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2017年9月17日 (日)

オーストリア旅行記 (4) ザルツブルクの発祥

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オーストリア旅行記 (4) ザルツブルクの発祥

- ザルツは塩、ブルクは城 -

 

最初の夜から時差ボケと無縁の
熟睡ができたおかげで、
目覚めもさわやか。

ホテルの朝食はバッフェスタイル。

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チーズ、ハム・ソーセージ、
パン、シリアルなどなど
種類が豊富で
全部味見してみたくなる。

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はちみつは、
トルコのホテルで見たものと同様
巣から直接取るスタイル。
味というよりも
見た目にインパクトがある。

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レストランの入り口には、
ややピンク色を帯びた
きれいな色の大きな岩塩が。

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そう、ここはザルツブルクなのだ。

ザルツブルク(Salzburg)

salzが「塩」
burgが「城、要塞、砦」
つまり、「塩の城」という
意味の名を持つこの町は、
周囲の岩塩鉱から産出される
塩の取引で繁栄を続けてきた。

ザルツブルクの旅行記を始めるにあたって、
まずは、その起源に関わる
古い歴史的な施設・建造物から
話を始めたいと思う。

どれもその起源は8世紀。

現在の建物は当時のものではないが、
その名は、創立時より絶えることなく
ザルツブルクの歴史を支えている。

 

【ザンクト・ペーター教会】
696年に聖ルペルトが
この地方の布教活動の拠点として
僧院を創設した。
今日、ドイツ語圏に現存する
最古の修道院のひとつとなっている。

付属のザンクト・ペーター教会は、
現在はこんな感じ。

P7118000s

12世紀半ばにゴシック様式で改築された。

この教会には、
岸壁をくり抜いて作った共同墓地、
祈祷のための
洞窟「カタコンベ(Katakomben)」がある。

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岩山に張り付くような構造が印象的だ。

隣接するザンクト・ペーター墓地は、
鉄細工の墓碑と花が美しい。

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鉄柵で区切られた墓地も特徴のひとつ。
鉄柵の文様も区画ごとに違っている。
鉄細工の墓碑といい、
いい鉄工の職人がいたのだろう。

P7117996s

映画
「サウンド・オブ・ミュージック」の最後、
墓地に逃げ込むシーンの
モデルになっているのもこの墓地だ。

P7118010s

左上後方には
ホーエンザルツブルク城塞が見える。

 

訪問時、タイミングよく
独特な形状の鐘塔からは
町中に鐘の音が鳴り響いていた。

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今回は、カメラの他にコンパクトな
ICレコーダ

も携帯していたので
その時の鐘の音を思わず録音。

「カセットデンスケ」や「生録」
なんていう言葉が躍るカタログを
ある種の夢とともに集めていた、
そんな時代の思い出もある
オジサン世代の私からすると、
この手軽さでこの音はないだろう、
というのが正直な感想だ。

30秒ほど貼っておきたい。
小さな町の過去へと誘(いざな)う
音の雰囲気が少しでも伝わるだろうか。

 

そのまま教会にも立ち寄ってみた。
静かに扉をあけた瞬間、
その空気感に足が止まった。

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あの外見から
この身廊が想像できるだろうか。
思っていたよりもずっと大きく、
美しいだけでなく
荘厳な雰囲気に包まれている。

しかも、運がいいことに
オルガンの演奏が始まった。

この空間で聞く、この音楽。
やさしく包み込まれるような幸福感。

神聖な響きは、宗教を越えて
心にやすらぎを運んできてくれるようだ。

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696年のザンクト・ペーター教会に続いて、
714年にはノンベルク尼僧院が創設される。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」で
最初に主人公マリアがいた尼僧院だ。

 

【大聖堂】
起源の古いもののもうひとつは大聖堂。
創建は774年。
12世紀に後期ロマネスク様式で改築後、
17世紀にバロック様式で建て直された。

訪問時は、ザルツブルク音楽祭のための
大掛かりな準備が進行中で、

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正面のドーム広場には入れなかったため
横からの写真になってしまうが

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こちらの方は、上に書いた
ザンクト・ペーター教会と違って、
その高さ、大きさから
ある程度内部を見る覚悟(!?)ができる。

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さぁ、内部に入ってみよう。

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身廊は長さ101m。

主祭壇のまわりに配置された
パイプオルガンに目にゆく。

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柱部に分散された配置。

モーツァルトはここで洗礼を受け、
1779年からは
オルガン奏者も務めていたという。

最後部にはオルガンの
大きなパイプが並んでいる。

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数々の壁画や

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華麗な漆喰装飾の天井も見逃せない。

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第二次世界大戦で大きく痛み
その後、修復されたものだが、
主祭壇上の丸天井も美しい。

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大理石で覆われた大ホールには、
約1万人を収容できるという。

ザルツブルク生まれの
指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン
葬儀もここで執り行われた。

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* ザンクト・ペーター教会
* ノンベルク尼僧院
* 大聖堂
起源はすべて8世紀。

その8世紀、当時の司教が、
バイエルン公から献上された
「塩泉からの収入」を財源にしていたことが
「塩の城」
ザルツブルクの名前の由来という。

755年
「ボニファティウスの生涯」の中に
ザルツブルクという名前が初めて登場する

その後も、塩との縁は深く、
15km南にあるバート・デュルンベルクで
採れる岩塩は「白い金」と呼ばれ、
外地に送る際の通行税が、
継続的に富をもたらし
町の繁栄を支えてきた。

ザルツブルクは長い間、
大司教を領主と仰ぐ
神聖ローマ帝国内の一独立国だった。
編入前に短期間バイエルン王国に
併合されていた歴史はあるものの、
ハプスブルクの
オーストリア支配下に入るのは、
ウィーン会議のあとの1816年、
つまり19世紀に入ってから
だ。

1000年以上もの間、
大司教が治めた国であり、
オーストリア支配下に入ったのは19世紀。
この点は頭に留めて町を眺めたい。

歴史ある旧市街と歴史的建造物は、
1996年、
「ザルツブルク市街の歴史地区」として
ユネスコ世界遺産に登録
されている。

 

 

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