オーストリア旅行記 (35) カール教会と分離派
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オーストリア旅行記 (35) カール教会と分離派
- 「土地の雰囲気」がもつ許容力 -
今日は、リンク通り周辺の
2つの建物をきっかけに
「ウィーン分離派」と
その運動について少し紹介したい。
【カール教会 Karlskirche】
建築家エルラッハの
バロック的理念が具現化された
彼の代表作「カール教会」。
大きなドームをいただく
楕円形の空間と
精緻な装飾が刻まれた二本の円柱が特徴。
岩崎周一 著
ハプスブルク帝国
講談社現代新書
(以下薄緑部、本からの引用)
にはこんな記述がある。
第二次ウィーン包囲以降に
ハプスブルク諸邦にあまねく行き渡り、
カール6世の時代に全盛期を迎えた。
とくに大きな成果が上がったのは
建築の分野で、
ヨハン・ベルンハルト・
フィッシャー・フォン・エルラッハ、
ルーカス・ヒルデブラント、
ヤーコプ・プランタウアーといった
優れた建築家たちが腕を振るい、
宮廷図書館、ベルヴェデーレ宮殿、
メルク修道院など、
「皇帝様式」の傑作を
あまた世に送り出した。
なかでも、
カールの発案に応えた
諸身分の献金により建立された
カール教会(1737年落成)は、
王権・カトリック教会・諸身分の
「三位一体」により成立していた
近世のハプスブルク君主国を
象徴とする意味でも、
意義深い建造物である。
【カールスプラッツ駅】
オットー・ワーグナー設計による駅舎。
路線のカラーである薄緑色を基調とし、
金装飾に特徴のある2つの駅舎が
向かい合って建っている。
黄金のヒマワリや緑の骨組みが印象的だ。
完成は1899年。
このオットー・ワーグナーこそ
「ウィーン分離派」と呼ばれる
芸術革新運動の中心人物のひとりだった。
「ウィーン分離派」とはいったい何?
参考図書
広瀬佳一、今井顕 編著
ウィーン・オーストリアを
知るための57章【第2版】
明石書店
の「分離派」についての章は、
山之内克子さんが
書いている。
(以下水色部、本からの引用)
まずは分離派の簡単な説明から。
【ウィーン分離派】
画家グスタフ・クリムトを中心とする
19人の芸術家たちは、
保守的・正統的画壇に反発し、
新しい芸術グループを結成した。
腐敗政治に抗議する若者たちが
都市を離れて山に籠もったという、
古代ローマの「民衆離反」
の故事に因んで
「分離派(ゼツェッシオン)」
と称した新グループは、
過去の様式を模倣することが
芸術の目的であった時代が過ぎ去った今、
芸術は自分自身のスタイルを
もたなければならないと
宣言したのである。
「時代にはその芸術を、
芸術にはその自由を」
の標語が掲げられていたという。
【画家クリムトと建築家ワーグナー】
「裸の真理」で描いたものは、
時代の真実を反映するという、
社会における芸術の
本質的な課題にほかならない。
そして、これこそ、
分離派の芸術家たちが
生涯保ち続けた制作目標であった。
画家クリムトが、
理想化された人体ではなく、
時には醜悪な姿を晒す裸体を通じて、
近代人の潜在意識を
呼び覚まそうとしたように、
建築の分野では、
オットー・ワーグナーが、
実用性と結びついた
美の形を追求した。
建物における「真実」とは
「使いやすさ」であり、
芸術の使命は、
人間の実利的な要求を
満たすことである。
過去の歴史様式から「分離」して
新しい創造に向かおうとする
芸術革新運動。
当時、どんな勢いがあったことだろう。
【でも、実りの秋は・・・】
芸術の「春」は、決して実りの秋を
迎えることはなかった。
クリムトをはじめとする
多くの芸術家が、
表現主義や抽象絵画への一歩を
決して踏み出そうとは
しなかったからである。
歴史主義の装飾性を批判しつつ
彼ら自身、
ここから完全に離れることはなかった。
(中略)
後にアメリカの現代建築にも
多大な影響を与えたワーグナーですら、
晩年に至るまで、
バロック建築のアプリケを連想させる、
花綵模様(ギルランデ)や
天使の装飾モチーフに固執し続けた。
ワーグナーは機能主義の見地から
「芸術は必要にのみ従う」
と主張していたが、
駅舎の写真を見ればわかる通り、
装飾そのものを
否定しているわけではない。
【土地の精神(ゲニウス・ロチ)】
純粋に抽象的なものに対する
関心の欠如は、
あるいは、
ウィーンの精神風土に関わる
特質なのかもしれない。
ウィーン分離派の作品が、
フランスのアール・ヌーヴオ、
ドイツのユーゲント・シュティールとは
一線を画した、独特の魅力でわれわれを
惹きつけてやまない理由のひとつは、
「土地の精神(ゲニウス・ロチ)」との、
この強固な結びつきのように思われる。
ワーグナーの代表作、
カールスプラッツ駅舎が、
18世紀初頭のバロック建築の傑作、
カール教会をバックに、
何の違和感もなくたたずむさまは、
分離派芸術のこうした特質を、
ひときわ鮮やかに印象づける景観と
いえるだろう。
駅舎とカール教会、
実際の位置関係を見てみよう。
山之内さんが書く通り、
こんな位置関係でたたずんでいる。
ちなみに、そのまま左に目を遣ると、
駅舎左奥には、
ウィーンフィルの本拠地
楽友協会も見える。
ゲニウス・ロキ(genius loci)は
ローマ神話における
「土地の守護精霊」が原義だが、
「土地の雰囲気」「土地柄」といった
意味で使うことが多いようだ。
多彩な様式の建物が並ぶ
リンク通り周辺では、
どんな組合せをも許容してしまう
まさに「土地の雰囲気」がある。
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コメント
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hamaさん、こんばんは。
近代史の中でも分離の出現は時代の閉塞感がもたらしたのでしょうか?
私はこれまでウィーン分離派の作品群はアール・ヌーヴオやユーゲント・シュティールに近いと思っていたのですが違うのですね。
クリムトの作品も画期的であったとしてもこの当時の常識を越えることはなかったのでしょうか?
hamaさんのブログでまた勉強になりました。やはりウィーンは魅力溢れる都ですね。
投稿: omoromachi | 2018年4月22日 (日) 23時13分
omoromachiさん、
コメントをありがとうございます。
山之内克子さんの指摘は
「ちょっとおもしろいな」と思ったので
ブログ本文で引用させてもらいました。
私も変革の潮流の
詳しいことまではよくわからないのですが、
ウィーンには様々な表現を受け入れる
「土地の雰囲気」があることだけは
確かだと思います。
だからこそ、
魅力的な街になっているのでしょう。
投稿: はま | 2018年4月30日 (月) 00時15分