オーストリア旅行記 (14) ホーエンザルツブルク城塞
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オーストリア旅行記 (14) ホーエンザルツブルク城塞
- 「カノッサの屈辱」後の報復を恐れて -
ザルツブルクのシンボルのように、
この旅行記にもすでに
何度も何度も登場しているが
今日は、
市内の至るところからその姿を眺められる
ホーエンザルツブルク城塞を
訪ねてみたい。
城塞は町を見下ろす小高い山の上にある。
もちろん歩いても行けるが、
今回はケーブルカーを使ってみた。
乗り場には、ひと目でケーブルカーと分かる
鉄細工の看板がある。
ザルツブルクカードがあると、
このケーブルカーも無料。
【ホーエンザルツブルク城塞】
ケーブルカーなら2分もかからない。
あっと言う間に到着。
高いところに登ってきたので
とにかく景色がいい。
旧市街からザルツァッハ川、
その向こうの新市街と、
まさに一望できる。
市街の側からは見えなかった
丘の向こう側も
もちろんよく見える。
あまりの景色の良さに、
城塞であることを忘れてしまうほどだ。
実際の山の高さは120mほどだが、
視界の感覚からすると
もっと高いような気がする。
城内を見学しようとして
最初に目に飛び込んでくるのは
りっぱなこの紋章。
「祖国の父」と呼ばれる
大司教パリス・ロドロンの紋章。
8の字型の尻尾を持つ
ライオンをかたどっている。
城塞なので、もちろん大砲も。
ホーエンザルツブルク城塞は、
1077年、ザルツブルクの大司教
ゲープハルトにより建設が開始され、
その後、幾度も増改築が繰り返されて
17世紀に現在の姿となった。
建造のきっかけは、
神聖ローマ帝国皇帝が
ローマ教皇と聖職叙任権をめぐって、
対立したことに始まる。
大司教は弱体化した皇帝を見限って
教皇側につくも、
歴史的に有名な「カノッサの屈辱」で、
形のうえでは皇帝と教皇が和解。
しかし、
大司教は皇帝派の報復を恐れ
身の安全を確保するために
強固な城塞を築く必要に迫られていた。
皇帝 対 教皇 (大司教)
そこで建設されたのがこの
ホーエンザルツブルク城塞というわけだ。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世
愛称「赤髭王(バルバロッサ)」
(在位1152年 - 1190年)による
ザルツブルク焼討ちでも焼失を免れている。
その後、敵の侵入に備え、
見張り塔や武器庫、穀物貯蔵庫などを
次々と増築。
永年の増築により
城塞は堅固さを増し
1525年の農民改革の際は、
反乱軍が3ヵ月にわたって
城を取り囲んだが陥落せず、
兵糧攻めにも耐え抜いたという。
築城以来、
敵に攻め落とされたことは一度もなく、
難攻不落の城として名高い。
なお、当然のことながら
高い城塞に物資を運ぶ専用の輸送手段は、
最初からちゃんと確保されていたようだ。
右手に見える滑り台のような軌道の上を
ケーブルのついたトロッコが
城中央の巻き取り装置に巻き取られながら
登って行ったらしい。
城塞から旧市街に降りてきた。
旧市街にあるひときわ塔の高い教会がこれ。
【フランティスカーナ教会】
1223年に建造されたのち、
幾度か改築を重ねたため、
年代ごとに異なる建築様式を併せ持つ
複雑な構造となっているらしい。
時間の都合で中までは見学できなかったが、
石の質感には特徴がある。
【音楽祭準備】
ザルツブルク音楽祭が
10日後に迫っていたため、
その準備のため
大聖堂の正面「ドーム広場」には
入ることができなかった。
レジデンツ見学の際、
窓から会場を覗きこんで撮った写真。
隣接している
フランティスカーナ教会の塔が
美しく見えている。
満員の観客を前に、
どんな舞台が繰り広げられるのだろう。
もう一度来る機会があれば、
そのときはぜひ音楽祭も楽しみたいものだ。
小さな町ながら、2泊でも結局のところ
駆け足になってしまったザルツブルク。
それでも
映画「サウンド・オブ・ミュージック」
ネタを含め、おおいに楽しむことができた。
旅行記もつらつらと書いていたら、
ザルツブルクだけですでに13回。
さぁて、そろそろ次の町に移ろう。
長距離高速電車ÖBBに乗って出発だ。
目指すは湖畔の町「ハルシュタット」
次はどんな景色や人に出会えることだろう。
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