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2019年4月28日 (日)

元号とエ列音

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元号とエ列音

- エ列音は格が低い? -

 

「平成」もいよいよあと2日。

ここ数か月の
マスコミをはじめとした
「平成最後の」の連発からも
ようやく開放されることになる。

なにせNHKは、4月19日
「平成最後の満月です」とまで言っていた。
もう救いようがない。

このままでは4月30日には
紅白歌合戦をやってしまうかもしれない。


さて、この4月1日に
次の元号「令和」の発表を聞いたとき、
最初に思い出したのは

丸谷才一さんが、
「元号そして改元」と題して
2004年5月4日の朝日新聞
に寄せていた文章
だ。

A040504maruya_1

丸谷さんは残念ながら
2012年に亡くなってしまったので
もちろん「令和」のことは
何もご存知ないわけだが、
「れいわ」という音を聞いて、
きっとどこかで苦笑いしていることだろう。

丸谷さんらしく
言いたい放題書いている文章だが、
すこし紹介したい。
(以下水色部、記事からの引用)

まず、丸谷さん、
「平成」という元号が
ずいぶん気に入らなかったようだ。

 しかしこの数十年間で
最悪の名づけは平成という年号だった。

不景気、大地震、戦争と
ろくなことがないのはこのせいかも、
と思いたくなる。

とまで書いている。
その理由を「音」から説明している。

日本語ではエ列音は格が低い

八世紀をさかのぼる
原始日本語の母音体系は、
a, i, u, öという
四つの母音から
成っていたと推定される
(大野普『日本語の形成』)。

このため後来のエ列音には、
概して、侮蔑(ぶべつ)的な、
悪意のこもった、
マイナス方向の言葉
はいることになった。

いくつか例を並べている。

アハハと笑うのは朗らかである。
イヒヒとは普通は笑わない。
ウフフは明るいし、
オホホは色っぽい。

しかしエヘヘは追従笑いだ。

エセとかケチとかセコイとか、
例はいくらでも。

なかんずくひどいのがで、
例のガスを筆頭に、
押されてくぼむのはヘコム
疲れるのはヘコタレル
言いなりになるのはヘーコラ
上手の反対はヘタ
御機嫌(ごきげん)とりはヘツラウ
力がないのはヘナヘナ
厭らしい動物はヘビ
と切りがない。

ヘビが厭(いや)らしい動物とは
いったいどういう意味か?
の疑問はさておき、
そして、いよいよ「平成」だ。

ヘイセイ(実際の発音はへエセエ)は
このエ列音が四つ並ぶ

明るく開く趣ではなく、
狭苦しくて気が晴れない。

で、「平成」の次は
「令和(れいわ)」だ。「れ(re)」、
またまたエ列(エ段)になってしまった。

存命であれば
どんなコメントをしたことだろう。

それにしても、
「エ列音は格が低い」なんて
初めて聞いた。
まじめに聞いていいのだろうか?
だからこそ、
心のどこかに引っかかっていて
「れいわ」を聞いた瞬間、
15年も前の記事なのに
ふと蘇ってきてしまったわけだが。

で、最後にひとつオマケ。

 本当のことを言えば、
これを機会に年号を廃止し、
西暦でゆくのが一番いい。

尺貫法からメートル法に
移ったと同じように、
普遍的な制度にするのだ。

たとえば
岩波書店、講談社、新潮社などの
本の奥付はみな西暦で書いてあって、
まことに機能的である。     

ほぉ、と思って
手元の本で確かめてみると、
ちょっとおもしろいことに気がついた。

挙げられたどの出版社も
単行本の奥付は確かに西暦なのだが、
文庫本については
ちょっと事情が違っていた。

岩波と講談社は西暦、
新潮社は和暦。

新潮社が単行本の奥付には西暦、
文庫本の奥付には和暦と
使い分けているのには
なにかわけがあるのだろうか?

どうでもいいことなのに
またまた心のどこかに
小さく引っかかってしまった。

 

 

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