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2018年11月 4日 (日)

オーストリア旅行記 (63) リンク通りに沿って

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オーストリア旅行記 (63) リンク通りに沿って

- 印象的な建造物の数々 -

 

ここ で書いた通り
ウィーン市街を囲むリンク通りは
ウィーンを取り囲んでいた市壁を
取り壊したあとに造られたもの。

1857年に宣言された
市の拡張計画で本格的に動き出している。

リンク通り回りの建造物については
これまで
「自然史博物館」
「美術史博物館」
「国立歌劇場」
「楽友協会」
などを採りあげてきた。

旅行記の最後に、
これまでの記事で紹介できなかった
特徴あるリンク通り回りの建造物を
まとめて紹介したい。

 

【ヴォティーフ教会】

P7179636s

1853年2月18日、
この場所でフランツ・ヨーゼフ皇帝の
暗殺未遂事件が起こった。
皇帝の上着の金属ボタンが凶器を防ぎ、
無傷で生還。

神の加護に感謝を込めて、
皇帝の弟マクシミリアン3世の呼びかけで
1856-1879年に建設。
塔の高さは99m

フランスの大聖堂を手本にした、
ネオ・ゴシック様式の美しい姿は、
ウィーン大学を設計した
フェルステルが手がけた。

夕暮時の写真も一枚。

P7169507s

 

【ウィーン大学】

P7169449s

1365年にルドルフ4世によって創立された
ドイツ語圏最古の大学

P7179638s

リンクに面した本館は、
人文科学が花開いた時代の様式である
ルネッサンス様式で、
19世紀後半に建てられた。

9人のノーベル賞受賞者を輩出した名門で、
約9万1000人の学生を抱えている。

P7179640s

 

【ブルク劇場】

P7179643s

ドイツ語圏はもちろん、
ヨーロッパの演劇界でも
最高レベル権威を誇る劇場。

P7179644s

ハーゼナウアーがゼンパーと共に建てた
ネオ・バロック様式の装飾的な建物は、
1888年に完成。

P7179651s

正面が弧を描いてリングヘ迫り出し、
左右に広がる翼は大階投となって
2階ロビーへ通じている。

P7179657s

内部の華麗な階段の間には、
グスタフ・クリムトが
若い頃1888年に描いた天井画
『タオルミナの劇場』と
『ディオニソスの祭壇』があり、
後年の作風とはかなり異なる
擬古典派の作風が見られるようだが、
今回は残念ながら
中に入って見ることはできなかった。

劇場内部の
ガイドツアーもあるらしい。

P7179661s

 

【市庁舎】

P7179647s

ネオ・ゴシック建築の名手
フリードリヒ・フォン・シュミットの
傑作で、その後ドイツの市庁舎建築に
多くの影響を与えた。
1883年に完成。

P7179652s

中央の塔の高さは98m。

近くのヴォティーフ教会の塔が
99mであることから、
この高さを超える建物は
皇帝の命で許されなかった。

そこで建築家シュミットは
市庁舎の塔の上に
高さ約5mの
市庁舎の男Rathausmannという
騎士像を載せて、
こっそり反抗したという逸話が残る。

 

広い前庭の市庁舎広場Rathausplatzでは、
夏には フィルムコンサート・フェスティバル、
11月中旬~12月には クリスマスマーケット、
1月下旬~3月上旬には 広いアイスリンクが登場する
ウィーン・アイストラウムなどが 開催される。

今回7月の訪問時には、
まさに映画関連のイベントが
開催されていた。

P7179650s

 

【国会議事堂】

P7179663s

ギリシャ風の壮大な建物に注目!

建物をも含めたリングの建設は
1860年代から70年代へと進むにつれ、
ますます装飾的になってくる。

P7179665s

19世紀後半、折衷主義の代表者である
アテネ育ちの
テオフィル・フォン・ハンセンの代表作。

P7179666s

民主主義発祥の地である
ギリシャの古典様式が
国会議事堂にふさわしいと採用され、
1883年に完成。

P7179668s

8本の大列柱が並ぶ入り口の上には
ギリシャ・ローマの学者と
政治家たちの彫像が、
屋根の上にはギリシャの戦車が
飾られている。

P7179674s

奥には市庁舎の塔も見える。

神殿のような列柱の前に立つのは、
英知をつかさどるアテナ女神像。

その足元の4人の像は、
当時ハブスブルク家の領土を流れていた
ドナウ、イン、エルベ、
モルダウの川を象徴している。

議会開催中以外は、内部をガイドツアーで
見学できるらしい。

P7179675s

今日紹介した5つの大きな建造物は、
事実上リンク通りに沿って
「並んで」建っている。

なので、ひとつひとつは大きいものの、
順番に迷わず歩いてみることができる。

それぞれの様式があり、このエリア、
まさに生きた建造物の博物館のようだ。

 

あちこちに寄り道しながら、
63回にもわたって
気ままに書き続けてきた
オーストリア旅行記だったが
あともう一回書いて一区切りとしたい。

というわけで(?)、次回はいよいよ
オーストリア旅行記の最終回。

もう一回だけお付き合い下さい。

 

 

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