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2017年11月

2017年11月26日 (日)

オーストリア旅行記 (14) ホーエンザルツブルク城塞

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オーストリア旅行記 (14) ホーエンザルツブルク城塞

- 「カノッサの屈辱」後の報復を恐れて -

 

ザルツブルクのシンボルのように、
この旅行記にもすでに
何度も何度も登場しているが
今日は、
市内の至るところからその姿を眺められる
ホーエンザルツブルク城塞
訪ねてみたい。

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城塞は町を見下ろす小高い山の上にある。
もちろん歩いても行けるが、
今回はケーブルカーを使ってみた。

乗り場には、ひと目でケーブルカーと分かる
鉄細工の看板がある。

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ザルツブルクカードがあると、
このケーブルカーも無料。

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【ホーエンザルツブルク城塞】
ケーブルカーなら2分もかからない。
あっと言う間に到着。
高いところに登ってきたので
とにかく景色がいい。

旧市街からザルツァッハ川、
その向こうの新市街と、
まさに一望できる。

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市街の側からは見えなかった
丘の向こう側も
もちろんよく見える。

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あまりの景色の良さに、
城塞であることを忘れてしまうほどだ。

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実際の山の高さは120mほどだが、
視界の感覚からすると
もっと高いような気がする。

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城内を見学しようとして
最初に目に飛び込んでくるのは
りっぱなこの紋章。

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「祖国の父」と呼ばれる
大司教パリス・ロドロンの紋章。
8の字型の尻尾を持つ
ライオンをかたどっている。

城塞なので、もちろん大砲も。

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ホーエンザルツブルク城塞は、
1077年、ザルツブルクの大司教
ゲープハルトにより建設が開始され、
その後、幾度も増改築が繰り返されて
17世紀に現在の姿となった。

建造のきっかけは、
神聖ローマ帝国皇帝
ローマ教皇と聖職叙任権をめぐって、
対立したことに始まる。

大司教は弱体化した皇帝を見限って
教皇側につくも、
歴史的に有名な「カノッサの屈辱」で、
形のうえでは皇帝と教皇が和解。

しかし、
大司教は皇帝派の報復を恐れ
身の安全を確保するために
強固な城塞を築く必要に迫られていた。

皇帝  対  教皇 (大司教)

そこで建設されたのがこの
ホーエンザルツブルク城塞というわけだ。

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神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世
愛称「赤髭王(バルバロッサ)」
(在位1152年 - 1190年)による
ザルツブルク焼討ちでも焼失を免れている。

その後、敵の侵入に備え、
見張り塔や武器庫、穀物貯蔵庫などを
次々と増築。

永年の増築により
城塞は堅固さを増し
1525年の農民改革の際は、
反乱軍が3ヵ月にわたって
城を取り囲んだが陥落せず、
兵糧攻めにも耐え抜いたという。

築城以来、
敵に攻め落とされたことは一度もなく、
難攻不落の城として名高い。

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なお、当然のことながら
高い城塞に物資を運ぶ専用の輸送手段は、
最初からちゃんと確保されていたようだ。

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右手に見える滑り台のような軌道の上を
ケーブルのついたトロッコが
城中央の巻き取り装置に巻き取られながら
登って行ったらしい。

 

城塞から旧市街に降りてきた。
旧市街にあるひときわ塔の高い教会がこれ。

【フランティスカーナ教会】

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1223年に建造されたのち、
幾度か改築を重ねたため、
年代ごとに異なる建築様式を併せ持つ
複雑な構造となっているらしい。

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時間の都合で中までは見学できなかったが、
石の質感には特徴がある。

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【音楽祭準備】

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ザルツブルク音楽祭が
10日後に迫っていたため、
その準備のため
大聖堂の正面「ドーム広場」には
入ることができなかった。

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レジデンツ見学の際、
窓から会場を覗きこんで撮った写真。

隣接している
フランティスカーナ教会の塔が
美しく見えている。

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満員の観客を前に、
どんな舞台が繰り広げられるのだろう。

もう一度来る機会があれば、
そのときはぜひ音楽祭も楽しみたいものだ。

 

小さな町ながら、2泊でも結局のところ
駆け足になってしまったザルツブルク。
それでも
映画「サウンド・オブ・ミュージック」
ネタを含め、おおいに楽しむことができた。

旅行記もつらつらと書いていたら、
ザルツブルクだけですでに13回。

さぁて、そろそろ次の町に移ろう。
長距離高速電車ÖBBに乗って出発だ。

目指すは湖畔の町「ハルシュタット」

次はどんな景色や人に出会えることだろう。

 

 

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2017年11月19日 (日)

オーストリア旅行記 (13) 鉄細工の看板の賑やかさ

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オーストリア旅行記 (13) 鉄細工の看板の賑やかさ

- 「ボスナ」とビール -

 

今日は、歴史や年号を忘れて、
お店を眺めながら
気軽にザルツブルクの町を
散策してみたい。

【ゲトライデ通り】

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旧市街で最も賑やかな通り。


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狭い通りの両側に
商店がギッシリ並んでいる。

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ここの特徴は、何といっても
鉄細工の看板。

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アイデアと美しさを
競っているのかと思うほど、
看板だけを見ていても飽きない。

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大小さまざまなタイプがあるが

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右側に見えるような大型のものだけでなく、
左側に並ぶようなシンプルで
小型のものにすてきなものもある。

わずか数百メートルの短い通りなので、
さっさと歩けば
あっけないくらい簡単に通り抜けられるが、
ドイツ語が読めない分(?)
看板からどんな商店かを類推する
自己クイズをやりながら歩くと
逆にちっとも前に進めなくなる。

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突き当りにはブラジウス教会がある。

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この通りで、
ちょっとおもしろいものを見つけた。
さて、これは何でしょう?

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建物の入り口横、
写真の中央下に並んでいる。

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上に向かって伸びているワイヤーを
見ればわかる通り、どうも呼び鈴のようだ。

2階から5階まで、
各階にそれぞれのワイヤーが届いている。
見上げるとこんな感じ。

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「I」を引けば、「I階(日本での2階)」に
繋がっているワイヤーが動き、
物理的に「I階」の呼び鈴が鳴る。

ちなみにワイヤーを追って見上げると、
上の写真のように庇(ひさし)の下に、
[1407]と[1987]の数字が見える。
年号だと思うがどういう意味なのだろう?

 

【塩専門店】
にも書いた通り
ザルツブルク(Salzburg)は
salzが「塩」で
burgが「城、要塞、砦」、
つまり「塩の城」という意味。

そこにある、その名もズバリ[Salz]。

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ショーウィンドウも塩のみ。

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店内も塩のみ。

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食用はもちろん、
バスソルトやソープなど、
お風呂用や美容関連製品も並ぶ。

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色も多彩できれいだし、
パッケージングもおしゃれ。

でも、これらは全部「塩」!

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量も多種用意されているので
おみやげにも買いやすい。

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塩そのものの多彩さに圧倒されながら、
おしゃれなミルがないかと探したのだが、
残念ながらいいものが見つからなかった。

なので塩だけ少し購入。

「岩塩」のまま、というスタイルでも
様々な大きさのものが並んでいる。
さすがにこちらは
おみやげ、というわけにはいかないが。

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町を歩くと、通りだけでなく、
建物を通り抜ける路地が
あちこちにあって、
独特な雰囲気を醸し出している。

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路地幅は狭く、天井も低いが、
ショーウィンドウはおしゃれ。

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そんな狭い中、
行列のできているお店が。

【バルカングリル】

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「ボスナ」と呼ばれる
ホットドッグを売っている。

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いいにおいに釣られて、
並んで買ってみることにした。

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焼き色をつけたパリパリのパンに、
細めのグリルソーセージが2本
サンドしてある。
玉ねぎ、パセリの他
黄色い独特な香辛料が振ってある。

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ソーセージを焼いて、
出来立てを手渡してくれるので
ほんとうにおいしい。
お昼にちょっと食べるのにはピッタリ。
行列ができているのも頷ける。

辛いわけではないが、
「やっぱりコレがなきゃ」と
別なお店でDIE WEISSE HELLという
ビールを買ってしまった。

昼間っから、おいしいホットドッグと
ビールの組合せ。最高だ!

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ザルツブルク観光も
いよいよ終盤になってきた。

 

 

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2017年11月12日 (日)

オーストリア旅行記 (12) ザルツブルクで聴くピアノトリオ

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オーストリア旅行記 (12) ザルツブルクで聴くピアノトリオ

- モーツァルトが演奏した部屋で -

 

【モーツァルトの生家】
観光客が多く訪れるザルツブルクの
メインストリート「ゲトライデ通り」に
黄色のよく目立つ建物がある。

1756年1月27日、
モーツァルトはここで産声をあげた


日本で言うと、
田沼意次(1719年生)や
杉田玄白(1733年生)らの時代


ザルツブルクの
一大観光スポットとなっている。

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見学をするためには、
こんな階段を登っていく。
今は、2階から4階が記念館になっている。

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当時のままの台所はこんな感じ。
と、この写真を撮ったところで
館内写真撮影禁止の表示を発見。
ゴメンナサイ、気がつきませんでした。

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というわけで残念ながら以後写真なし。


館内の写真は禁止されていたが、
「窓からの景色はOK」
とのことだったので、
1枚だけパチリ。

260年前、
窓からは何が見えていたのだろう?

ここで生まれて、
7歳まではこの部屋で過ごしていたらしい。

窓からの景色の変化はわからないが、
子どものころのモーツァルトが
この部屋を走り回っていたことは
確かなことのようだ。

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館内には、自筆の楽譜やら、肖像画やら
楽器やら、オペラのセットの模型やら
関連グッズの土産物やら、
いろいろ展示されているが、
生家をそのまま使っているので、
観光客がぐるぐる歩き廻っていると
かなり狭苦しい。

多くの展示品の中で
一番印象的だったのは自筆譜。
美しい音楽は譜面も美しい

 

【モーツァルト広場】
モーツァルトはザルツブルクを代表する
出身者なので、
生家から歩いて5分ほどの広場には
1842年に作られた立派な銅像がある。

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広場の名前もモーツァルト広場。
レジデンツ広場に隣接しており、
周囲にはカフェやショップが並ぶ。

観光案内所もあり、ある意味
ザルツブルク観光の起点となっている。

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近くの広場にいた
ストリートパフォーマーも
音楽の街ならでは(!?)。

片手のみを電子ピアノに軽く乗せて
宙に浮いているが、その電子ピアノは、
ありえない不安定な角度で
古本の上に立っている。

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【カラヤンの生家】
ザルツブルクの出身者と言えば、
もう一人はずせない人がいる。

こちらも音楽家。

指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤン
1908年4月5日生。

日本ではソニー創業者の井深大さん、
同じ指揮者の朝比奈隆さん
らが同じ年の生まれ


ザルツァッハ川のすぐ横に
生家がある。

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庭には、指揮をする
カラヤンの銅像があるのだが、
なぜかあまりカッコよくない。

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もっと「カッコいい」カラヤンは、
指揮をする映像や、
レコードジャケットの写真などに
数多く残っているのに・・・

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【ミラベル宮殿コンサート】
ザルツブルクに到着直後
インフォメーションセンタで
いくつか尋ねたコンサート。

結局、
ミラベル宮殿で開催される
TRIO AMIENSの
ピアノ・トリオの演奏を
聞きにいくことにした。

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宮殿の大理石の階段は、
「天使の階段」と呼ばれていて
小さな天使の彫刻に溢れている。
ラファエル・ドナー作。

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会場はその奥の部屋。
「大理石の間 Marmorsaal」

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100人強程度の小規模なものだが、
金の装飾に溢れた部屋は、
その雰囲気だけでも十分楽しめる。

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モーツァルトも、
この広間で演奏を披露していた
という。

曲は、ハイドン、ブラームス、
モーツァルト、ベートーベンの作品から。

プログラムの透かしが美しい。

Mirabell2

演奏は、
ピアノ、バイオリン、チェロの
3本のみ。

部屋の窓を開け、
夜風を招きながらの演奏。

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ひんやりというほど涼しくはないが、
エアコンの風よりははるかに気持ちいい。

演奏のほうは、
バイオリンの方がほんとうに上手で、
期待していたものよりワンランク上の
演奏というより「芸術」を楽しめた気分。

行ってよかった。満足度高し。

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ところで、このミラベル宮殿、
元は、大司教ヴォルフ・ディートリヒ
1606年、愛人サロメ・アルトと
彼女との間に生まれた15人の
子どもたちのために建てた
もので、
古くはアルテナウ宮と呼ばれていたらしい。

「北のローマ」をめざして、
今も残るザルツブルクの町並みに
多くの影響を与えた大司教だが、
アルテナウ宮完成後に失脚。

ホーエンザルツブルク城塞の
地下牢獄に6年も幽閉され
1617年に獄死、という
まさに劇的な一生を送っている。

宮殿は、
のちに「ミラベル」宮殿へと改名された。
ミラベルとは「美しい眺め」という意味。

コンサートが開かれる
「大理石の間」がある一方、
現在は、市役所、図書館としても
使われている。

 

ザルツブルク観光、もう少し続けたい。

 

 

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2017年11月 6日 (月)

オーストリア旅行記 (11) サウンド・オブ・ミュージック(その7)

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オーストリア旅行記 (11) サウンド・オブ・ミュージック(その7)

- どこからどこへの山越え? -

 

オーストリアのザルツブルクを、
映画「サウンド・オブ・ミュージック」を
キーに巡っていく報告も
今回で一旦、ひと区切りとしたい。

内容のほうは、これまで同様、
『サウンド・オブ・ミュージック』の秘密
瀬川裕司 (著)
平凡社新書
(以降水色部は本からの引用)

と 映画のDVD/Blu-ray

で補足・確認しながら、
進めていきたいと思う。
(以降、映画からのシーンは黄色枠で)

 

【馬の水飲み場】
祝祭劇場のすぐ隣(となり)にあるのが、
この「馬の水飲み場」。

場所といい、その装飾といい、
ちょっと唐突な感じがするが、
前回書いた通り、
お隣、祝祭劇場は、
元は大司教の厩舎だった。
ここは、そこで飼われていた
「馬のための水飲み場」として
作られたものらしい。
馬は一時、130頭もいたという。

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現在の姿になったのは1732年。
中央に馬の調教場面の像が立ち、
壁には馬の美しいフレスコ画が並んでいる。

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ただ、実際に行ってみると、
画よりも、そのすぐ後ろに迫った
ざっくり削られた岩山に驚く。

しかも横にはトンネルまで。

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トンネルの通りを挟んで、
すぐ左側はもう祝祭劇場だ。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」
の中では、マリアと子どもたちが
ピクニックに行く時に前を通っている。

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一瞬映るだけなので、知らなければ
もちろん何かはわからないし、
映画の中で説明も一切ないが、
この美しい施設が、
まさか「馬の水飲み場」だったとは。

 

【ザンクト・ペーター教会の墓地】
ここでも少し触れたが、
ザンクト・ペーター教会の
鉄柵で区切られた墓地は、
映画「サウンド・オブ・ミュージック」
の終盤で、
トラップ一家がナチスに追われて
墓石の裏に隠れるシーンの
モデルになっている。

区画ごとに違う鉄柵の文様は、
この墓地の特徴のひとつ。

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モデルにしただけで、
撮影はセットで行われたため、
直接ここがロケ地というわけではない。

暗い画になってしまうが、
映画のシーンも貼っておこう。

ナチスに見つかってしまうのではないか、
というヒヤヒヤ、ドキドキのシーンだ。

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Sm24633

 

【山越え】
そして映画の最後、
ナチスの追跡をかわしたトラップ一家は、
国境線が封鎖されているため、
徒歩で山を越えて
逃亡先のスイスへと向かう。

Sm25217

山越えのロケ地は、
ロスフェルト(Rossfeld)。

雄大な山並みが美しい
このシーンについては、
ロケ地ツアーのときも
ガイドさんから説明があった。

Sm25313

この撮影現場は、
ザルツブルクのすぐ南方向の山で、
バスの中からも指差しながら、
「あの山の尾根が
 国境越えの最後のシーンのロケ地なんです」
と紹介していた。

ただ、次の言葉に
バスの中は笑いに包まれた。
「あのあたりはドイツとの国境なんです」
「スイスとの国境なんて、
 ザルツブルクからはものすごく遠くて、
 とても歩いてなんかいけないわけで」

物理的な位置関係をちょっと確認しておこう。

Amapbr1

青がオーストリア、
黄がドイツ、
緑がスイス。
★印がザルツブルクの位置で、
◎印が山越えの撮影現場。

なるほど、ザルツブルクから
歩いてスイスとの国境を越えるのは、
7人の子ども連れには厳しそうだ。

また、ナチスから逃げている一家が、
ドイツとの国境に
わざわざ向かっているというのも
笑える。

上に挙げた瀬川さんの著書でも

このあたりもドイツとオーストリアが
国境を接している地域だ。

映像を見るかぎり、
一家はドイツ側から
わざわざオーストリアに
戻ろうとしていることになる

(ケールシュタインハウスはドイツ、
 ロスフェルトは
 ほぼ国境線上に位置する)。

最後に、
はるか遠方に街のようなものが
うっすら見えるが、
それはザルツブルクだ。

この映像だけを情報源とするなら、
トラップ一家はドイツへの遠足から、
いま帰宅中であるように
思えてしまうわけである。

と書かれている。
映画のストーリとのギャップが楽しい
裏話のひとつ
だ。

ところで、先にも書いた通り、
サウンド・オブ・ミュージックは
実話に基づく話だ。

映画ではない、
実話のほうはどうなっていたのだろう?

<実話>では、
コンクールでの優勝後、
一家はヨーロッパ各地で
コンサート活動を展開する


つまり
『サウンド・オプ・ミュージック』
とは異なって、
彼らはナチによる<併合>の前から、
プロとして活動していたわけである。

そして一家は国外に逃亡する。
<実話>としては、
屋敷のすぐ裏のアイゲン駅から
鉄道に乗ってイタリアに行き、
1938年10月にロンドンから
アメリカ行きの船に乗った。

つまり、トラップ一家は
<山越え>などしていない


そして39年1月、米国で末子の
ヨハンネス・ゲオルクが生まれる。
同年3月、滞在許可の期限が切れたために
一家はいったんヨーロッパに戻り、
主に北欧諸国でコンサート活動をおこなう。

そして10月、
米国での居住許可を得た彼らは、
あらためて
「ザ・トラップ・ファミリー・シンガーズ」
として全米を股にかけての
コンサート活動を展開する。

合唱団としての活動と
ヴァーモント州ストウの
「トラップ・ファミリー・ロッジ」
の経営によって、一家の名前は
広く知れ渡るところとなった。

 

7回に分けて
「サウンド・オブ・ミュージック」関連で
繋いできたザルツブルク旅行記だが
映画関連ネタは一旦これで終了としたい。

ロケ地巡りが楽しめる町の魅力を
瀬川さんはこんな言葉でまとめている。

(ロケ地を巡る)
このような現象が起こるのは、
『サウンド・オブ・ミュージック』が
人気作品であるからだけでなく、
ザルツブルクに
<そのままの風景>が残っているから
だ。

撮影から50年近くが経っているのに、
そこへ行きさえすれば、
記憶にある風景が肉眼で見られるのである。

たとえば50年前の邦画を好きな外国人の
映画ファンがわが国に来たとしても、
めったに(そのままの風景)には会えまい。

そこには、いうまでもなく
歴史的建造物等を大切にする
ヨーロッパの伝統があるわけだが、
ザルツブルクでいえば、
狭い旧市街にロケ地が集中しているので、
二時間ぐらい歩けばほとんどのポイントは
押さえられてしまう。

まるでザルツブルクが
『サウンド・オブ・ミュージック』の
テーマパーク
であるかのようなのだ。

 

次回からは、
「サウンド・オブ・ミュージック」
からは離れて、
ザルツブルクの町の魅力を紹介したい。

 

 

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