オーストリア旅行記 (58) 皇妃エリーザベト(愛称シシィ)
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オーストリア旅行記 (58) 皇妃エリーザベト(愛称シシィ)
- 吊り輪や鉄棒のある化粧室 -
前回は、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
について書いた。
今日は続けて、
その妻エリーザベト(愛称シシィ)
(生没:1837-1898)
について
そのエピソードを紹介したい。
ただ、前回にも書いた通り、王宮内の
「シシィ博物館」と
「皇帝の部屋」&「皇妃シシィの住居」
は残念ながら写真撮影禁止。
肝心な彼女の部屋の様子を
写真でお見せすることができない。
皇妃とは直接関係ないものの
ウィーン市内で撮った写真を
挿絵代わりに貼って話を進めていきたい。
【シシィの誕生:1837年】
エリーザベトは
ドイツ、バイエルンの
ヴィッテルスバッハ公爵家の
次女として生まれ、
幼い頃からシシィの愛称で呼ばれて
多くの兄弟姉妹とともに
自由奔放に育った。
【15歳のときの出会い:1853年】
15歳のとき、
姉ヘレーナの見合いに同行し、
バート・イシュルを訪問する。
皇帝フランツ・ヨーゼフの母、
オーストリア大公妃ゾフィーが、
若くして皇帝になった
息子の花嫁を探しており、
姉ヘレーナが
その候補にあがっていたのだ。
これは、オーストリアと同じく
厳格なカトリック教国で、
ドイツ連邦の忠実な同盟国である
「バイエルン王国」から皇后を迎え、
関係強化を図るという
政略目的にもかなっていた。
ところが、その時、
若きオーストリア皇帝は
ヘレーナに同行していた
エリーザベトのほうに一目惚れ。
姉のヘレーナではなく、
妹のエリーザベトを妃に選んでしまう。
選ばれてはみたものの
まだあどけなさの残るエリーザベトには、
ハブスブルク大帝国の首都、
ウィーン王宮での
堅苦しい宮廷儀式の数々は
精神的に大きな負担だった。
フランツ・ヨーゼフの
求婚の申し出に対して
エリーザベトはこう語ったという。
「どうしてあの方を
愛せないはずがありましょう」
とひと泣きした後、
「皇帝のことはとても好きです。
あの人が皇帝でさえなければ」
皇帝に愛されてうれしい反面、
宮廷生活への
不安のほうが大きかった。
【16歳で結婚:1854年】
1854年4月24日、16歳のとき、
ウィーンのアウグスティーナー教会で
結婚式が行われた。
直後から、皇妃として
義母ゾフィーに鍛えられる日々が続く。
【なじまないウィーンでの宮廷生活】
皇妃として、結婚後の4年間に
王位継承者である息子ルドルフを含む
3人の子どもを産んだエリーザベトだったが、
自由奔放に育った彼女は
窮屈なウィーンの宮廷生活に
なかなかなじむことができず、
次第に精神を患って
転地療養生活を送るようになる。
長い旅に出かけることもしばしばだった。
夫フランツ・ヨーゼフは、
旅路の妻に宛てて、
頻繁に手紙を書いていたという。
【美への執着】
エリーザベトと言えば「美」。
夫フランツ・ヨーゼフが
一目惚れしたその美貌は
最初からよく知られていたが、
エリーザベト自身、「美」、
特に健康なほっそりとした体、
透明な肌、美しい髪には、
思い入れが深く、
手入れを怠ることは決してなかった。
成人してからは
身長172cm、ウエスト50cm、
体重50kg(踵まで届いた髪の重さ5kgを含む)
が常に維持されていたという。
エリーザベトは、
このプロポーションを保つために、
生涯にわたって毎日、
運動とダイエットに励んだ。
それでも50代ともなると、
過度の運動と
極端なダイエットが逆効果となり、
くるぶしの腫れや
栄養失調に悩まされるようになる。
いつしか、
外出の際はパラソルと扇を
片時も手放すことなく、
顔を隠して歩くようになっていった。
彼女の美貌は自信であり、
宮廷での権力でもあったが、
皇妃といえども
寄る年波には勝てなかった。
【息子ルドルフ、情死:1889年】
王位継承者である皇帝の唯一の息子
ルドルフ皇太子が、ウィーン南郊外の
マイヤーリンクで愛人と情死。
ハプスブルク家の跡継ぎだった
ひとり息子のルドルフが自殺して以来、
エリーザベトは
喪服を脱ぐことはなかった。
【スイスで暗殺される:1898年】
スイス、レマン湖で
遊覧船に乗ろうとしていたところを
無政府主義者に襲われ、
やすりで心臓を一突きされて死亡。
このときも黒い服を着ていた。
「シシィ博物館」も
「皇妃シシィの住居」も
こういった人生を知って見ると、
印象的な部屋や遺品がいくつもある。
特にシシィに関しては、
やはり「美への執着」を感じさせるものが
印象的だ。
旅の多かった彼女が携帯していた
美容関係グッズも実に大量でかつ多彩。
吊り輪や肋木、鉄棒がある化粧室は、
まさにトレーニングルーム。
博物館で買った日本語版のガイドブック
にはその化粧室の写真もある。
王宮内の化粧室と
トレーニング機器の組合せは
ちょっと珍しいので
上記ガイドブックから2枚だけ
写真を引用し貼っておきたい。
中央部、釣り輪が見えるだろうか。
劇的な人生と終始貫かれている美への執着、
映画化にはピッタリの題材だ。
オーストリアの人気女優
ロミー・シュナイダーが主演した
映画『シシィ』の一部が
「シシィ博物館」の入口付近のモニタに
映し出されていた。
オーストリアでは
きっとよく知られた映画なのだろう。
懐かしそうに見ている顔が
いくつもあった。
日本では1959年、
当時の「皇太子御成婚記念映画として
封切られた」とWikipediaにはある。
「プリンセス・シシー」として
DVDも出ているようなので
ぜひ一度観てみたいと思っている。
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