オーストリア旅行記 (50) フェリペ2世<スペイン王>(1)
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オーストリア旅行記 (50) フェリペ2世<スペイン王>(1)
- カクテル名「ブラッディ・メアリー」の由来 -
ハプスブルク帝国の歴史を
(1) ルドルフ1世
(生没:1218年-1291年)
(2) マクシミリアン1世
(生没:1459年-1519年)
(3) カール5世
(生没:1500年-1558年)
で振り返ってきたが、
今日取り上げたいのは、
フェリペ2世(スペイン王)
(生没:1527年-1598年)
スペイン帝国の絶頂期、
ヨーロッパ、中南米、
アジアもフィリピンにまで及ぶ
大帝国を支配。
さらにポルトガル国王も兼ね、
ポルトガルが有していた植民地も継承。
「太陽の沈まない帝国」と言われた
スペイン黄金期に君臨した
偉大なる王だ。
これまで同様この2冊を参考図書に
見ていきたい。
[1] 岩崎周一 (著)
ハプスブルク帝国
講談社現代新書
[2] 中野京子 (著)
名画で読み解く
ハプスブルク家12の物語
光文社新書
挿絵代わりに挿入する写真は、
美術史博物館で撮ったもの。
【流血のイメージ、フェリペ2世】
スペイン黄金時代である。
だがその黄金は、
インカ帝国などでの略奪や
ネーデルランドの
弾圧によって得た富であり、
血の匂いが
たっぷり沁(し)みこんでいた。
おまけに絶えざる陰謀、
反乱、宗教戦争、
異端審問、ペストと、
この絶対君主の生涯は
(中略)
結婚にさえ、どこかしら
流血のイメージが
纏(まと)わりついている。
四度の結婚で、それぞれ
ポルトガル、イングランド、
フランス、オーストリアから
妻を迎え、全員に先立たれた、
というだけではない。
加えて
プロテスタント虐殺、事故死、
息子殺し、などなど
まさに激動の人生を送っている。
最初の結婚から順に見ていこう。
【最初の結婚】
相手は同じ年齢のポルトガル王女で、
父方からも母方からも従妹にあたる。
ハプスブルクの
少し垂れ下がった下唇を持つ
ほがらかな彼女は、
口数の少ない社交下手の
フェリペ皇太子に
若々しい喜びを与えたようだ。
ただし幸せは二年に満たず、
難産の数日後には
あっけなく世を去ってしまった。
18歳でやもめとなった
フェリペの手には、
ひ弱な息子が残された。
祖父の名にちなみ、
カルロスと名づけられたこの子が、
後世、ヴェルディの傑作オペラ
『ドン・カルロ』のモデルとなる。
たった二年で終わった一度目の結婚。
ひとり残されたひ弱な息子。
二度目の結婚は父の命令だった。
【2度目の結婚】
相手は11歳も年上の
イングランド女王メアリー1世で、
これは父カール5世の命令だから
皇太子に否も応もない。
カトリック対プロテスタントの抗争が
再燃し始めたイングランドを、
しっかりカトリック化する
使命を担ったのだ。
契約でイングランドに渡った
フェリペだったが、メアリーは
フェリペの意を汲み、
プロテスタントの反乱者
数百人をすでに血祭りにあげていた。
後世、カクテルの名前になる
「ブラッディ・メアリー
(血まみれメアリー)」
はこのエピソードに由来する。
よくこんな恐ろしい名前を
カクテルの名前につけたものだ。
単なる見た目だけによる命名ではなく
史実に繋がる背景があったかと思うと
トマトジュースベースとは言え、
もう冷静には味わえない気がする。
両親の離婚、幽閉、栄養失調、など、
多くの苦労を経験していたメアリーは、
病弱で痩せこけていたが、
世継ぎを産みたいとの執念だけは
強かった。
なので、訪れた「懐妊か?」の兆候には
大喜びしたようだが、
実際には残念なことに想像妊娠だった。
しかも、腹部の膨張は腫瘍で
これがのちの命取りにまで
なってしまう。
一見変わらぬ態度を示したが、
四十近いメアリーに
子を成すのはもう不可能と
見切りをつけたらしい。
父の退位宣言を口実に、
滞在一年半足らずで
イングランドを去る。
メアリーは心のこもった手紙を
送り続け、帰国を待ち続けたが、
スペイン王フェリペ2世として
改めて彼がその姿を現したのは、
1年3カ月も後のことだった。
世継ぎを生むことが叶わなかった
2人目の妻メアリーの待つイングランドに
1年3ヶ月ぶりに帰ってきたフェリペ2世。
このころから
彼のヒール(悪役)的特徴が
鮮明になってゆく。
少し長くなってきたので、
激動という言葉がふさわしい
彼の人生の後半の話は、
次回にしたい。
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