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2018年10月14日 (日)

オーストリア旅行記 (60) ウィーン美術史博物館(2)

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オーストリア旅行記 (60) ウィーン美術史博物館(2)

- ブリューゲル「雪中の狩人」 -

 

前回はこの本

中野孝次 著
ブリューゲルへの旅
文春文庫

(以下水色部、本からの引用)

を紹介したところで終わってしまったので、
続きを書きたい。

ウィーンで
「憂鬱をもてあましていた」中野さんは、
こんな言葉でこの街を描写していた。

思い出すために一部繰り返すと・・・

だが、威圧すべき異民族を失って、
1918年以来
空しく過去の壮麗さのなかに
まどろんでいる
このあまりに伝説的な都市の外観は、

わたしには
若い日の栄華のままに正装し
厚化粧した老婆を白昼に見るような
印象を与えた


それは途方もなく空しく、
無用な装飾にみちすぎていた。

死ぬ日のくるのを着飾って待っている
老人の都市
だった。

「厚化粧した老婆」
「死ぬ日のくるのを着飾って待っている
老人の都市」とは。

そんな中野さんが、
ウィーン美術史博物館で、
ブリューゲルに出会う。

 そんなときに
なぜフリューゲルが
あのように親しく語りかけてきたのか
わからない。

わたしは痛む足をかばうためもあり、
毎日のように
近くの美術史美術館に通い、
その一室にいると幸福だった


どの絵も
いくら見ていてもあきなかった。
ふしぎにしんと静謐な世界へ
誘うものがそこにはあって

静かな声で、
ここがお前の帰っていくべき場所だと
語りかけてくるようであった。

なかでも「雪中の狩人」
深い色合いの世界がとくにわたしを
ひきつけた。

ブリューゲルの「雪中の狩人」
美術の教科書にも出ているコレだ。

P7169420s

製作年1565年。
450年も前の作品だ。
ちなみにブリューゲルは
1525年-1530年頃生
1569年没。

音楽の父とも言われるバッハが
1685年生まれだから、
バッハよりもさらに100年以上も前の人
ということになる。

日本では戦国時代、
種子島に鉄砲が伝わり(1543年)
桶狭間の戦い(1560年)が
あったころの人だ。

 

この絵に、中野さんは
どんなふうに魅了されたのか。

Bruegelv1

 そこにあるのは
きびしい冬の自然のなかの
生の営みである。

重い鉛色の雲に覆われた地上は
一面に深い雪に埋れている。

池も河も重い空を映して、
かすかな緑青色をおびた
鉛色に氷結し、そこに
着ぶくれした子供たちが遊び、
人びとが背をまるめて道を急ぐ。

だがすべては遠く小さく、
かれらの叫びも歓声もきこえず、
世界はしんと寒気のなかに
静まりかえっている

遠景にはまさに様々な人達が
描かれている。でも、確かに
遠いこともあり音は聞こえてこない。

 

Bruegelv2

その世界へいま
三人の屈強な猟師
乏しい建物を背に、
疲れ切った犬を連れ、
とぼとぼと帰っていく。

絵の前面には、
ほとんど画面全体を切るように、
左から右へ対角線がつづき
近景の高い斜面を形作っている。

猟師はいま深い雪のなかの
空しい労働を終え、
ようやく村を俯瞰する
この丘まで辿りついた。

見る者は、
全体のなかで図抜けて大きく描かれた
かれらの、疲労で重い後姿と、
左から右へ一列に黙りこくって
歩を運ぶ存在感にひきつけられ、
まだこれから三人が
歩かねばならぬ距離を一緒に感じる


くろぐろと直立する裸の木々が、
この一団を囲み、
まるで世界から孤立したように
自分の力だけで歩む姿を強調する。

 

Bruegelv3

左手の丘の端に立つ宿屋の
冬仕度にいそがしい人びとさえ
かれらには目をくれないのだ。

宿の人びとは、かれらはかれらで
自分の営みで手一杯で、
なにかを焼く焚火の火は、
寒気のきびしさを伝えるように、
一直線に炎をあげているのである。

 

静寂さ、人々の営み、
風の強さまでを感じたあと
中野さんはこう書いている。

 これが人間の生だ、と
絵は語りかけているように見える。

 

もう一度全体を眺めてみよう。

Bruegelv5

 そこにいるのは、
例えばミケランジェロの
悩ましいまで異常に拡大された
人間性でも、
超自然的な理性の勝利でも、
英雄でも賢者でも、
レンブラントの優れて個性的な
市民でもなかった。

ただのどこにでもいる人であり、
狩人は後向きで
顔さえ見えないのである。

にもかかわらず、
このきびしく支配する
白と緑青と濃褐色の自然のなかで、
かれらの一人ひとりは
なんというずっしりした存在感を
もっている
ことだろう。

かれらはその後姿や
遠い小さな輪郭だけで
たしかにそこにかけがえなく
存在していると感じられるのである。

 わたしはそれまで
こんな絵を見たことがなかった

中野さん、ずいぶん気に入ったようだ。
フェルメールやラファエロの絵も並ぶ
この美術館にあって、
私自身には、そこまで特別な絵として
響いたわけではなかったが、
中野さんのおかげで
ずいぶん細部にまで
注意を払って見ることができた。

 

で、その際気づいたこと。

この部分

Bruegelv4

よく見ると、
近年、冬季オリンピックでよく話題となる
「カーリング」をやっているように
見えるのだが、あの競技
450年も前からあったのだろうか?

 

 

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