オーストリア旅行記 (60) ウィーン美術史博物館(2)
(全体の目次はこちら)
オーストリア旅行記 (60) ウィーン美術史博物館(2)
- ブリューゲル「雪中の狩人」 -
前回はこの本
中野孝次 著
ブリューゲルへの旅
文春文庫
(以下水色部、本からの引用)
を紹介したところで終わってしまったので、
続きを書きたい。
ウィーンで
「憂鬱をもてあましていた」中野さんは、
こんな言葉でこの街を描写していた。
思い出すために一部繰り返すと・・・
1918年以来
空しく過去の壮麗さのなかに
まどろんでいる
このあまりに伝説的な都市の外観は、
わたしには
若い日の栄華のままに正装し
厚化粧した老婆を白昼に見るような
印象を与えた。
それは途方もなく空しく、
無用な装飾にみちすぎていた。
死ぬ日のくるのを着飾って待っている
老人の都市だった。
「厚化粧した老婆」
「死ぬ日のくるのを着飾って待っている
老人の都市」とは。
そんな中野さんが、
ウィーン美術史博物館で、
ブリューゲルに出会う。
なぜフリューゲルが
あのように親しく語りかけてきたのか
わからない。
わたしは痛む足をかばうためもあり、
毎日のように
近くの美術史美術館に通い、
その一室にいると幸福だった。
どの絵も
いくら見ていてもあきなかった。
ふしぎにしんと静謐な世界へ
誘うものがそこにはあって、
静かな声で、
ここがお前の帰っていくべき場所だと
語りかけてくるようであった。
なかでも「雪中の狩人」の
深い色合いの世界がとくにわたしを
ひきつけた。
ブリューゲルの「雪中の狩人」
美術の教科書にも出ているコレだ。
製作年1565年。
450年も前の作品だ。
ちなみにブリューゲルは
1525年-1530年頃生
1569年没。
音楽の父とも言われるバッハが
1685年生まれだから、
バッハよりもさらに100年以上も前の人
ということになる。
日本では戦国時代、
種子島に鉄砲が伝わり(1543年)
桶狭間の戦い(1560年)が
あったころの人だ。
この絵に、中野さんは
どんなふうに魅了されたのか。
きびしい冬の自然のなかの
生の営みである。
重い鉛色の雲に覆われた地上は
一面に深い雪に埋れている。
池も河も重い空を映して、
かすかな緑青色をおびた
鉛色に氷結し、そこに
着ぶくれした子供たちが遊び、
人びとが背をまるめて道を急ぐ。
だがすべては遠く小さく、
かれらの叫びも歓声もきこえず、
世界はしんと寒気のなかに
静まりかえっている。
遠景にはまさに様々な人達が
描かれている。でも、確かに
遠いこともあり音は聞こえてこない。
三人の屈強な猟師が
乏しい建物を背に、
疲れ切った犬を連れ、
とぼとぼと帰っていく。
絵の前面には、
ほとんど画面全体を切るように、
左から右へ対角線がつづき
近景の高い斜面を形作っている。
猟師はいま深い雪のなかの
空しい労働を終え、
ようやく村を俯瞰する
この丘まで辿りついた。
見る者は、
全体のなかで図抜けて大きく描かれた
かれらの、疲労で重い後姿と、
左から右へ一列に黙りこくって
歩を運ぶ存在感にひきつけられ、
まだこれから三人が
歩かねばならぬ距離を一緒に感じる。
くろぐろと直立する裸の木々が、
この一団を囲み、
まるで世界から孤立したように
自分の力だけで歩む姿を強調する。
冬仕度にいそがしい人びとさえ
かれらには目をくれないのだ。
宿の人びとは、かれらはかれらで
自分の営みで手一杯で、
なにかを焼く焚火の火は、
寒気のきびしさを伝えるように、
一直線に炎をあげているのである。
静寂さ、人々の営み、
風の強さまでを感じたあと
中野さんはこう書いている。
絵は語りかけているように見える。
もう一度全体を眺めてみよう。
例えばミケランジェロの
悩ましいまで異常に拡大された
人間性でも、
超自然的な理性の勝利でも、
英雄でも賢者でも、
レンブラントの優れて個性的な
市民でもなかった。
ただのどこにでもいる人であり、
狩人は後向きで
顔さえ見えないのである。
にもかかわらず、
このきびしく支配する
白と緑青と濃褐色の自然のなかで、
かれらの一人ひとりは
なんというずっしりした存在感を
もっていることだろう。
かれらはその後姿や
遠い小さな輪郭だけで
たしかにそこにかけがえなく
存在していると感じられるのである。
わたしはそれまで
こんな絵を見たことがなかった。
中野さん、ずいぶん気に入ったようだ。
フェルメールやラファエロの絵も並ぶ
この美術館にあって、
私自身には、そこまで特別な絵として
響いたわけではなかったが、
中野さんのおかげで
ずいぶん細部にまで
注意を払って見ることができた。
で、その際気づいたこと。
この部分
よく見ると、
近年、冬季オリンピックでよく話題となる
「カーリング」をやっているように
見えるのだが、あの競技
450年も前からあったのだろうか?
(全体の目次はこちら)
« オーストリア旅行記 (59) ウィーン美術史博物館(1) | トップページ | オーストリア旅行記 (61) ウィーン美術史博物館(3) »
「文化・芸術」カテゴリの記事
- KAN+秦基博 『カサナルキセキ』(2023.12.03)
- 「音語りx舞語り」が見せてくれた世界(2023.10.29)
- 平野啓一郎さんの言葉(2023.02.12)
- 「作らす人」「育てる人」吉田璋也(2023.01.15)
- 「陶器が見たピカソの陶器」(2023.01.08)
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 「歓待」と「寛容」(2023.10.22)
- 野川遡行(2) 人工地盤の上の公園(2023.07.02)
- 野川遡行(1) 次大夫堀公園まで(2023.06.25)
- 多摩川 河口部10km散歩(2023.06.11)
- 旧穴守稲荷神社大鳥居(2023.06.04)
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 「電車」を伝えるために何を保存する?(2023.12.10)
- 全体をぼんやりと見る(2023.11.26)
- 読書を支える5つの健常性(2023.11.19)
- トラクターのブレーキとアワーメーター(2023.11.05)
- 「歓待」と「寛容」(2023.10.22)
« オーストリア旅行記 (59) ウィーン美術史博物館(1) | トップページ | オーストリア旅行記 (61) ウィーン美術史博物館(3) »
コメント