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2018年2月

2018年2月25日 (日)

オーストリア旅行記 (27) ウィーン国立歌劇場(2)

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オーストリア旅行記 (27) ウィーン国立歌劇場(2)

- オリジナル棒年表の登場! -

 

ウィーン国立歌劇場の
ガイドツアーの2回目。

舞台の幕、緞帳(どんちょう)は
グルックのオペラ
「オルフェオとエウリディーチェ」
をモチーフにしている。

P7158899s

このグルックという作曲家
ご存知だろうか?

クラシック音楽初心者向きのこの本、

三枝成彰著
驚天動地のクラシック
キノブックス


に、こんな記述があったので紹介したい。
(以下水色部、本からの引用)

 グルックは、オペラの改革者です。
彼がいなければ、
後の作曲家たちの傑作も
生まれなかったかもしれません。

 この頃、オペラの世界は様変わりし、
カストラートたち
(少年時代に去勢して 
 ″天使の歌声″を保った歌手)が
聴衆の人気を得て、
歌を披露する場になっていました。

 グルックは、台本(物語)を重視し、
歌手たちが勝手に曲を改変したり、
他の作曲家の曲を
挿入したりすることを禁じました。

また他にも
レチタティーヴォ(語り)を
オーケストラの伴奏付きで
歌わせたりと、
彼の功績はいくつもあります。

彼によってオペラは、
音楽と演劇が融合した
新しい時代の総合芸術に
生まれ変わった
のです。

オペラを「新しい時代の総合芸術」に
変革した改革者。
彼がいなかったら、その後
モーツァルトのオペラも
生まれなかったかもしれない。

また、彼は、
あの女性の音楽教師でもあった。

グルックは
八プスブルク家お召し抱えの
宮廷楽長であり、
幼い王女マリア・アントーニア
(マリー・アントワネット)の
音楽教師も務めていた


後に彼女が
フランスのルイ16世に嫁ぐ時、
付き従って
フランスに渡っている。

 

ウィーンの歴史を見ていくと、
ハプスブルク家だけでなく、
音楽家であったり、芸術家であったり、
実に多くの人たちが登場する。

本を読んでいて気になるのは、
たとえば上記に登場した
マリー・アントワネットと
音楽教師のグルックは
年齢的にどんな関係だったのか?
というような点。

もちろん個別に生没年を
調べることはできるが、
数字だけを見てもどうもピンとこない。

そこで、エクセルのVBAを使って
生没年月日を入れると、
年表用のバーを書いてくれる
簡単なプログラムを作ってみた。

「登場人物」の年齢関係を
想像しやすくするための補助グラフだ。

ただ、よく見る一本の棒にしてしまうと
活躍年代のイメージがつかみにくい。
そこで、
20年ごとに色を分けてみることにした。
ほかにも生年と享年も書き加えて
独自の棒年表としてみた。

つまりこんな感じ。

棒年表の情報

* 棒左端の数字は生年
* 棒の色
    0 -20歳 緑
    20-40歳 青
    40-60歳 黄
    60歳以上 紫
* 棒右端の数字は享年
    (死んだときの満年齢)
* 棒右欄外は氏名

 

実際に書いてみよう。
上記に登場した人物を中心に、

 *グルック
 *マリア・テレジア
  (マリー・アントワネットの母親)
 *ルイ16世
 *マリア・アントーニア
  (マリー・アントワネット)
 *モーツァルト

の5人で棒年表を作ってみた。

Opera2b

繰り返しになるが、色は20歳区切り。
読者の皆様は、この年表の
どの部分に目がいくことだろう?

グルックとマリア・テレジアはほぼ同年齢。

マリア・テレジアが
マリー・アントワネットを生んだのは
もう40歳近いころだということも、
マリア・テレジアの
青が終わるころ(40歳)ということで、
すぐにわかる。
(15番目の子ども、
 第15子だったということは
 ここからではわからないが)

ルイ16世、マリー・アントワネットと
モーツァルトの三人はそれぞれ1歳違い、
ほぼ同年齢。
亡くなったのも
ルイ16世とマリー・アントワネットは
もちろんのこと、モーツァルトも偶然にも
ほぼ同じころ。

オペラの改革者グルックの
約40年後にモーツァルトが生まれている。

マリア・アントーニアが
フランスに嫁いだのは、
14歳の時なので、
まさに親世代のグルックが
一緒にフランスに渡ったのは、
音楽教師以上の意味も
あったのかもしれない。

マリア・テレジアは、
娘の悲劇の死を
知らなかったこともわかる。

 

このオリジナル棒年表。
今後もいろいろな組合せで使って、
いろいろ想像を膨らませてみたい。

 

 

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2018年2月18日 (日)

オーストリア旅行記 (26) ウィーン国立歌劇場(1)

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オーストリア旅行記 (26) ウィーン国立歌劇場(1)

- 2280席中「1/4」は立ち見席 -

 

次の場所を訪問する前に、
ウィーン自然史博物館ネタから
ひとつだけ、読者の皆様の協力を
仰ぎたいと思っていることがある。

ウィーン自然史博物館の
ミュージアムショップで買った絵葉書に、
これがある。

Natur4s

絵葉書には、独語・英語で一行説明があり
英語部分は
Darwin ape -
 Detail from the frieze in the dome

となっている。
「ダーウィン(の)猿
 ドームの帯状彫刻から」

中央ドームの彫刻の一部と思われるが
実物を見た記憶はない。

それなのにわざわざ写真を買った
ということは、
なにか手にしたきっかけがあったはずだ。
ショップ内で
なんらかの説明文を目にし、
それを「おもしろい」と
思ったからとか。

ところが、旅行から
半年以上も経ってしまったせいか
そのきっかけを全く思い出せない。

旅行中のメモにも何も残っていない。

ただ単に
「おもしろい構図だから買った」
ということだってもちろんあるが
どうもスッキリせず気持ち悪い。

「Darwin ape」などの言葉で
検索もしてみたのだが、
きっかけに結びつくような
解説も見つからない。
そもそもこの彫刻は
何を表したものなのだろう?
Googleの類似画像検索でも収穫なし。

ダーウィンの進化論と
どんな関係があるのだろう?

というわけで、
この彫刻や、Darwin apeについて
なにかご存知の方がいらっしゃいましたら
コメントやメール等で
ぜひ教えて下さい。
よろしくお願いします。

 

さて、話を戻して
ウィーン観光を続けることにしよう。

次は、これまたウィーンを代表する
建築物のひとつ。
ここで書いた
リンク通りの整備と共に建てられた
建築物のひとつでもある。

【ウィーン国立歌劇場】

P7158842s

訪問が7月で
オペラの季節ではなかったため、
残念ながらオペラを見ることは
できなかったのだが、
その劇場は圧倒的な存在感を放っていた。

P7158844s

公演はないものの、
バックステージを案内してくれる
ガイドツアーがあるという。
それに参加してみることにした。

P7158849s

ガイドツアーは、ドイツ語以外にも
時間を選べば、
英語、イタリア語、日本語など
各言語で案内してもらうことができる。
日本語があるのはほんとうにうれしい。

集合場所に行くと
言語の書かれたプラカードが立っており、
言語別の集団ができていた。

今回、
日本語ガイドを担当してくれたのは、
流暢な日本語を操る現地の女性。

「ガイドツアー中の写真撮影は、
 フラッシュも含めてOKです」
とのうれしいコメントからスタート。

メモと写真を取りながらの
楽しい劇場内ツアーが始まった。

 

まずは、観客席側。
通常通り劇場に入り、
舞台を正面に見ながら
その歴史と概要を聞く。

舞台には豪華な緞帳がおりている。

P7158897s

この劇場は、
1869年に6年の歳月をかけて完成。
当初は宮廷歌劇場だった。

こけら落としの演目は
モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」。
日本では
ちょうど明治が始まったころ
のことだ。

観客席側はこんな感じ。
5層のボックス席が美しい。
真ん中に見えるのが、
かつては皇帝も使っていたロイヤルボックス。

P7158889s

完成から76年後の1945年、
第二次世界大戦の空襲は
この劇場にも大きな被害をもたらす。
ごく一部を残すだけ、という大破。
3月12日のこと。

東京大空襲の日付を思うと
東京もここウィーンもまさに同じ頃、
空からの襲撃により
大きな被害を受けていたことになる。

その後、
外観はオリジナル通りに復元
内装のほうは50年代の好みを反映し
作り直された。

修復完成は1955年11月、
カール・ベームの指揮による
ベートーヴェンの「フィデリオ」が
修復完成記念の演目。

天井と照明はこんな感じ。
ワイングラスで有名な
ロブマイヤー製のシャンデリアらしい。

P7158896s

座席数は「1709」、
立ち見席は「567」、
合わせて約2280名が
オペラ/バレエを楽しむことができる。

立ち見席の比率にビックリ!
全体の1/4が立ち見席とは!

「シーズン中、
 高い席は日本円で2~3万円程度です」

この雰囲気の中、
ハイレベルな演奏が保証されて
「高い席で2~3万円」の説明に
話を聞いていた人たちが、
ちょっとどよめく。
「えっ、それなら安いじゃない」
のつぶやきがきこえる。

日本で有名オペラの来日公演を
聴くことと比較しているのであろう。
試しに、2017年バイエルン国立歌劇場の
来日公演の値段を見てみると
NHKホールのS席で6万5千円になっていた。

「立ち見席であれば 
 3ユーロから4ユーロ、
 つまり500円、600円程度で
 観ることができます。
 
 ただし、
 立ち見席は前売りがないため、
 公演80分前の売出しに
 並ぶ必要があります」

「立ち見席の数百円」にも
驚きの声がもれる。

P7158898s

「7月の今はオーケストラメンバは
 ザルツブルク音楽祭に忙しく、
 多くはウィーンにいないのです」

シーズンは9月から翌年6月末まで。
年間約300回の
オペラまたはバレエの公演がある。
基本的に毎日演目が変わる

「毎日!?」
そりゃ、裏方も忙しいことだろう。
裏方は2チームで
18時間体制でサポートしているとのこと。

この劇場では、
オペラまたはバレエの公演しかやらない
ミュージカルや演劇の公演はなし。
唯一の例外が、
ヨハン・シュトラウスの
オペレッタ「こうもり」。

 

劇場ツアーはまだまだ続く。

 

 

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2018年2月11日 (日)

オーストリア旅行記 (25) ヴィレンドルフのヴィーナス

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オーストリア旅行記 (25) ヴィレンドルフのヴィーナス

- 高校世界史の授業の思い出 -

 

【ウィーン自然史博物館】

P7148731s

で、見たかったもののひとつが、
ヴィレンドルフのヴィーナス」。

写真は撮れなかったので、
ミュージアムショップで買った
絵葉書の写真を添えておきたい。

Venus_s

名前は知らなくても、
教科書等どこかで目にしたことが
あるのではないだろうか。

なんと2万4千年も前のものと
推定されているらしいが、
実物は11cm程度しかなく、
目の当たりにすると
その小ささに驚いてしまう。
片手に収まってしまうサイズだ。

今このブログをiPhoneで
ご覧になっているとすれば、
そのiPhoneよりも小さい。

発見は1908年。
こんな小さなものを壊さずに
よく見つけ出したものだ。

 

では、どうして
実物を見てみたかったのか。

それは、
高校の世界史の授業の
小さな記憶と繋がっているから。

寄り道が多くて
ちっとも前に進まない旅行記だが、
今回も観光を離れて
しばし私の高校時代の
世界史の授業の思い出話に
お付き合い願いたい。

 

工学部をめざしていた私は
世界史の授業がある高校3年時、
いわゆる理系クラスにいた。

主力の理系科目でもないうえに、
私も含めクラスメイトの多くは、
当時の共通一次試験、
今のセンター試験の社会に
「世界史」を選んでおらず、
まさに受験に関係ない、
ということもあって
世界史の授業には
全く熱が入っていなかった。
と言うか
サボることばかり考えていた。

そんなクラスの世界史を任されていたのは
大ベテランのK先生。

やりにくかったであろう空気の中、
じつに淡々と授業を進めていた。

私は、と言えば、そういうわけで
数学や物理の内職(?)を
コソコソしながら聞いていた
不誠実な生徒だったのだが、
あれからウン十年、
「ながら」で聞いていたK先生の言葉が
自分でも意外なほど記憶に残っている。

 

「ヴィレンドルフのヴィーナス」の
写真が教科書に出てきたとき、
先生はこうおっしゃった。

「君たちはこの写真をみてどう思う?
 君たちが期待している女性の体型とは
 全然違っているだろう」

男子校での授業、
「女性の体型」という言葉に
内職をしていた生徒も皆
おもわず顔をあげた。

「大きな乳房とお尻、
 太ったからだは、
 子孫繁栄と豊かさの象徴。

 人々の願いが込められた像は、
 そういった部分が強調され、
 女性の体型がデフォルメされている、
 そう説明されることが多い」

ここで一呼吸おいて、
先生はこう続けた。

でもね、それは違うンだ

 どう違うかって?

 今の、私の妻を見てみなさい。

 まさにこのままの体型だ。
 デフォルメもなにもない。

 若い時は細くて美しくても
 女性はみんな歳をとると
 こういう体型になるンだぞ、という
 覚悟をも教えてくれているンだ」

軽い冗談に笑いながらも、
「覚悟」という言葉が妙に印象に残った。

男子高校生に
「女性」への「覚悟」を
初めて意識させてくれたヴィーナス。
今回、ようやくその実物に
会うことができた。

こんな目で見ている人は
他にいないだろうけれど。

 

この世界史のK先生、
他にもいくつもの印象的な言葉を
私に残している。

「為政者を動かす力は4つある。
 権力、暴力、金(かね)、それに女だ。
 
 歴史はこれらの力で動いていく。
 この史実にはどの力が働いたのか?
 そう思いながら歴史を見ると面白い」

こんな乱暴な説を、
聞いた方の生徒は
一生忘れないのだから、
先生という職業は恐ろしい。

 

そんな中、
最も強く残っているのはコレ。

当時はまだ「世界遺産」という言葉は
たぶんなかったと思うが、ずいぶん昔、
NHKがかなり力を入れて
世界各国の遺産を紹介する
「未来への遺産」という番組を
放送していたことがあった。

その番組に言及したあと、
先生はこう投げかけた。

「数年前『未来への遺産』という
 NHKの番組があったけれど、
 あそこで紹介されていた遺産は、
 ピラミッドだって
 万里の長城だって
 すべて
 『過去から未来への遺産』だ。
 
 じゃぁ、
 『今から未来への遺産』は何だ?

 君たちは未来に何を残せるンだ?

強烈な問いだ。

先生の熱いメッセージとは裏腹に
悲しいかな最近は
「未来への負の遺産」という言葉さえ
耳にするようになってしまった。

高校の時に一度聞いたきりなのに
それから数十年消えることのない
『今から未来への遺産』は何だ?
の問い。

それを私に残してくれたK先生には
今でも感謝している。

 

 

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2018年2月 4日 (日)

オーストリア旅行記 (24) ウィーン自然史博物館

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オーストリア旅行記 (24) ウィーン自然史博物館

- 向かい合って建つ双子博物館のひとつ -

 

前回書いた
リンク通りの整備と共に建てられた
建築物のひとつが「ウィーン自然史博物館」
完成は1889年8月。
日本でいえば明治22年。

右下を歩く人の大きさから
その規模が想像できるだろうか。

P7148731s

博物館まで行くと、
マリア・テレジア広場と呼ばれる
マリア・テレジアの像のある広場を挟んで、
ほぼ同じ外観の大きな大きな建物が
向かい合って建っている

まさに双子博物館。

【マリア・テレジア広場】

P7148750s

こちらが
【ウィーン自然史博物館】

P7148748s

そしてこちらが
【ウィーン美術史博物館】

P7148747s

ちょっと見では区別がつかない。

マリア・テレジアの像は
この2つの建物の真ん中にあって
こんな感じ。
奥に見えているのは美術史博物館。

P7148746s

どちらの博物館も
オーストリアはもちろん、
世界的に見ても主要な博物館の
ひとつと言われている。

美術史の方は後日改めて訪問、と
計画していたので、
今日は自然史博物館のみ。

ここの蒐集品は、
マリア・テレジアの夫
フランツ1世のコレクションが
その起源になっているが、
その数は現在
3千万点にもなっているという。

ちなみに、
このフランツ1世と
マリア・テレジアとの間に生まれた
16人の子どものひとりが
マリー・アントワネットだ。

 

この博物館、
内部のコレクションもすごいが
入るとまず建物自体に圧倒される。

P7148737s

ミュージアムショップの絵葉書には
中央階段からホールを見上げた写真も。

Natur2s

中央階段回りも宮殿のよう。

P7148743s_2

カフェテリアも

P7148735s

カフェテリアから見上げる丸天井も

P7148740s

どこを見ても風格があり美しい。

以前は宮殿だったものを転用、
というわけではない。
リンク通りの整備の一環で
博物館のために、
博物館用に建てられたもの、
というのだからもっと驚く。

 

館内は写真撮影が禁止されていたので、
写真で紹介することはできないが、
生物、地学関連の蒐集品を中心に、
さまざまな展示が続く。

重さ117kgもあるトパーズやら、
マリア・テレジアが夫に贈ったという
2800個もの宝石がちりばめられている
高さ50cm、重さ2.8kgの
「宝石のブーケ」
などもある。

とガイドブックにはあったのだが、
残念ながら我々が訪問したときには、
「宝石のブーケ」は貸出し中で、
実物を見ることはできなかった。

ミュージアムショップの絵葉書だと
こんな感じ。
夫から「もらった」ではなく、
夫に「贈った」もの。

Natur1s

上に貼った
中央階段の写真中央下にも写っているが、
フランツ1世が、
鉱物コレクションを観察している絵もある。
これもミュージアムショップの絵葉書。

Natur3s

この時点で、彼の回りの棚は
コレクションですでに
埋め尽くされていることがわかる。

 

鉱石、化石、
動物の剥製、昆虫の標本、
巨大な恐竜の骨格、
さらには、地球や宇宙に関する展示も。
隕石だけでも相当な数がある。

多くの展示品の中、
今回実物を見たかったもののひとつが
「ヴィレンドルフのヴィーナス」

写真は撮れなかったので、またまた
ミュージアムショップで買った
絵葉書の写真を添えておきたい。

Venus_s

世界史の教科書等で目にしたことが
あるのではないだろうか。

なぜこれを見たかったのか。
高校時代の
小さな思い出と繋がっているから。

次回はその話から始めたい。

 

 

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