オーストリア旅行記 (51) フェリペ2世<スペイン王>(2)
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オーストリア旅行記 (51) フェリペ2世<スペイン王>(2)
- 的中!ノストラダムスの大予言 -
世継ぎを生むことが叶わなかった
2人目の妻メアリの待つイングランドに
1年3ヶ月ぶりに帰ってきたフェリペ2世。
このころから
彼のヒール(悪役)的特徴が
鮮明になってゆく。
これが前回の最後。
この続きから始めたい。
これまで同様、参考図書は
この2冊。
[1] 岩崎周一 (著)
ハプスブルク帝国
講談社現代新書
[2] 中野京子 (著)
名画で読み解く
ハプスブルク家12の物語
光文社新書
今日も美術史博物館で撮った写真を
挿絵代わりに挿入しながら、
話を進めていきたい。
フェリペ2世が1年3ヶ月ぶりに
イングランドに戻った理由は?
何も妻に会いたいからではなく、
彼女の自分への愛情を利用して、
対フランス戦での
資金援助をあおぐためにすぎない。
その後、前回書いた腫瘍が原因で
メアリは息を引き取ることになるのだが、
フェリペ2世は
メアリの葬儀にさえ出席しなかった。
しかも、内々に打診していた
イギリス女王との結婚が
失敗に終わると、
今度は変わり身早く
仇敵フランスに近づいていったのだ。
そして3度目の結婚を迎える。
【3度目の結婚】
彼の娘エリザベートとの婚姻も決める
という、みごとな離れ業で、
イングランドの鼻をあかす。
だが、ここでもまた流血沙汰が
ついてまわった。
彼は、当時のしきたりに従い、
スペイン側としては
フェリペの代理人をたて、
フランスでエリザベートとの挙式
を行なった。
【的中!ノストラダムスの大予言】
フェリペの舅となるアンリ二世が、
自ら馬上槍試合に参加した。
あまりに有名な
ノストラダムスの予言
的中例としてあげられるのが、
この寿ぎの場で起こった
恐ろしい事故である。
ノストラダムスの詩文に曰く、
「若き獅子は老人に打ち勝たん
戦の庭にて一騎打ちのすえ
黄金の檻の眼を抉(えぐ)りぬかん
傷はふたつ、
さらに酷き死を死なん」。
馬上試合の「庭」で
「一騎打ち」の最中、
「若い」対戦相手の槍が折れ、
「老」アンリの「金」の
「兜」(=檻)を貫いて
「眼」に突き刺さったのだ。
王は九日聞苦しみぬいたあげく、
「酷き死」を迎えた。
これがフェリペ三度日の結婚の、
縁起でもないスタートであった。
200万部以上が売れた大ベストセラー、
五島勉さんの著書
『ノストラダムスの大予言』が
日本で出版されたのは1973年なので、
日本での最初のブームを知っているのは、
50代も後半以上の方ということに
なるだろうか。
ただ、その中では、
「人類滅亡」にまで触れられており
「1999年 7の月に恐怖の大王が来るだろう」
との記述になっていたので、
実際の1999年の記憶がある
30代以上の方であれば
聞いたことがあるのではないだろうか、
「ノストラダムスの大予言」。
閑話休題。
縁起でもないスタートとなった
32歳の花婿と14歳の花嫁のカップルは
はたして幸せになれたのだろうか?
実はエリザベートは
生まれてまもなく、
フェリペの息子
カルロス(彼女と同年齢)と
婚約していた。
国家間の政略上
よくあることとはいえ、
フェリペは息子の婚約者を
奪ったことになる。
しかも
カルロスとエリザベートは
この9年後、23歳で、
相次ぎ間をおかず死去してしまう。
【オペラ「ドン・カルロ」】
『ドン・カルロ』も、
この黒い伝説をもとにしている。
相思相愛だった
エリザベートとカルロスが、
「老王」フェリペに
仲を引き裂かれた悲恋を縦糸に、
横糸には、
当時独立運動が盛んだった
ネーデルランドを支持したカルロスが、
けっきょくはフェリペに邪魔されて
死に至るというストーリーだ。
実際のカルロスも、
父に反逆して
ネーデルランドヘ行こうとし、
逮捕監禁され、自殺未遂のあげく、
半年後、牢内で病死している。
そしてそのたった2ヶ月後、
エリザベートが男児を早産。
まるでカルロスの呪いのように、
そのまま母子ともに死去してしまう。
結局、娘ふたりを残しただけだった。
話は続く。
フェリペは
彼らを亡くした同年のうちに、
四人目の妻を迎える。
【4度目の結婚】
健康で多産でなければならない。
多産というなら、
十人も子を産んだ自分の妹だ、
というわけで、
現代人には受け入れがたい
叔父姪結婚、
正確には、従兄と実妹との間にできた
娘アナを妻にした。
大変な血の濃さ。
おそらくそのせいと思われるが、
アナは多産ではあったが、
生まれた子は次々夭逝し、
けっきょく
息子ひとり(フェリペ三世となる)を
残して12年後に、
やはり産褥で亡くなった。
フェリペ53歳。またも独り身。
ようやく息子を得て
もう結婚は考えていなかったのだろうか。
それとも噂どおり、
スコットランド女王
メアリ・スチュアートを
次の視野に入れていたのだろうか?
コンタクトを取ったせいで、
彼女は謀反人として
エリザベスから首を
刎(は)ねられてしまう。
「スペインが動けば世界は震える」
と言われていたが、
間違いなく
「フェリペが動けば血が流れた」
のだった。
1500年代後半、
日本では戦国時代のころのことだ。
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