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2018年3月

2018年3月25日 (日)

オーストリア旅行記 (31) 新王宮

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オーストリア旅行記 (31) 新王宮

- 新王宮は未完成 -

 

ここで書いた
リンク通りの整備と共に建てられた
代表的建築物から
「ウィーン自然史博物館」
「ウィーン国立歌劇場」
「ウィーン楽友協会」
を紹介してきたが、通常であれば
まずはコレから
紹介すべきだったのかもしれない。

【新王宮】

P7148751s

英雄広場と呼ばれる
正面の広場から見ると
円弧を描く曲線が美しい。
完成は1913年。

自然史博物館が1889年、
国立歌劇場が1869年、の完成なので
それらに比べるとずいぶん遅い。

ただ、その完成からわずか5年後、
1918年には
「ハプスブルグ君主国消滅」
という歴史が待っていた


というわけで、
写真の建物は完成したものの
このエリアの開発は
未完成で終わってしまっている。

のちに訪問した美術史博物館に
当初の古い計画図が展示してあった。

美術史博物館は写真が撮れたので
その計画図を示そう。

P7169391ss

この計画図に対して、
実際に完成したのはここだけ。
(Google mapの航空写真から)

Neueburg

右側円弧部分しか完成しておらず、
左側円弧部分は広場のまま。

それでも、迫力十分だ。

P7148753s

前の騎馬像は、
オスマントルコ帝国による
ウィーン包囲時の救国の英雄
オイゲン公。

さすがに王宮においては
ハプスブルク家の紋章
「双頭の鷲」も存在感が大きい。

P7148755s

オーストリア帝国の帝冠を持っている。

P7148755ss

「新」王宮は「旧」王宮に
隣接して建っているが
言うまでもなく、どちらもかつての
ハプスブルク家の居城だ。

 

今はその内部の一部が、
「博物館」として使われている。

つまり、コレクションだけでなく、
王宮の「建物」も一緒に楽しめる
贅沢な博物館というわけだ。

P7148754s

ただ、王宮という
大きな建物の内部を区切って、
複数の博物館として利用しているため、
初めて訪問するビジターには、
目的地というか
入り口がどこになっているのかが、
かなりわかりにくい。

自然史博物館や美術史博物館と違って、
博物館と建物が一対一と
なっていないからだ。

P7148757s

ちなみにこの新王宮の中には、
 (a)「エフェソス博物館」
 (b)「古楽器博物館」
 (c)「狩猟・武器博物館」
 (d)「民俗学博物館」
の4つのコレクション、博物館がある。

P7159028s

広場を包み込むような雄大な建物だが、
この建物の中央バルコニー
そこで
1938年5月15日、アドルフ・ヒトラーが
「オーストリア併合」を宣言
している。

P7148756s

そう言えば、
以前訪問したイタリア・ローマ、
その中心部にある
ヴェネツィア宮殿のバルコニーも、
1936年5月9日のイタリア帝国宣言をはじめ、
ムッソリーニが
広場に集まった大群衆に対して
数々の名演説を行った舞台となっていた。

どちらも今から約80年前。

バルコニーを見上げると
群衆へのダイレクトな肉声が持つ
強烈なパワーの片鱗が、
いまでもどこかに
残っているような気さえする。

 

建物自体は、
19世紀後半を象徴するような
「様式混在の建築」となっているが、
2階部分の柱も、
1階部分の石積みも、
見応え充分。

P7159030s

彫刻も一体一体、力作揃いだ。

P7159029s

 

新王宮の正面、英雄広場から、
隣接する旧王宮の一部
レオポルト宮を抜けた中庭には、
像を囲んだ小さな広場がある。

【フランツ二世像】

P7148762s

広場中央にある像。

同一人物が
「神聖ローマ帝国
 最後の皇帝フランツ2世」
であり、
最初のオーストリア皇帝
 フランツ1世」
でもあるから混乱しやすい。

さらにさらに同じ人物が
「ハンガリー国王フェレンツ1世」
でもあり
「ベーメン国王フランティシェク2世」
でもあったというのだから、
いったいどう呼べばよかったのだか。

像の奥にはアマリエ宮がある。

【アマリエ宮】(写真右奥)

P7158992s

完成は1611年。
皇帝ヨーゼフ1世の皇后アマリエが
1742年までここに住んでいたことから
アマリエ宮と呼ばれている。

その後、皇帝レオポルド2世、
フェルディナント1世、
エリザベート皇后や
最後の皇帝カール1世なども
住んでいた。

中央の初期バロック様式の塔の下には
月球儀と日時計を見ることができる。

 

【帝国宰相官房棟】(写真右側)

P7148761s

フランツ2世像に向かって、
もう少し右に眼を遣ると、
この建物が大きく迫っている。

P7158993s

旧王宮の一角となる
アマリエ宮と帝国宰相官房棟の
内部も一部
「シシィ博物館」と「皇帝の住居」として
一般公開されている。

「シシィ博物館」と
「皇帝の住居」については
回を改めて紹介したい。

 

 

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2018年3月18日 (日)

オーストリア旅行記 (30) ウィーン楽友協会

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オーストリア旅行記 (30) ウィーン楽友協会

- ウィーンフィルの本業は? -

 

国立歌劇場の話が続いたので、
関連して今日は
「ウィーン楽友協会」
を取り上げたい。

ここもリンク通りの建設に際して
作られた建物のひとつだ。
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の
本拠地として知られる大ホールがある。

P7179515s

竣工は1870年。
国立歌劇場のほうは1869年だから、
ほぼ同時期に完成している。

国立歌劇場は、
オペラとバレエのためだけの
劇場だが、
こちらはコンサートがメイン。
大小7つのホールがある。

P7179520s

ここで書いた通り、
歌劇場では作曲家マーラーが総監督を
務めていたこともあるが、
こちら楽友協会では、
1872年から1875年までの3年間
作曲家ブラームスが
指揮をしていたこともある。

そう言えば、先日
NHK Eテレの「らららクラシック」という
番組の中で

「世界一の楽団とも呼ばれる
 ウィーンフィルですが、
 なぜそう呼ばれると思われますか?」

という質問に、
ウィーンフィルの楽団長
ダニエル・フロシャウアーさんは

「世界一かどうかはわからないけれど、
 ブラームス、ブルックナー、マーラー、
 ワーグナー、ヴェルディが
 自分の作品を指揮したオーケストラは
 他にはありません


と答えていた。

確かにすごい面々だ。

この面々で棒年表を書いてみよう。
(数字は生年と享年。
 色は60歳までは20年区切り)

Gakuyu1

(ワーグナーとヴェルディって
 同じ年の生まれだったンだ。
 ブラームスの誕生はその20年後)

 

国立歌劇場と同様、
こちらもシーズンオフだったため
コンサートの聴衆のひとりとして
中を味わうことはできなかった。
(観光客向けのコンサート会場として
 使われているようではあったが)

というわけで、
残念ながら、外観のみの写真で。

P7179522s

黄金のホールとも呼ばれる大ホールは、
CDのジャケット写真ではお馴染みだし、
映画「のだめカンタービレ」でも
ロケ地として使われていたし、
ニューイヤー・コンサートの会場として
テレビに映ることも多いので、
ぜひ実際に入ってみたかったのだが、
というか、
ウィーンフィルのコンサートを
聴いてみたかったのだが、
まぁ、訪問に「真夏」を選んだ時点で、
このあたりは諦めざるをえない。

 

さて、世界的に有名なこの
ウィーンフィル
歌劇場でオペラの演奏をしている
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
との関係をご存知だろうか。

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

に教えてもらおう。
(以下水色部、本からの引用)

オーストリアの文化使節とも
いわれるウィーンフィルは、
ベルリンフィルとともにドイツ文化圏の
名門オーケストラの双璧として、
その名を世界にとどろかせている。

 創立は1842年で、
楽団の歴史はもう少しで2世紀に
届こうとしている。

(中略)

見た目は普通のオーケストラと
何ら相違ないウィーンフィルだが、
内部はかなり特殊な形態となっている。

どんな事情があるのだろう?

一番の根本は、

ウィーンフィルといえども、
 その本業はあくまでも
 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 としての活動である


 しかし、明けても暮れても
 オペラやバレエの伴奏だけでは
 飽き足らない団員が
 コンサート活動を行うために
 任意に構成する、
 いわばサークルのような
 ものである


という点だ。

つまり、
いかに演奏の技量が優れていようとも、
またいかなる人物の
強力な紹介や推薦があろうとも、
外部からウィーンフィルヘ
直接入団する道は存在しない
のだ。

誰もが平等に
国立歌劇場のオーケストラに入団し、
オーケストラピットにおける
最低3年間の経験を積んだ後、
初めてウィーンフィルヘの
参加の是非が仲間たちによって
審議される。

本業はあくまでも
ウィーン国立歌劇場管弦楽団としての演奏。

自主運営としてのウィーンフィル。

常任指揮者を置かないことや、
コンサートの演目をメンバで決めることや
メンバがチケットオフィスで
直接お客様にチケットを売ることもある、
などなど、他のオーケストラでは
ちょっと聞かないような話が
ウィーンフィルにはいろいろあるが、
自主運営の精神がこのあたりに
関係しているのかもしれない。

 

 

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2018年3月11日 (日)

オーストリア旅行記 (29) ウィーン国立歌劇場(4)

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オーストリア旅行記 (29) ウィーン国立歌劇場(4)

- 国が支え続けているオペラ -

 

国立歌劇場のガイドツアー報告の4回目。

【ロイヤルボックスと応接間】

P7158924s

皇帝も使っていた
ロイヤルボックスの応接間。

「今は記者会見の会場として
 使われたりもしています」
とガイドさん。

「この部屋は豪華ですが、
 時間貸しもしているんです」

「夜の二時間で約15万円」

「今度のお誕生会を
 ここでやってはいかがでしょう?」

 

部屋はドアの取手も象牙。

P7158925s

 

ロイヤルボックスのほうに移ってみよう。
さすがに眺めはいい。

P7158931s

P7158929s

P7158930s

 

【マーラーの間】

P7158933s

グスタフ・マーラーは
1897年から1907年まで
歌劇場の総監督を務めた作曲家。

個人的には作曲家としてしか知らないが、
指揮者としても活躍していたようだ。

この広間は、音響もいいので、
演奏会やリハーサルに使われることも
あるとのこと。

ここで、こんな写真を目にした。
年に一度開催されるという大舞踏会の様子。

P7158935s

舞台裏を案内された時、
舞台裏が50mもあるということに
驚いたが、この舞踏会では、
この50mをフル活用。

舞台と客席側を同じ高さにして
一体化

舞台裏、舞台、客席を繋げて
縦長の大きな一枚の床にし、
これだけの床面積を確保している。

夜10時からオープンニングセレモニー。
5500人が参加、朝5時まで続く
大イベントらしい。

 

【歌劇場正面2階のロビー】

P7158936s

ここには、
ヘルベルト・フォン・カラヤン

P7158939s

カール・ベーム

P7158942s

といった、
歴代総監督の像も置かれている。

日本語でのガイドさんは、
小澤征爾さんが2002年から2010年まで
音楽監督を務めていたことも
忘れずにちゃんと添えてくれていた。

P7158941s

ここで、歌劇場の総監督
音楽監督の代表的な方々と
劇場の大イベントを並べて
棒年表を作ってみよう。
(数字は生年と享年。
 色は60歳までは20年区切り)

Opera2

空襲で大破した歌劇場の
修復完成記念演奏会の指揮をしたのは
カール・ベーム。
この表を見ると、その時彼は
60歳くらいだったことがわかる。

マーラー、ワルター、
ベーム、カラヤン、マゼールと
10数年から20数年程度の差で並んでおり、
世代間の引継ぎが
順調に続いていることもわかる。

マゼール、アバド、小澤征爾は
ほぼ同世代で、
カラヤンと約20歳違いの
グループだということも。

それにしても、読者の皆様は
これをご覧になって
なにを思うだろう。

私が一番眼を奪われたのは
年齢差よりもなによりも
よく言われる
「指揮者は長生き」はほんとうだ
ということ。

棒を振る、というのは
よっぽど体にいいのだろう。

 

公演にはアーティストの他、
いわゆる裏方が約380人いて、
合計約1000人の人が関わっている。

ちなみに、年300回の公演をこなす
この歌劇場の年間予算は130億円。

チケットの売上でカバーできるのは
その約半分。

約半分は国家の税金から補助されている

なお、現在
ジェネラルスポンサーは、
トヨタのレクサス。
こんなりっぱなスポンサー表示が
劇場内通路にあった。

P7158943s

国家からの補助については、

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

にもこんな記述があった。
(以下水色部、本からの引用)

長年にわたる浪費の末に
国庫が潤渇し、
帝国の周囲は敵ばかり、
という状態にあった
マリア・テレジア女帝の時代でさえ
「オペラなしでは
 このような街に住めはしない」と、
年間15万グールデンという
多額な補助金が
国庫より支給されていた。

音楽芸術を手厚く庇護する伝統は
今日に至るまで続き、
1930年代の世界大恐慌の際でさえ、
オペラに対する
国庫補助金がとだえることはなかった

日本企業がスポンサーとして
一部を支えていることは嬉しい事実だが、
伝統的に国家がオペラを
 しっかりと支えているんです

という話には感嘆の声があがっていた。

 

以上で
ウィーン国立歌劇場ガイドツアーは終了。

実際のツアーは
トータルで40分ほどのものだったが
盛りだくさんで
おおいに楽しむことができた。

「次に来る時は、
 オペラを観に来なければ」
との強い思いと共に
ガイドさんに礼を言い、
劇場をあとにした。

 

 

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2018年3月 4日 (日)

オーストリア旅行記 (28) ウィーン国立歌劇場(3)

(全体の目次はこちら


オーストリア旅行記 (28) ウィーン国立歌劇場(3)

- 驚きの奥行きと建築家の悲しい運命 -

 

ウィーン国立歌劇場の
ガイドツアーの3回目。

いよいよ舞台裏だ。

P7158902s

今は公演がないので、
ガランとしている。

P7158903s

ここで一番驚いたが、
奥行きの説明。

幅が25mに対して
奥行きは、
本舞台と奥舞台合わせて
なんと50m!


客席の奥行きよりも、
舞台の奥行きの方が大きい。

そのうえ脇舞台まであるという。
上下動とスライドを組合せて
舞台が入れ替わる様子を
ぜひ見てみたいものだ。

P7158907s

しかも、最初の説明にあった通り、
ここの公演プログラムは日替わり。
つまり舞台装置も毎日変わる。

リハーサルと本番と入替えを考えると、
スタッフの皆さんの忙しさは
相当なものだろう。

 

舞台裏の次に案内されたのは正面階段。
空襲による破壊を免れた貴重なエリアだ。

P7158911s

劇場の階段とは思えない贅沢な空間。

P7158932s

階段の左右の壁には
二枚の顔のレリーフがある。

この劇場を設計した二名の建築家、
ファン・デア・ニュルと
アウグスト・シカート・
フォン・ジカルツブルク。

P7158914s

P7158915s

いやま世界を代表する歌劇場なので、
建築家のふたりもレリーフとなって
自らの作品を
さぞや誇り高く眺めていることだろう、と
思いがちだが、
現実は正反対だったようだ。

なんとも悲しい物語。

ガイドツアーでも簡単に触れていたが、
下記の本を参考に
少し詳しくみてみたい。

参考図書は、

広瀬佳一、今井顕 編著
 ウィーン・オーストリアを
 知るための57章【第2版】
明石書店

(以下水色部、本からの引用)

コンペを勝ち抜いたこの壮大な建築物が
ウィーン市民の前に
初めてその姿を現したころ・・・

当初は
「ギリシャとゴシックと
 ルネッサンスの様式が入り乱れた、
 節操に欠けたデザイン」
と酷評されたのである


それに加え、
建築工事開始後になってから
劇場正面の大通りの地表面が
1メートルもかさ上げされることになり、
その結果この劇場は

「沈没した箱」
「建築文化の敗北」
「食べ過ぎて横たわっている
 象のように重い」

などとこきおろされた。

道路工事の不運があったにせよ、
その評判は散々だったようだ。

「沈没した箱」と評したのは
ときの皇帝フランツ・ヨーゼフ1世。

多くの酷評に
ふたりは最悪の事態を迎えてしまう。

これらフランツ・ヨーゼフ1世
(1830~1916年)はじめ、
建設省、新聞、建築家や
一般市民の非難の声に耐えきれず、
ファン・デア・ニュルは
1868年4月3日に56歳で自殺


同年6月11日には
ジカルツブルクも54歳にして
失意のどん底に力尽き、
両人とも建物の完成を待たずして
世を去ってしまった。

なんということだろう。

建築家のふたりは自殺と憤死。
建物の完成も、こけら落としの公演も
見ていない
のだ。

ふたりの死は、
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世にも
影響を与えた。

この事件以来、
国王は何事に対しても
個人的な見解を発言するのは
控えるようになった
という。

外観の意匠が市民に理解され、
受け入れられるには長い時間が
必要だったようだ。

 

次に案内されたのは、

【大理石の間】

P7158916s

名前の通り
床もテーブルも壁の一部も大理石。

P7158921s

この空間に重厚な雰囲気はなく、
モダンで明るい。

幕間をシャンパン片手に寛ぐのに
ピッタリ。

P7158919s

壁には色違いの石を上手に組合せて
舞台裏やら楽器やら
歌劇場の日常が
じつにオシャレに描かれている。

P7158918s

今はがらんとした空間だが、
オペラの幕間で人が溢れている時、
ここはいったいどんな空気で
満たされていることだろう。

 

舞台の奥行きに驚き、
建築家の悲しい運命にしんみりし、
と感情の起伏が思いのほか大きい
歌劇場のガイドツアーだが、
ガイドさんの案内はまだまだ続く。

 

 

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