「病気平癒」ではなく「文運長久」
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「病気平癒」ではなく「文運長久」
- 眉村卓さんご夫妻の物語 -
先週の八千草薫さんネタに続いて、
訃報関連で、になってしまうが、
2019年11月3日
こんどは作家の眉村卓さんが
85歳で亡くなった。
今日は眉村さんの本について
少し紹介したい。
そうそう、本の前にひとつ。
「眉村卓」というお名前、
私はなぜかその字面(じづら)を見るだけで
SFチックなものを感じてしまう。
NHK『少年ドラマシリーズ』の
「なぞの転校生」を
リアルタイムで見た世代のせいだろうか。
「小松左京」という名前を見ても
特に感じるようなものは何もないのに。
不思議だ。
閑話休題。
「ねらわれた学園」など
ドラマや映画で何度も映像化された
有名な作品もある眉村さんだが、
近年、眉村さんの名前を一番目にしたのは
この本に関してだったかもしれない。
眉村卓 (著)
妻に捧げた1778話
新潮新書
(書名または表紙画像をクリックすると
別タブでAmazon該当ページに。
以下、水色部は本からの引用)
眉村さんは、
末期がんを宣告された妻のために、
妻のためだけに、
1日1話ショートショートを
書き続ける決意をする。
SF世界の話でもなければ、
小説の世界の話でもない。
正真正銘、眉村さん自身の実話だ。
3か月位経ったときだろうか。
「しんどかったら、やめてもいいよ」
と妻が言った。
お百度みたいなもんやからな、
と私は答えた。中断したら
病状が悪化する気がしたのだ。
お百度を踏む思いで
ショートショートを書き続けた眉村さん。
その創作は、奥さんが亡くなるまで
4年10ヶ月にもおよび、
1778話もの作品群となった。
本書には、
その中の19篇が収められているが、
当然ながらそのごく一部で、
選んだ基準にしても、
出来の良し悪しより、
書きつづけている間の
こちらの気持ち・手法の変化と
その傾斜-ということを優先させた。
そのあたりを読み取って頂きたいのが、
私の願いである。
とあるように、この本の魅力は
ショートショートの作品そのものよりも
「最期」という厳しい現実に直面しながらも
それに真摯に向き合ってきたご夫婦の
ある意味での「発見」と
気持ちの「変化」の物語だ。
創作そのものについても
追い詰められた状況を
冷静に見つめている。
無意識のうちに陥って行き、
自分でも肯定していたのは、
自己投影の度合いや
妻とのかかわりの反映の色が、
しだいに濃くなってゆくことであった。
かつて私は
多作で知られたある老大家から、
「きみ、作った話というものは、
いずれは種が尽きるものだよ。
そうなるとだんだん
自分を投入するしかなくなるんだ」
と聞かされたことがある。
あまり才のない私は、
SFなどというものを書きながら
比較的早くから
自分の体験を作品の中に
織り込むようになったが……
それがこんな状況で顕著になってきた
-ということではあるまいか。
もともと奥さんの読書傾向自体、
眉村さんとは違っていた。
妻がSFの良き読者だったかといえば、
どうもそうではなかったらしいと
答えざるを得ない。
そう振り返りながらも、
支え続けてくれた奥さんへの感謝の思いは
ショートショートに昇華されていく。
ある日、自身の葬儀について
奥さんは眉村さんにこう告げる。
「お葬式の名前は、
作家眉村卓夫人、村上悦子
にしてほしい」
と。
二人で松尾寺に詣(まい)ったさい、
祈願の札に、病気平癒と書けと
私が二度も言ったのに、
妻は聞かず、文運長久とだけ
しるしたことが、よぎっていた。
私の協力者であることに、
妻は自負心と誇りを持っていたのだ。
奥さんの17年後に後を追った眉村さん。
眉村夫妻のご冥福をお祈りいたします。
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