大岡川遡行 (4)
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大岡川遡行 (4)
- 大岡川源流域 -
横浜市の大岡川、河口から
(1) 中区日ノ出町まで
(2) 南区弘明寺町まで
(3) 磯子区栗木まで
と進んできた遡行も
今回で4回目。いよいよゴールだ。
途中、大岡川に
沿うように延びていた古道
「かねさわ道」に関する案内もあった。
「かねさわ」と書くと
どうもピンと来ないが、
漢字で書くなら「金沢八景」の
「金沢」なのだろう。
一部引用したい。
横浜南部の丘や
大岡川、笹下川流域経由で
氷取沢・能見台・六浦に通じている
古道「かねさわ道」
・・・(中略)
江戸時代には峰護念寺のお灸、
杉田妙法寺一体の梅林、
富岡のほうそう(天然痘)に
霊験あらたかとされた芋神さまや、
鎌倉・江ノ島の名所を遊覧する人々で
この道が賑いました。
また黒船来航で騒然としたころは
江戸と三浦半島との間で
飛脚や沿岸防備の武士が
頻繁に往来しました。
江戸と三浦半島を結ぶ幹線だったようだ。
それにしても、
今回ブログを書くにあたって、
各所で撮影した
案内板や石碑等の文章を
改めて読み返してみたのだが、
大いに気になることがひとつある。
上大岡の「青木神社」、
大岡川水門の所にあった「かわじまの碑」、
そして今回の「かねさわ道」、
この3箇所の説明書きには、
歴史的な事実はともかく、
日本語の文章として
明らかにおかしな部分がある。
「関東、奥州一帯に大水害」が
「関東、奥州一体に大水害」と
漢字が間違っているものもある。
原案作成時点でヘンな文章だったり、
漢字を間違えてしまったりは
ウッカリも含めてあるかもしれない。
しかし、最終的に碑になるまでには、
ナン人もの人がチェックしたのでは
ないのだろうか?
どうしてそれらすべてをスリ抜けて、
ヘンな日本語が石や鉄板に
刻まれてしまったのだろう。
発行はどれも「横浜市」。
難しいことが書いてあるわけでない。
簡単な記述だからこそ、
もう少し気を遣ってもらいたかったと思う。
根岸線を越えたあたりからは
さらに川沿いを歩けなくなる。
県立氷取沢(ひとりざわ)高校の
付近まで来た。
氷取沢(ひとりざわ)
難読地名のひとつとして
取り上げられることもよくあるが、
なんとも味のある地名だ。
「氷取沢神社」という神社もある。
源流のある円海山方面に
向きを変えたあたりから
一気に景色が変わってきた。
「ここは横浜?」
と言いたくなるような豊かな緑。
市民農園としても
開放されているようだが、
丁寧な農作業のあとが
あちこちに見られる。
横浜横須賀道路の高架の先には
「氷取沢市民の森」が広がっている。
いよいよ源流が近づいてきた。
大岡川はもうこんな感じだ。
森の奥へ入っていく。
途中、「マムシに注意」も。
流れとして追うのはそろそろ限界か、
と思ったころ
突然、こんなものが目の前に。
「大岡川源流域」
極私的イベントのゴールを
明示してくれているのもうれしいが、
それにしても、「源流域」の
「域」という文字がやさしい。
実際に行って目を凝らすと、
地面から水がしみだしている箇所が
ところどころにあり、
小さな流れを作っている。
「最初の一滴はここだ!」という
「一点」があるわけではない。
「このあたりですよ」の「域」。
気分的には大満足。
しみだしている水を目に焼きつけた後は、
最後、森林の中を歩いて、
「いっしんどう広場」を目指した。
目的地にまで到達できたので、
今回の遡行全行程を
大きく地図で振り返ってみたい。
青い点線。
実際に歩いたのは15km程度だろうか。
北から南方向に歩いて来たことになる。
(地図はGoogle Mapから)
終点にあたる円海山は名の通り
山になっているうえ、
三浦半島の背にあたるので、
横浜市方面と、鎌倉市方面を
同じ場所から見下ろすことができる。
西に相模湾・鎌倉(黄色矢印)方面
東に東京湾・横浜(青色矢印)方面
遠く横浜ランドマークタワーを見ると
「あそこから歩いて来たンだなぁ」と
感慨もひとしお。
夜は一緒に歩いた仲間と
居酒屋で乾杯。
まる一日体を動かしたあとの
ビールがうまかったことは、
言うまでもない。
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