も烏山川もここで合流して
目黒川になるわけだから、
流れで見ると最も川下になるが、
案内には、

 烏山川緑道
 北沢川緑道
 起点

と「起点」の表示になっている。

P6023364s

天王洲の河口から
ここ目黒川の起点まで約8km。

合流が見られないのは
なんとも残念だがしかたがない。
ともあれ、これにて目黒川は制覇。

このあと、烏山川緑道と
北沢川緑道をアレコレ迷いながら
1.5日かけて歩くことになるのだが、
その報告はまた日を改めてしたい。

 

 

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2019年12月15日 (日)

目黒川遡行 (2)

(全体の目次はこちら



目黒川遡行 (2)

- 伝説のホテルの今は -

 

目黒川に沿って
ぶらぶらと歩きながら遡行する2回目。
前回の続きから始めたい。

目黒川をGoogle Map上に描いてみると
下の太い青い線になるが、
河口から歩き始めて
まだ山手線のところまでしか来ていない。

Meguror1_64



山手線をくぐる直前、
対岸(西岸)を見るとこんなものが。

P6023265s

(フタはされているものの)
おおきなパイプが
スパッと切り取られている。
「もしや」と思って反対側、つまり
こちら岸を見ると、
思った通りこちら側にもこんなものが。

P6023267s

おそらく以前は大きな太いパイプが
両岸を繋いでいたのであろう。
それにしても太い!
何のパイプなのだろうか?

 

大崎駅付近のオフィスビル群。

P6023268s

 

桜の枝のアーチが
桜の季節の絶景を彷彿させる。

P6023269s

 

五反田駅付近では、
オフィスビルだけでなく
高層マンションも目につく。

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五反田駅近く、ちょっと見慣れない形で
構造的に補強された橋があった。

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「ふれあいK字橋」とある。
なるほど、
上から眺めればKに見えなくはない。

P6023275s

 

五反田を過ぎて
川沿いの整備された道を歩く。

P6023278s

 

途中、
清流の復活」と題した
こんな地図があった。

P6023280s

目黒川に流れている清流は
 新宿区上落合にある
 落合水再生センターで
 高度処理した再生水を利用しています。
      東京都環境局」

遠く(?)山手線、高田馬場駅近くの
落合水再生センターで再生された水が
目黒川の清流を作っている
ようだ。
まさに大都会の川だ。

 

ゆるやかなカーブがいい。

P6023281s

 

マンション脇、
進入禁止」と
侵入禁止」が
並んでいる。
気持ちはわかる。

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目黒駅手前、再び桜のアーチが美しい。

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ふと見ると、対岸にお城のような建物が。
もしやあれは・・・

「おぉ、あれがあの目黒エンペラーか!」

P6023292s

名前だけはそれこそ
40年以上も前から知っているのに
実物を見たのは初めてだ。
「伝説のラ ブ ホテル」
と言っていいだろう。

40年以上も経ってしまっているせいか
今見ると、
とても魅力ある建物には見えないが
建てられた当時は
「怪しい魅力あるお城」のオーラを
放っていたのだろうか?

今やちょっと離れると
他のビルに溶け込んで
まったく目立たないし。

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JR目黒駅近く、目黒通りの橋の上から一枚。
目黒通りがいかに高い位置を
確保しているのかが、よくわかる。
万が一、川が氾濫しても
これだけ高さに差があると
目黒通り自体は冠水しないですむ。

P6023297s

このあたり、「清流」とはほど遠く、
どういうわけか水がかなり濁っている。
というか真っ白だ。

 

大都会の真ん中を
大きくまっすぐに貫いている。

P6023300s

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少し上ると、水もきれいになり
「コサギ」か、
鳥も見かけるようになる。

P6023306s

 

田楽橋付近まで来た。

P6023308s

 

そこにちょっとおもしろいものが。

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「ここに設置しております橋名板は、
 「ふるさとの川モデル河川事業」
 の記念として、
 架替前の田楽橋、田道橋
 および太鼓橋の橋名板を
 埋め込んだもの
です。

 新橋および中里橋につきましては、
 現在の橋名板を写し撮ったものです」

の説明がある。
橋名阪を並べて見られるなんて。
字体もスタイルも全く統一感がないけれど
古いものをこうしてそのまま保存するのは
なかなかいいアイデアだ。

 

「目黒川船入場」まで来た。


P6023316s

イベントが開催されていて
多くの人が集まっていた。

P6023314s

 

右手「駒沢通り」を
川は下をくぐり、人は歩道橋で渡る。
中目黒駅までもうすぐだ。

P6023319s

 

中目黒駅直前、
蛇崩川(じゃくずれがわ)との
合流点がある。

P6023326s

合流点は小さな公園となっているが
そこからは、目黒川を跨いでいる
東横線・中目黒駅のホームが見える。

P6023324s

 

目黒川歩きの記録、
川の起点までもう一回続けたい。

 

 

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2019年12月 8日 (日)

目黒川遡行 (1)

(全体の目次はこちら



目黒川遡行 (1)

- 東海道五十三次 一の宿を通って -

 

妙正寺川
大岡川を歩いた友人たちと
今度は目黒川を歩いてみよう、
ということになった。

目黒川は、全部歩いても8kmほどしかない
都会を流れる短い川だが、その起点は
妙正寺川の場合とも
大岡川の場合とも違う
「2本の川の合流点」となっている。

Google Map上に川のルートを描いてみた。
青い太い線が目黒川だ。

Meguror1_64

北沢川(左上緑の線)と
烏山川(左上赤の線)とが
合流した地点が
目黒川(左上から右下への斜めの青い線)の
起点となっている。
ただ、合流地点付近は暗渠となっているため
水が落ち合う場所を
直接見ることはできない。

また「2本の川が合流して」と書くと
「じゃぁ合流する北沢川烏山川
 上っていくとどうなっているの?」
の疑問も当然浮かぶ。

実は、日を分けたものの、
北沢川と烏山川についても
下の緑と赤のルートで歩いている。

Meguro3a_1k

どちらも暗渠が多く、いまやその流れを
正確には追いきれない部分も多いため
「川に沿って遡行した」というよりも
「川だったと思われる部分を
 できるかぎり追いながら歩いてみた」
の軌跡としてのルートではあるが。

いずれにせよ、
北沢川や烏山川については
目黒川とは分けて報告したい。

まずは、川面を見失うことなく
水を追ってのんびり歩くことができた
「目黒川歩き」から、写真の整理を兼ねて
振り返ってみたいと思う。

 

今回の出発地点、
東京都品川区の臨海部、天王洲アイル付近。
2019年6月の土曜日の朝。天気は曇り。

P6023195s

東京湾の京浜運河に流れ込む
まさに川の終着点。目黒川の河口だ。

河口を眺めながら、
ふと振り返って海側を見たら、
新幹線の車両が走っていたので
びっくりしてしまった。

品川駅よりもずっと海側で
もちろん東海道新幹線のルートではない。
どうも、東京駅から
「JR東海 新幹線大井車両基地」
に向かっている車両のようだ。

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天王洲アイル方向は近代的なビルが並ぶ。
左側は羽田空港と浜松町を結ぶ
東京モノレール。

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京浜運河に流れ込む直前の目黒川。

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河口付近にはいくつかの公園がある。

P6023213s

その中には、野球場もあり、
少年野球の元気な声が響いていたが、
そのすぐ横には、屋外にもかかわらず
こんな無料WiFiの案内板が。
さすが大都会の公園だ。

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天王洲南運河との間には大きな水門がある。

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河口の公園のひとつ、東品川海上公園。

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「ミッフィー公園」の愛称で
親しまれているらしく、
ミッフィーのイラストの遊具や人形、
花壇などが並んでいた。

 

さぁ、いよいよ目黒川に沿っての遡行開始。

P6023215s

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歩き始めてすぐ、新品川橋の横の
赤い鳥居は「浜北三社稲荷」

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御神木か見事な大イチョウに
まさに守られているような構図がいい。

P6023232s

 

品川橋まで来た。

 この辺りは江戸の昔、
 「東海道五十三次 一の宿」として、
 上り、下りの旅人でにぎわいました。

の説明書きがあるように、
まさに東海道品川宿があったあたり。
「品川宿場散歩」の地図がある。

P6023238s

 

旧東海道、東方向を見て一枚。

P6023236s

 

旧東海道、西方向を見て一枚。

P6023237s

もう一度言わせていただこう。
この付近、あの東海道五十三次の一の宿だ。

 

品川橋を越えて、
赤く見えてきたのは「鎮守橋」。

P6023239s

 

その東岸には「荏原神社」

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第一京浜道路をくぐって
川沿いを上っていく。

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途中でこんな駐輪場を見かけた。

コミュニティサイクル
「東海橋防災船着場」

P6023254s

品川区のシェアサイクルらしく、
スマホやカード、暗証番号を使うことで
人手を介することなく
簡単に借りられたり、
乗り捨てたりできるようだ。
150円/30分から。

上海で見たレンタサイクル
思い出す。

P6023256s

 

西岸には「本光寺」の三重塔が
美しく見える。

P6023259s

 

「ようじんほどうきょう」と書かれた橋が。
「要人」?
「桁下2.0m」の文字があるので「用心」?
そんなはずないか。
帰って調べてみたら漢字では
「要津」と書くらしい。
漢字で書かれたらこりゃ読めん。

P6023262s



東側に東海道線と京浜東北線、
西側に山手線と横須賀線と東海道新幹線、
南側に山手通りと目黒川、
という場所に、
近代硝子工業発祥之地
の碑が立っていた。

P6023263s

1873(明治6)年、東海寺の境内に
日本初の洋式の板ガラス工場が
創設されたとのこと。
なぜ、お寺の境内に?
の疑問は残るが、その工場を
翌年、今度は政府が買い上げ
官営の「品川硝子製造所」にしたらしい。

明治のはじめ、今から150年近くも前の話だ。

 

河口から歩き始めて、
ようやく山手線を
くぐるところまで来た。

次回につづく。

 

 

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2019年12月 1日 (日)

「人間を写字・計算の機械にするのか」

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「人間を写字・計算の機械にするのか」

- 精神の発達と体からの刺激 -

 

前回紹介した
「人類の自己家畜化」関連の本から
もう一冊とりあげたい。

尾本惠市(編著)
人類の自己家畜化と現代
人文書院

(以下水色部は本からの引用)

本の中にある井口潔さんが書いた
「ヒトにとって教育とは何か」という章から
キーワードを3つピックアップしたい。

 

(1) 「種の保存」と「精神の発達」
1912年にノーベル賞をとった
アレキシス・カレルの言葉。

アレキシス・カレルは
フランス生まれの実験外科研究者で、
生涯をニューヨークの
ロックフェラー研究所で過ごした。

1912年にノーベル賞を取ったが、
晩年にかかるころ
「科学研究はすればするほど
 福祉から離れていく」

ことに気づき、

1935年に
『人間、この未知なるもの
 (Man, the unknown)』を著わした。

また彼の死後出版として
『人生の考察
 (Reflections on Life)』がある。

 彼はそのなかで、
人間が繁栄を続けていくのに
守るべき三つの原則として、

 種の保存、
 個体の保存、
 精神の発達


を挙げている。

現代は「知」の
それも生活に役に立つ「知」の、
不快を退ける「知」の
価値ばかりが高く評価され、
それ以外の徳目は明らかに
低く評価されてしまっている。

そのことが、本来あるべき
「精神の発達」を
歪(ゆが)めてしまっているのではないか。

「種の保存」と「精神の発達」を
同レベルで羅列していることが新鮮だ。

 

(2) 体からの刺激の意味
1981年にノーベル賞をとった
ヒューベルとヴィーゼルの
子猫の「感覚遮断実験」が紹介されている。

 生まれ立ての猫の片目の
上下の瞼の皮膚を縫い合わせ、
数週間後に縫い糸をとって瞼を開くと、
縫い合わせた目の視力は失われていて、
その後いくら視覚を刺激しても
視力は生まれなかった。

要するにその目の視力は
永久になくなったのである。

一方、縫い合わせなかった方の目は
普通以上の視力を持った。

また同じ実験をおとなの猫にしたが、
視力が失われることはなかった。

このように、
「視る」という能力は
自然に現れるもののように思われているが、
そうではない。

「視るという体験」をして始めて
観ることが出来るようになる
のである。

 発達途上の脳の機能を発達させるには
「感覚的経験」が不可欠なのである。

しかもその経験は
生後まもなくの時期になされることが
必要である。

その時期を臨界期といい、
その時期を失すると
重大な障害が起こる。

脳には最初から「見える」仕組みが
備わっているわけではなく、
「目で見る」ことによって、
つまり、見るという体からの刺激が
脳に伝わることで初めて
「見える仕組み」が
脳内に構築されるわけだ。

身体からの刺激、の意味は大きい。

 

(3) 「人間を機械にするのか」
福沢諭吉の言葉。

(中略) 欧米の文明を
一日も早く取り入れるために、
明治5年に学制をしき、
学校の制度をつくった。

政府が決めた内容の知識を、
決められたときに、決められた期間に、
決められた場所で一様に
学習しなければならないようにした。

 福沢諭吉は
人間を写字・計算の機械にするのか
とこの政策に反論したが、
容れられなかった。

そして決められた通りに
学習ができたかどうかの成績で
順位がつけられ、
人間の評価が決まるような
制度をつくった。

無意識のうちに
人間は不活性化され、
「人間の自己家畜化」は
促されたといえる。

約150年前の福沢諭吉の不安は
まさに的中してしまったようだ。

精神の発達が不十分で
写字・計算の機械のような人間が
大量に生産されてしまっている。

「不快」を悪と決めてつけて
「快」ばかりを追求したせいで
あらゆることがバーチャルとなり
「体からの刺激」は貧弱になる一方だ。

「体からの刺激」によって
ちゃんと成長する仕組みがあるのに
自らそれらに蓋をして
生命としての喜びの機会を失っている。

「家畜化」という言葉が
適切かどうかはともかく
「進む道」が、生物として
生き生きと生きる道から
どんどん遠くなっていって
いいはずはない。

 

 

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