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2018年5月

2018年5月27日 (日)

オーストリア旅行記 (40) 喧騒のなかの音楽

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オーストリア旅行記 (40) 喧騒のなかの音楽

- ウィーンで聞く日本のあの曲 -

 

音楽の都ウィーン、
街を歩くと、あちらこちらで
小さな生演奏に遭遇する。

今日は、ウィーンで触れた
喧騒の中の音楽の話を少し。

 

【路上での音楽】

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バイオリンとチェロの二人組み。

ちょっと音も添えて
雰囲気をお伝えしたい。

 

バイオリンのソロという方も。

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生演奏は、もちろん
「路上」だけではない。

【カフェ DIGLAS】

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夕食をとるために立ち寄ったこのお店では、
ピアノの生演奏が。
しかも運良く
かなりそばの席で楽しむことができた。

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なんとも力の抜けた
リラックスした「ゆるい」演奏だが、
それはそれでいいものだ。

賑やかな店内に
溶け込んでいる音楽を、
30秒ほど貼っておきたい。

 

次々と曲は続いたが、そのうちの一曲は
なんとあの歌だった。

「スキヤキ」などと言われて
海外でも知られている話はよく聞くが
まさかウィーンのカフェで
「上を向いて歩こう」の
生演奏を聞くことになろうとは。

ここで食べたのは、
ウィーンの名物料理のひとつ
「ターフェルシュピッツ」

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長時間煮込んで柔らかくなった
牛肉の大きなスライスが
スープと一緒に鍋ごと運ばれてくる。

付け合わせの
ハーブの効いたタルタルソース、
リンゴに西洋わさびの入ったソース、
ポテト、
ほうれん草のソース
などをつけて食べる。

特にリンゴのソースが印象的。
鍋の中のスープまで含めて
どれもうまい。

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もうひとつは
「ツヴィーベルロストブラーデン」

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牛肉のローストに、
香ばしく炒めたたっぷりの玉ねぎソースが
かかっている。こちらも◎!

もちろん、ビールも一緒に、だ。

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そう言えば、このカフェのお手洗いには
見たことのない仕掛けがあった。

男性用の中とはいえ、場所が場所なので
シャッター音にはかなり気を遣ったが、
コラエきれずに写真を撮ってしまった。
ご覧あれ。

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ドアノブを見ていただければわかる通り
これで扉が閉まっている状態。
そう、扉がなんと透明ガラス!!

思わず目を疑ってしまうが、
実はこの扉、鍵をかけた途端
一瞬で真っ白に曇って
中が見えなくなる。

帰ってから調べてみると
「瞬間調光ガラス」とか
「液晶調光ガラス」とか
呼ばれているもののようだ。

「こんなガラスがあるけれど
 どこに使ったらいいと思う?」
そんな会話がどこかでなされた
結果なのだろう。
なかなかインパクトのある使い方だ。

ただ、いざ用をたそうとすると
なんとなく落ち着かない気がする。
「透明」と「すりガラス」を
まさに一瞬で行き来するわけだから。

 

シュテファン大聖堂のそばのこのカフェ。

回りに多くある小さな脇道も
ほんとうに魅力的で
覗き込んでいるとキリがない。

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2018年5月20日 (日)

オーストリア旅行記 (39) ザッハ・トルテ

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オーストリア旅行記 (39) ザッハ・トルテ

- ○と△ -

 

前回、カフェの話を少し書いたが、
ウィーンのカフェと言えば
この話題にも触れておきたい。

ウィーンを代表する
チョコレートケーキのひとつ
ザッハ・トルテ

国立歌劇場のすぐ裏手にある
「ホテル・ザッハー」の一階に
カフェがあり、そこで供されている。

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このお店、とにかく観光客に大人気で
いつ覗いても行列ができていた。

本場で食べる、というか
本家のザッハ・トルテの味や如何に、
と興味はあるものの
貴重なウィーンでの滞在時間を
ケーキの行列のためだけに
潰してしまう気にはなれず、
何度か前を通るものの、
なかなか立ち寄れないでいた。

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というわけで、
「ここなら」と選んだ訪問時間は
夕食後!

夕食後にケーキを食べに行く輩は
ゼロとは言わないが多くはないだろう。

訪問したのは夜9時。
「寝る前に...」の声が
どこからか聞こえてきたが、
「ひと晩のこと」と
夫婦共々しばし無視することにした。

さすがに行列はできていなかったが、
それでも次から次に客は来ており
その時間でも店内は満員状態だった。

 

【カフェ ザッハー】

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ここは、とにかく
店の雰囲気からしておしゃれ。

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ふたりで寄ったので、
二種類のケーキを選び、
半分ずつ味見してみることにした。

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もちろん、ひとつは
本家「ザッハ・トルテ」だ。

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ホイップした生クリームが添えてある。
「ザッハー」の刻印のある「丸い」形の
チョコレートプレートが乗っている。

外側は見ての通りのチョコレートだが
スポンジ部分に
アンズのジャムが塗ってあるので、
食べると軽くアンズの香りが広がる。

店の雰囲気とケーキの味と、
両方をゆっくり楽しんだあと、
午後10時過ぎに店を出ようとすると、
なんと並んでいる方が数名いた。

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もう一箇所、ウィーン旧市街に
ザッハ・トルテが
食べられるところがある。

【カフェ デーメル】
歌劇場のすぐ裏手の「ザッハー」と
対比して言うならば、
王宮のすぐそばの「デーメル」。

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左奥ドームは王宮、
右側、白いテラス席がデーメル。

皇妃エリーザベトは
毎日のように使いを出して
デーメルのケーキを届けさせた、
と言われているが、まさに
「宮中御用達菓子商」。

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こちらのザッハ・トルテはこんな感じ。

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上に乗ったチョコレートプレートは
三角形だ。

 

一緒に食べたケーキも
おしゃれで美味。

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今はどちらも
正真正銘の「ザッハ・トルテ」が
食べられる二軒だが、
名前を見れば明らかなように
そもそもは「ザッハー」のもの。

この二軒、「ザッハ・トルテ」を巡って
争っていた時期がある


どんな顛末だったのか、
少し覗いてみよう。

 

1930年代、
「ザッハー」の経営難を助けた
「デーメル」は
「ザッハー」から
ザッハ・トルテの販売権を得、
販売を始める。

順調に売上を伸ばすデーメルだったが、
その後、ザッハーから
「オリジナル・ザッハ・トルテ」と
標示するのは権利の侵害だ、として
その差し止めを求める裁判を
起こされてしまう。

多くの証言者が立った長い裁判の結果、
デーメルのものは
「デーメル・ザッハ・トルテ」
ザッハーのものは
「オリジナル・ザッハ・トルテ」
として売られることになった。

ケーキの上に乗っている
チョコレートのネームプレート。
ザッハーは〇(丸く)、
デーメルは△(三角)。
どちらがどちらかはひと目でわかる。


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ちなみに、お店の入り口近くの
ガラスケースを見てケーキを注文できる
デーメルのようなお店は、
コンディトライ(菓子店)と呼ばれ、
専門店としてカフェとは区別して
呼ばれることもあるようだ。

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肝心な味のほうは、
ザッハーもデーメルも
申し分なく美味しかったが、
「最高にうまいケーキだったか?」
と問われれば、
「もっとうまいザッハ・トルテは
 (そう呼ぶのがマズければ
  ザッハ・トルテのような
  チョコレートケーキは)
 日本にあるぜ」
と思ったのが正直な感想。

繊細さ、滑らかさ、甘さの深み、
日本のおいしいケーキが誇るべき
圧倒的な優位点は食べ比べても揺るがない。
それは単に「私が日本人だから」
そう思うだけなのだろうか?

いつの日か、
日本のおいしいケーキと食べ比べた
ウィーンの方の率直な感想を
ぜひ伺ってみたいものだ。

 

 

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2018年5月13日 (日)

オーストリア旅行記 (38) カフェ文化

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オーストリア旅行記 (38) カフェ文化

- ひとりでいたい、でも仲間が必要だ -

 

ウィーンの文化と言えば、
やはりこれに触れないわけには
いかないだろう。

カフェ文化。

【カフェ フラウエンフーバー】

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Café Frauenhuber
ウィーン最古のカフェ

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夕日を背に外のテラスで食事をしたが、
食事のあと、
店内の写真を撮らせてもらった。

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女帝マリア・テレジアの料理人
フランツ・ヤーン(Franz Jahn)が
1788年に開業。

1788年にはモーツァルト
「ヘンデルのパストラーレ」を

1797年にはベートーヴェン
「4本の金管楽器とピアノのための5重奏」

をここで演奏。

特に、モーツァルトが公衆の面前で
ピアノ演奏を行ったのは、
ここが最後になったらしい。

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モーツァルトとベートーヴェンが
演奏したことのあるカフェ
というだけで、
もう寄らずにはいられない。

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落ち着いた店内の雰囲気に
まさにピッタリといった感じの正装で、
丁寧な接客をする
ケルナー(ウェイター)さんが
ほんとうに印象的。

かなりなご高齢と思われるが、
所作と言うか身のこなしが美しく、
まさにプロフェッショナル。

ワイワイと
各国からの観光客が多くても、
店の独特な空気感が
キッチリ守られていることが、
なんとも気持ちがいい。

 

【カフェ ブロイナーホーフ】

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カフェ「Café Bräunerhof」

ここにも、多くの芸術家が
集(つど)っていたと言う。

ところで、
「ウィーンといえばカフェ」
と言われるほどにウィーン文化を
代表しているもののひとつがカフェ。

「文化」と呼ばれるまでの
その独特な存在意義を
下記の本を参照しながら
覗いてみたい。

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

 

まずは起源から。

 ウィーンといえば、
即座にコーヒーやカフェを
思い浮かべる人も少なくないだろう。

確かに、ウィーンは、
東方に起源をもつ
この「黒いスープ」を、
ヨーロッパで最も早く
普及させた都市
であった。

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ウィーン風コーヒーや
カフェの起源については、
数多くの伝説が
まことしやかに語り伝えられている。

たとえば-

1683年、
トルコ軍によるウィーン包囲の際、
トルコ語の才能を買われて伝令となり、
敵陣に潜入して
皇帝軍を勝利に導いた
コルチスキーが、戦後、
トルコの野営地に放置された
コーヒー豆を得て、
ウィーン初のカフェ・ハウスを
開店したというエピソードは、
あまりにも有名である。

しかし実際には、
このコルチスキーより以前に、
都市在住の東方商人らを相手に
コーヒーを出す店が、
すでに存在していたようだ。

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すでに18世紀には、
カフェはウィーンの名物、
見どころのひとつに
数えられていた。

1720年に開業し、
国内はもちろん、全ヨーロッパの
主要な新聞・雑誌を常備していた

「クラーマー・カフェハウス」は、
やがて首都の知識人の結集地となった。

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こんな感じで、どこのカフェでも
新聞や雑誌が読み放題になっている。
特に新聞のフォルダが印象的。

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ただ、

 薄暗く狭い店の中、
大テーブルに相席で押し込まれた
大勢の客が、
騒がしくひしめき合う。

多くの風刺画や銅版画が
今日に伝えるように、
これが、18世紀前半までの
カフェの日常風景であった。

それが大きく変化を始めるきっかけが
18世紀、後半に起こる。

 こうした状況が
変化を見せはじめたのは、
1780年代のことである。

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皇帝ヨーゼフ2世による
飲食店営業規制穏和の結果、
カフェの数がさらに増大すると、
多くの店主たちは、
生き残りを賭けて大改装に着手
した。

内装は上流階級のサロンに擬せられ、
採光が不具合な立地でも、
クリスタル製の
豪華なシャンデリアが
明るく照らすようになった。

目抜き通りに面した店では、
軒先に植木鉢を並べた
「シャニ・ガルテン」、
今でいう
オープン・エアが創案された

オープン・エアのテラス席は
このころの発明だったわけだ。

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公共の場において追求される
個人の孤独


これこそ、その後、
19世紀から現在まで
人々を魅了し続けた、
ウィーンのカフェの
最大の特色にほかならない。

たとえば、20世紀前半に
活躍した文筆家で、
「カフェ・ツェントラール」をはじめ、
名だたる文学カフェの
常連としても知られる
アルフレート・ポルガーは、
カフェの魅力についてこう語った。

「一人でいたい、
 けれど、
 同時に仲間が必要だ。
 こういう人々が、
 カフェに通うのである」

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ちなみに、上の引用に出てきた文学カフェ
【カフェ ツェントラール】
は、こんな感じ。

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興味深いのは、歴史ある
「ツェントラール」のすぐそばに
これを発見したこと。

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ウィーンの人には
どんな風に見えているのだろう?

2001年末、ケルントナー通りに
第一号店をオープンさせたとき、
多くのウィーンっ子から、

コーヒーを
 紙コップで飲むなんて、
 あり得ない
」と、

猛反発を受けた
スターバックス・コーヒーが、
その後、若い世代を中心に
広く受け入れられ、現在、
市内に9店舗を展開している事実もまた、
ウィーンにおけるカフェ文化の変遷の、
その一面を象徴しているのかもしれない。

 

 

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2018年5月 6日 (日)

オーストリア旅行記 (37) オーストリア国立図書館

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オーストリア旅行記 (37) オーストリア国立図書館

- 圧倒的な迫力と美しさ -

 

ハプスブルク家・旧王宮の中の
見どころのひとつが
オーストリア国立図書館だ。

 

【ヨーゼフ広場】

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ちょっとわかりにくいのだが、
国立図書館の入り口は
ヨーゼフ2世の騎馬像のある
この広場に面している。

地味な階段を上ると
いきなりこの光景が眼に飛び込んでくる。

【オーストリア国立図書館】

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世界で最も美しい図書館と
称されることもあるらしいが、
一歩足を踏み入れただけで、
その迫力と美しさには圧倒される。

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「Prunksaal:プルンクザール」
(豪華なホール)と呼ばれる空間は、
とても図書館とは思えない雰囲気。

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古い本がビッシリと並ぶさまは
タイプスリップした映画の世界。

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ここは
マリア・テレジアの父、
カール6世が作らせたもの。
中央の像がカール6世。

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オーストリアバロックの巨匠
シェーンブルン宮殿も手がけた
フィッシャー・フォン・エルラッハの設計
その息子のヨーゼフ・エマヌエル・
フィッシャー・フォン・エルラッハが
1723~1737年にかけて建築。

「息をのむ」という表現しか浮かばない。

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中央の丸天井のフレスコ画は、
宮廷画家ダニエル・グランによるもの。
この部分は高さが約29mもある。
8つの楕円窓からの光で
みごとに絵が浮かび上がっている。

Libdome

 

広間の大きさは、全体で
幅約14m・奥行き約80m・高さ約20m。

宗教改革者マルティン・ルターの
著作コレクション
でも知られている。

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とにかくこの迫力と美しさは、
一見の価値がある。
ウィーン観光時の訪問先として
強くお薦めしたい。

 

旧王宮、国立図書館を出ると
「スイス宮」を通って
フランツ2世像のある広場に出るが
スイス宮と広場を結ぶ門は、
スイス門と呼ばれている。

【スイス門】

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フェルディナント1世が
ウィーンを統治した
1552年に建設された。

マリア・テレジアの時代、
スイス傭兵が警備していたことから
スイス門と名付けられたとのこと。

バチカンに残るスイス衛兵のような
派手な制服というか服装で
警備していたのであろうか?
ってそんなことはないか。

 

 

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