オーストリア旅行記 (57) フランツ・ヨーゼフ1世
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オーストリア旅行記 (57) フランツ・ヨーゼフ1世
- 愛するものを次々と失いながらも -
もともとは、旧王宮内の観光スポット
「シシィ博物館」
「皇帝の部屋」&「皇妃シシィの住居」
を歩く際、
長い王朝の歴史の最後に登場する
皇妃シシィや、
その夫フランツ・ヨーゼフ1世
の部屋に入る前に、
ハプスブルク帝国全体の歴史を
振り返ってみよう、と
ここで、つまり6月から始めた
寄り道だったが、飛び飛びながら
* ルドルフ1世
(生没:1218年-1291年)
* マクシミリアン1世
(生没:1459年-1519年)
* カール5世
(生没:1500年-1558年)
* フェリペ2世(スペイン王)
(生没:1527年-1598年)
* マリア・テレジア
(生没:1717年-1780年)
を見てきたので、このあたりで
ようやく元のところに合流、
事実上
最後の皇帝夫妻となった
ふたりを見ていきたいと思う。
ただ、残念ながら、ここも見学エリアの
写真撮影は許可されていなかった。
なので、ウィーンの街角で撮った写真を
挿絵代わりに挿入しながら
話を進めていきたい。
見学している旧王宮は、
歴代の皇帝が住んでいたもので、
当然のことながら、
フランツ・ヨーゼフ1世&皇妃シシィ
この「ふたりのためだけ」
に造られたものではない。
しかし展示では、
「皇妃シシィ」の名が
前面に押し出された展示になっているので、
どんな夫と妻だったのかは
断片的であれ知っておきたい。
まずは夫
「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」
(生没:1830年-1916年)
から。
「事実上最後の皇帝
フランツ・ヨーゼフ1世」
その一生を簡単に追ってみたい。
【18歳で即位】1848年
ウィーンで起こった革命の直後に
オーストリア皇帝に即位。
18歳で即位した皇帝は、
以後68年の長きにわたって、
ひたすらオーストリアのために
生涯を捧げた。
【エリーザベトに一目惚れ】1853年
見合いのためバート・イシュルを訪問。
ところが、皇帝は
見合い相手ヘレーナに同行していた
15歳の妹エリーザベトのほうに
一目惚れしてしまう。
【結婚】1854年
アウグスティーナ教会で
エリーザベトと結婚。
1736年、マリア・テレジアと
フランツ・シュテファンが結婚式を挙げた
意外に地味なこの教会だ。
【ウィーン市拡張計画】1857年
ウィーンの外壁を取り壊す
ウィーン市拡張計画を発表。
ここに書いた通り、城壁を取り壊し
リンク通りを作って町を広げる
壮大な町づくりがスタートする。
【弟(メキシコ皇帝)、処刑される】1867年
弟のメキシコ皇帝
マクシミリアン1世が反乱軍に
捕らえられて処刑された。
【息子ルドルフ、情死】1889年
王位継承者である皇帝の唯一の息子
ルドルフ皇太子が、ウィーン南郊外の
マイヤーリンクで愛人と情死。
【妻エリーザベト、暗殺される】1898年
最愛の妻エリーザベトが
ジュネーヴで無政府主義者に暗殺される。
【甥(王位継承者)、暗殺される】1914年
王位継承者に指名した
甥のフェルディナント大公
サライェヴォで暗殺される。
【死去】1916年
第一次世界大戦の最中に死去。享年86。
【君主国崩壊】1918年
ヨーゼフ1世の死の2年後、
650年続いた「ハプスブルク君主国」
は崩壊する。
「皇帝の部屋」を巡ると
「護衛官の部屋」、
「謁見の控室」、「謁見の間」、
「会議室」、「執務室」、
「寝室」、「サロン」などを
見ることができる。
オーディオガイドによると
彼は毎日早起きをして
多くの書類に目を通し、
週2回、午前中に人々と謁見したらしい。
その数およそ100人。
ひとり2~3分というのが原則だったとか。
皇帝は立ったまま謁見に臨んだので、
その際使われていた「高い」書見台も
見ることができる。
最初に書いた通り、
写真は撮れなかったので
文字での説明ばかりになってしまったが、
愛するものを次々と失いながらも
皇帝を全うせざるを得なかった
フランツ・ヨーゼフ1世の姿が見えてくる。
常に軍服を身につけて
執務にあたっていたせいか、
肖像画は軍服姿のものが多い。
棒年表を書いてみると
「愛するものを次々と失いながら」が
より鮮明になる。
* 棒左端の数字は生年
* 棒の色
0 -20歳 緑
20-40歳 青
40-60歳 黄
60歳以上 紫
* 棒右端の数字は享年
(死んだときの満年齢)
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