国宝「松江城」
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国宝「松江城」
- 2階ごとの通し柱と包板(つつみいた) -
前回に引き続き、
松江旅行記を続けたい。
「カラコロ広場乗船場」から
堀川めぐりの船に乗り込んだ我々は
橋や石垣を船から楽しみながら、
「大手前広場乗船場」まで来た。

(写真はすべてiPadで撮影)
ここで降りて、
松江城を見学することにする。
松江城は、現存する12天守のひとつ。
1935年に国宝に指定されたものの
1950年に重要文化財に。
2015年に国宝に再指定、
というちょっとかわった経歴を持つ。
【松江城】
入るとまず、
大手門跡からの石垣に圧倒される。

子どもではあるが
人と一緒に写真を撮ると、
石垣の高さがよく分かる。

石垣積は、築城工事にあたって、
全体の半分以上の労力を要した大事業。
築成には遠く大津市坂本町穴太の
穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる
優れた技能を持った
石垣築成集団が招かれて
その任にあたったという。

自然石や割石を積む「野面積」や
石切り場で切り出した石の、
平坦な面の角を加工し、
合わせやすくした「打ち込み接(はぎ)」
といった様々な積み方を
実際に目にすることができる。

訪問は5月4日、城内ではちょうど
ヒトツバタゴ(一つ葉田子)
通称ナンジャモンジャの木の花が満開で
多くの人がカメラを向けていた。

ナンジャモンジャという名前には
きっとおもしろい由来があるに違いない、と
ちょっとググってみたのだが、
諸説出てくるものの
改めてここに書くようなネタは
見つからなかった。残念。
城の前まで来ると、
鎧を纏った武士の格好をした人が。

城を背景に、
武士を囲んで写真撮影をする観光客、
特に外国人の方が多く、
各グループにひっぱりダコ。
忙しくても笑顔を絶やさない
にこやかな対応はさすが。
それにしても、この城、
堂々たる風格だ。

さっそく中に入ってみることにした。
入って最初に目に飛び込んできたのは
「井戸」。
まさに城の中に井戸。
深さは24mもあるらしいが、
城から出ずに飲料水が得られたことは
籠城対策としても有効だったことだろう。
他にも、2015年の
国宝再指定を決定づけた「釘のあと」や
木造では国内最大の鯱鉾(しゃちほこ)など
見どころはいろいろあるが、
一通り見学して、素人ながら
特に強く印象に残ったのは次の二点だった。
(1) 2階ごとの通し柱
松江城には、下から最上階までを貫く
「通し柱」がない。
1階と2階、2階と3階、というように、
「2階ごとの通し柱」を組合せて
天守を構成している。
iPadは暗いところに弱いので
写真ではちょっとわかりにくいが
写真を撮ったので貼っておきたい。
柱は、通常、こんなふうに
下の階から上の階に貫かれているのが
ふつうだ。(写真中央の柱)
ところが、松江城では、
2階分の通し柱が使われているので
こんな部分がある。
中央の柱は、上の階にだけあって
下に伸びていない。

ちょっと不思議な感じ。
全体の構造図で示すとこうなっている。
(登閣券を買ったときにもらった
松江城のパンフレット掲載図。
より詳細な資料は、松江市が
通し柱配置図として公開している)
ちなみに、姫路城の天守には
地階から6階までを貫く柱が2本あり、
それらがまさに中心となって、
全体を支えているらしい。
なお、これら
各階の階段に「桐」の板を
使っていることも、
松江城ならではの特徴のひとつ。
防火・防腐に効果があるだけでなく、
緊急時に
防衛のために階段を引き上げるとき、
軽くて引き上げやすい、
というメリットもあるのだとか。
(2) 包板(つつみいた)
天守を支える柱には、一面だけ、
あるいは二面、三面、四面に板を張って、
鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で
留められているものがある。

これは「包板(つつみいた)」と呼ばれ、
天守にある総数308本の柱のうち
103本に施してあるという。
割れ隠しなど不良材の体裁を
整えることを目的としながらも、
補強効果も期待したものと考えられる、
との説明が出ている。

現存天守では
松江城だけに見られる技法らしいが、
数本ならともかく100本以上、
30%以上の柱が不良材ベースとは。
権威や体裁を気にする天守において
良材が調達できなかったこと、
そしてその不良材を工夫はしたにせよ
実際に使ってしまったこと、
それらにはどんな意味があるのだろうか?
天守閣からの眺めは抜群。
遠く、登山した大山も見える。
南側には宍道湖が広がっている。

明治の初め、全国の城はほとんど
取り壊される運命にあった。
ところが、松江城天守は
地元の豪農 勝部本右衛門、
旧松江藩士 高城権八ら
有志の奔走によって
山陰で唯一保存され、守られた。
今後も継続的なメンテナンスが
必須であることは間違いないが、
なんとかその姿を後世に残してもらいたい、
そう思える見応え十分の天守だった。
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