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2019年6月 2日 (日)

世界遺産「石見銀山」銀山地区

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世界遺産「石見銀山」銀山地区

- ノミの跡と鉱脈枯渇のタイミング -

 

世界遺産「石見(いわみ)銀山」のうち
古い町並みが残る大森地区の話を
前回書いたが、
今日は銀山地区について。

まさにメイン、鉱山と坑道部分だ。

 

まずは銀山について
その概要を簡単にまとめておきたい。

石見(いわみ)銀山は、
1526年に九州博多の豪商
神屋寿禎(かみやじゅてい)によって
発見されて以来、
1923年の休山まで、
約400年にわたって採掘が続いた
世界有数の鉱山遺跡だ


1595年のヨーロッパで作られた
日本図(ティセラ日本図)にも記述があり、
大航海時代の16世紀、
ヨーロッパ人に知られた
唯一の日本の銀鉱山だった。

16世紀半ばから17世紀はじめ
日本の銀は
世界の産銀量の約1/3を占めていた
が、
そのかなりの分は石見銀山のものと
考えられている。

高品質で信用が高かった石見の銀は、
アジア諸国とヨーロッパ諸国を
交易で繋ぐ重要な役割を果たした。

2007年、
環境に配慮し、
自然と共生した鉱山運営
行っていたことが特に評価され
「石見銀山遺跡とその文化的景観」
として、世界遺産に登録
された。

 

さて、観光に戻ろう。

予約なしでも入れる
龍源寺間歩(りゅうげんじ まぶ)
と呼ばれる坑道は、
大森地区から約2km緩やかな坂を
上っていった先にある。

間歩(まぶ)というのは、
寡聞にして初めて知った言葉だったが、
銀鉱石を採掘するための坑道のことらしい。

さて、龍源寺間歩の入り口まで来ると
訪問時、新元号「令和」の
まさに記念すべき初日だったこともあり、
こんな特別企画をやっていた。

P5013118s

「平」「成」「令」「和」の漢字が
名前に含まれる人はタダでどうぞ、と。

我々夫婦には
どの文字も含まれていなかったので
通常通りの入場料を払って
入り口に向かった。

 

入り口周辺は、シダに覆われている。

P5013119s

この鉱山周辺に見られるシダは、
ヘビノネゴザというオシダ科のシダで、
貴金属を好む性質を持ち

金銀山発見の手がかりになったと
言われている。
ちなみに、ヘビノネゴザは
漢字で書くと「蛇の寝御座」だとか。

いよいよ中に入る。

P5013132s

狭い。
人ひとりがやっと通れる大きさ。

P5013122s

壁面には、
ノミのあとが粗々しく残る

 

途中には、
岩石の隙間に板のように固まっている
鉱物の層(鉱脈)を追って掘り進んだ
「ひおい坑(こう)」と呼ばれる
さらに小さな坑道がある。

P5013129s

もちろん
水対策も重要で、
「竪坑(たてこう)」と呼ばれる
垂直に掘られた排水用の
坑道もある。

P5013127s

なんと、さらに約100mも下にある
別の坑道へ排水していたらしい。

P5013126s

 

とにかく狭く、閉所恐怖症でなくても
独特な恐怖感が背中についてくるのを
振り払えない。

トルコで見た
デリンクユ地下都市でもそうだったが、
もしここで閉じ込められたらどうしよう、
の思いが一瞬でもよぎると、
地下が持つ、
まさに逃げ場のない岩の壁の圧迫感が
胸に迫ってくる。

もちろん実際に掘り進んでいた鉱夫は
単なる「狭さ」だけでなく、
「息もできないほどの粉塵」や
「わずかな明かり」や
「送風により確保される空気(酸素)」や
「いつ襲われるかもしれない水」や
「崩れるかもしれない岩盤」などなど
そういった不安や恐怖とも
常に戦っていたわけで
整備された観光用の坑道を歩いて
「追体験した」とはとても言えないけれど
それでもそれらを想像するうえでの
「息苦しさ」は十分に感じられる。

P5013123s

 

龍源寺間歩は、江戸時代前期からのもので、
昭和18年(1943年)まで稼働していた。

「横幅2尺高さ4尺を、1日5交代で、
 10日で10尺掘ったと伝えられている」

尺貫法をメートル法に変換して書くと、

「横幅60cm高さ120cmを、
 1日5交代で、10日で3m掘った
 と伝えられている」

ここの間歩は全体で約600mあるが、
その約1/4、157mのところから
新しく坑道が設けられ
平成元年に観光用に公開された。

新坑道には、
「石見銀山絵巻二巻」が
十数枚の電照板で展示されている。

P5013144s

 

伝統技術による銀生産は
江戸時代から綿々と続けられていたが、
明治維新を迎えた19世紀後半から、
ヨーロッパの産業革命で発展を遂げた
新技術が導入されるようになる。

ところが、ちょうどそのころから
銀鉱石が枯渇。
鉱山活動は停止に向かっていく。

そのことが、伝統技術による銀生産の跡を
良好に残すことに貢献
した。

銀鉱石が枯渇していなければ
ノミの跡が残る坑道も、
拡張のために大きく削り取られて
何も残らなかったかもしれない。

そうなれば、「遺跡」としても
保存されることはなかったであろう。

「枯渇のタイミング」も
「遺跡」となるためには重要だ

という点もおもしろい。

 

ようやく間歩から出てきた。
まさに、ホッとする。

 

間歩の出口から少し歩いたところの
小さな小屋で「匂い袋」を売っていた。

P5013157s

前回も書いた通り、
石見の世界遺産エリアには、
土産物屋がぜんぜんなく、
「**饅頭」やら「**キーホルダ」やらを
目にしないで済むのは実に気分がいい。

この小屋では「匂い袋」が
土産物として売られていたものの、
工場で作られるような量産品ではない。
作った「香木師」の署名付きで売っている。

中身は、付近に自生しているクロモジ

爪楊枝としてよく使われる素材だ。

このクロモジ、
木(枝)のままではほとんど香りはしない。

ところが木槌や瓶のようなもので
叩いて潰すと、独特な香りがでてくる。
実演付きで、その場で香りを
確認させてもらったのだが、
まさに自然のままの素朴で実にいい香り。

ナン年たっても叩けば香る、とのこと。

素朴な香りが気に入ったのでひとつ購入。
誰かへの土産にするか、
クローゼット等にかけておくか、
用途は決まっていないけれど、
人工的でない香りはどこか落ち着く。

そう言えば、シロモジのほうは
山梨県の山中湖畔で見たなぁ、と
ぼんやりと思い出す。

 

間歩出口からゆっくり歩く。

振り返っても山は豊かな緑で覆われており、
その岩の下に間歩が蟻の巣のように
広く広がっていることは
まったく想像できない。

 

 

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